「教風」 (連載第219回)


 まことの信心




 あけましておめでとうございます。
 新年を迎えますと、なにかしら厳かな気分になります。どなたでもそういうところがあるでしょう。
 そして、普段は信心気のない人が日の出を拝みに行ったり、神社に参ったりするのは、いつもは見過ごしている清らかな大きな働き、つまり、神さまとか天地のお恵みとかは知らなくても、そういうものをどこか意識するからでしょう。
   ○

 昨年のことですが、銀座教会の大祭のお直会の席で隣の先生から、
「玉水教会では『まことの信心 まことのおかげ』ということを言われるが、もっと具体的に言うと、どうなりますか」と聞かれました。
 お酒も入った席で真っ向から信心の話になって、さてどう答えたものかなと、私も一瞬ことばに詰まりました。
 それでもその先生が、「信者さんには分かりやすくお話しされているのでしょう」と、追って聞かれるので、まともに答えました。
「私は恩ということだと思います」

 ○「恩」がもと
 初代大先生は、六歳のときお父さんが亡くなり、お母さんと離れて親戚に預けられます。
 相当に商売していたその親戚も不振になり、少年時代の初代大先生は、学校をやめて店の中心となって奮闘していましたが、それも報われず、商売は清算することになります。
 そして上阪して奉公します。二十歳で奉公とは、当時では遅い出発でした。懸命に働きますが、その年の暮れに大病にかかってしまいます。

 医者にさじを投げられた瀕死(ひんし)の病床で、かつて、提灯屋の店先に吊(つる)された提灯(ちょうちん)に書いてあった「天地金乃神」のお名前を思い出し、「あの神さまに願おう。大恩ある親を置いて死ねません」と必死に願います。

 すると起死回生のおかげを頂いたのでした。
 初代大先生はこのときの「親の恩に報いなければ」という思いがなかったら、「仕方ない」とあっさり死んでしまったろう、とおっしゃっています。仮に神さまにお願いしたとしても、ただ命乞(ご)いだけのお願いだったら、大病が七日目で完治するようなおかげになったかは疑問です。やはり、親への恩ということを第一にして願ったのでおかげになったのでしょう。

 とすると玉水の信心は「恩」からはじまったと言えます。
 ただこの時の初代大先生は、恩といっても親の恩だけのことでした。それが神さまのご恩、天地のお働きの恩を心から感じるというようになるのは、「神さまがご主人、自分は奉公人」の境地に達した三十三歳のころでしょう。親の恩をハシゴのように伸ばしていって、神さまの恩というところまでいったからこそ、「神さまがご主人」の信心にたどりつけたのだとも言える、と私は思います。

 というように、『まことの信心』の中身は「恩を知る。恩に報いる」ことであると言い切っていいと考えます。
 神さまから受けている恩を知る、天地のお恵みの恩を感じる、そしてそれに報いるように信心していく。それが信心のもとではないでしょうか。




(この「教風」は、2017年1月に掲載されたものです)
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