「教風」 (連載第211回)


 時間を貯蓄



 初代大先生は「天地に貯蓄する」ということを仰っています。
 何が貯蓄できるのか、と言えば、お金を筆頭にモノ、そして時間、さらにはヒト〈対人〉も貯蓄できるのです。今回は時間について申してみたいと思います。

 玉水教会は布教当初(明治三十八年)から、かなりのお参りがありました。初めての月次祭(つきなみさい)に六畳二間のお広前に百人近くの人が入った、というのですから相当な人数でした。初代大先生は、当時の百人から百五十人くらいの信者さんのことで、いつも頭はいっぱいで、みなおかげが頂けるよう日に五へんも六ぺんもご祈念し、もちろん懇切なお取次をし、夜は夜でまた夜中までご祈念されました。肉体労働をしているわけでもないのに、夏など浴衣を三枚も腐らせた、というのですから、どんな御用ぶりであったか想像がつきます。

 ご自身で往事を振り返って「今では(昭和五年の時点)お参りは何十倍にもなりましたが、働きの大変さは半分以下です」。それは「人の三人前は働く」という気概での無我夢中の働きが、いつの間にか時間の貯蓄になってどんどん積もり、更に利息がついて、結果として初代大先生の体は楽でも、ずっと大きな働きができるようになったからだ、と説かれています。「はじめノラリクラリしておったら、とてもこうは行きません」と。

 ○ガムシャラだけでは
 ところで、世間でもガムシャラに働いている人は少なくありません。私が、深夜にご祈念をすませて休ませていただこうと部屋に戻り、窓の外を見ると、午前一時を過ぎているのに、隣の小谷ビルでは灯りがついて残業しているサラリーマンを見かけることがよくありました。今年あたりから時間外労働への風当たりが厳しくなって、滅多に見なくなりましたが、最近までは、当たり前のように見かけることがありました。
「残念! 負けたか」と心中で思ったりしました。あの人たちも明朝九時には、また出勤してくるのでしょう。頭の下がる思いです。しかし、ではガムシャラに働きさえすれば時間の貯蓄――天地への貯蓄になるのかというと、ことは簡単にはいきません。

 そこには祈りが必要だからです。
 元気で働けていることへのお礼、働きを発揮できる場を与えられていることへのお礼、仕事の成就を願うばかりでなく、会社の発展に寄与できるよう、ひいては世のお役に立てるように、また仕事にこと寄せて手薄になっている家族のことも願わねばならないでしょう。こうした祈りに裏付けられた働きだからこそ、天地に貯蓄することができるのです。仕事一筋に頑張ってリタイアしても、こうした祈りが元にあれば「お父さんは仕事にかまけて私たちを放りっぱなしだった」などと文句を言われることもないはずです。

 初代大先生の信話から「信心は働くこと」という教えを持ち出すと「もう体のアチコチが悪くて働けません」などと言う信者さんもいます。が、それではとり方が悪いと言わねばなりません。体を動かすことが十全にできなくても祈ることはできるはず。子や孫たちの働きに祈りを足してやる、という大切な役目があります。

 本人たちが、つい目の前の仕事に没頭してしまい、おろそかにしがちな祈りについて、しっかり後ろから支えさせてもらい、やがては祈りの大事なことに気づきますように、と祈らせてもらう。

 教祖さまがお示しくださった道、初代大先生が導いてくださる足跡をしっかり履ませていただきましょう。




(この「教風」は、2016年5月に掲載されたものです)
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