「教風」 (連載第218回)


 親をダシにして




 初代大先生は満二十歳のとき和歌山から大阪へ来て奉公します。ところがその年の暮れ大病にかかってしまいます。医者もさじを投げる病床のなかではじめて神さまに手を合わせます。
「私はまだ死ねません。親に果たさんならん役前が残っています。どうぞ助けていただきますように」必死の願いが神さまに届き病気は全快、正月からふだん通りの働きぶりに戻ることができました。
     ○
 いつもは元気な壮年の信者さんが気落ちした様子でお結界にこられ、ガンの宣告を受けたとお届けされました。軽ければ、内視鏡での手術や腹腔に穴をあけただけで体に負担の少ない手術もできるはずなのに,おなかを切るというのですから結構重いのでしょう。まだ痛いとかの自覚症状はないにしても元気ないのも無理はありません。
 離れて住んでいる両親も心配して、お母さんが毎日お神酒をふきに来てくれているそうで「高齢な母には大変なことで、申し訳なくて」と言われます。

 で、私は申しました。「あなたは当然ご自分の病気のことで頭がいっぱいでしょう。でも申し訳ないというなら、親御さんのことを祈ってみてください。お母さんがお神酒をふいてくださるそのときだけでもいい。自分のことはさておいて親のことを祈ってください」

○「信心の筆法」を展開
 お話をよく聞いている方ならお分かりでしょう。私は冒頭の初代大先生のご事蹟をふまえた「親をダシにする」信心を勧めたのです。
 初代大先生はご自身の経験をもとにして独特の「信心の筆法(筆の運び方から転じて物事のやり方の意)」を編み出されました。「親をダシにして」とはまことに直截(ちょくせつ)な言い方ですがインパクトがあります。ただ漫然とお願いするよりも、親にひっかけて親を全面に出して願うほうが神さまに届く。おかげになる、ということです。
 なにしろ「親先祖を大切にせよ。神はこれ以上の喜びはない」という神さまですから。

 おそらくその信者さんも私の申したことを実行されたのでしょう。転移もなく術後も順調で、すでに仕事に戻られています。
 初代大先生の信心のありがたいことは「親をダシにして」のように信心をパターン化して、お話を聞いたり信話集を読んだりすれば誰でもおかげの道をたどれることです。どう願ったらいいか、どう歩んだらいいか細かく説明してくださっていますから。

 こういうと、さっきの筆法、親がとうに亡くなっている私には使えませんね、無縁ですね。という方もいるかもしれません。
 ただ、こう考えたらどうでしょう。目の前の問題にばかり執着してこだわってお願いするよりも、もっと高い次元にお願いを伸ばすことによって信心が深まり神さまが喜んでくださる。病気を治してくださいよりも親孝行させてくださいの方が神さまもおかげが授けやすい、という筆法だ。ということです。
 親が亡くなっている年代の方ならお話もたくさん聞いてきているでしょうし、いくつも山坂を越えて何をすることが神さまの喜びになるかお分かりのはず。どうぞわが心から練りだしておかげの花を咲かせてください。



(この「教風」は、2016年12月に掲載されたものです)
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