「教風」 (連載第207回)


 シンジンになる



 明けましておめでとうございます。
 お正月といえば、心も改まって今年こそ良いように向上しようと、自然と思わされるところがあります。つまり、お正月は信心を進める好機です。

 初代大先生は、まず、「新しい人=シンジンになれ」と仰っています。新しい人とは、周囲から見て「あの人は変わったなぁ、新しく生まれ変わったようだ」と見られるという意味です。おかげを頂き着るものが良くなった、などということではありません。心の内面の状態のことです。とんがっていたのが丸く穏やかになったり、ぼやっとしてたのが意欲的になり、他人から見ても確かにこの人は向上したと評価してもらえるという意味です。
「信心したら新人になれ」とは、初代大先生らしい言葉遣いです。が、シンジンにはまだ上があります。

 新人から真心へ、更に神心というシンジンへ。
 これは結局、自分の中の我、おれが、私が、という気持ちをどれだけ棄(す)てられるか、ということです。初代大先生が苦闘した十五年間の信心のあと、「自分は神さまを拝んでいるようにみえて、実は自分の腕を拝んでいたのだ」と反省したのもこのことでしょう。

 この道は、私たち以上に安太郎青年には困難な道ではなかったのか、と私には思えます。
 というのは、六歳で父・安兵衞さんが亡くなり、親戚のもとに預けられる朝、安太郎少年がいない。皆が探すと、麦刈りをしていた――家族の中でたった一人の男子の自分がいなくなったら、と思い、母のために懸命に作業をしていたのです。九歳のときに入った小学校も三年で止めざるを得なくなった。学校が嫌いなわけではなく、親戚の商売が不振であったためそちらを手伝うことになったのでした。

 初代大生の前半生は、「自分がやらなければ、自分が頑張らなければ」という場面の連続でした。そのあり方に対して、神さまは「自分を棄てよ」と迫るのです。そしてその困難を見事に克服して、初代大先生は、信心の高みに登って行かれました。信心の行き着く先は神人というシンジンで、神さまと一つになった、ということだ、と教えられています。毎日唱えている大先生拝詞にも、「神と人と一つなる」とありますように信心の究極のあり方です。
 私は一度だけ、「神と人と一つなる」姿を拝したことがあります。

 ○二代大先生、最後の事業
 私がアメリカ留学から戻ってきたとき、祭典で何かお手伝いをしたいと申し出ました。療養中の二代大先生が玉串を奉られる手伝いをするよう言われました。当時の二代大先生は、大分衰弱しておられ、特に昭和六十二年秋の金光大神大祭では、とてもお広前へのお出ましは無理だろう、という体調でした。
 ところが、お祭りが始まると体調が好転していくのです。「これなら」と車椅子に乗っていただき、お広前に向かいました。彌壽善先生の介添えで玉串を奉奠される二代大先生を、私は脇から見ていました。先ほどまで呼吸も荒く、目にも力がなかった大先生が、ご神前中央に位置すると、しっかりと神さまに向かい、顔にも目にも力が入り輝きに満ちてきました。神さまに通じている。神さまがお迎えくださっている。私はこのお姿を拝して電撃に打たれたかのようになり、なんとしても金光教教師にお取り立てを頂こう、と決意したのでした。

 初代大先生は、信心の究極の姿をお示しくださる一方、そうなるための具体的な方法を教えてくださっています。「八つの役前」です。お広前に掲げておりますので、ご祈念のたびに、しっかり心に留めてください。今年も共々に信心にしっかり取り組まさせていただきましょう。


(この「教風」は、2016年1月に掲載されたものです)
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