「教風」 (連載第220回)


 神さまだけを見据えて




「あっという間の一年でしたね」「ほんとうに一年たつのが早いですね」などという年末年始の挨拶を交わしたと思ったら、すでにひと月たってしまいました。時の流れを早く感じるというのは大過なく過ごさせていただけた、ということで、考えてみればおかげ頂いたということでしょう。
 しかし、人生はそんな時ばかりではありません。あとから思い出してもみっしりと重い一年という年があります。私にとって平成11年(1991)という年はそういう年でした。

○三代大先生の姿
 三代大先生は平成10年、肺に疾患のあることが判明し療養生活に入られました。当初は手術もできないと言われましたが、そこからおかげを頂いて手術を受けることもでき、やがて退院して教会で療養されていました。
 三代大先生は、病気におしまくられて愚痴や不足をこぼすなどということはまったくなく、常に神さまに向かい、前向きに信心を求めておられました。
 たとえば、病院に診察に行ったときのことです。
 長時間待たされます。本当は横になっていなければならないのに、待合室にそんなスペースはありませんから、腰かけて待つことになります。付き添っている私の方は気が気でなく、「まだでしょうか。順番まで時間がかかりますか」と何度も聞きにいきました。大先生は普通にされています。

 やっと順番となり部屋に入ります。大先生は一礼して入室し、主治医に丁寧に挨拶されます。
「どうですか。しばらくこのままの治療でいきましょう」。医師の診察はすぐ終わります。大先生は丁寧に挨拶されて退室します。普通の模範的な患者です。しかし痛いんです。相当痛いはずです。

 そんなことはおくびにも出さない大先生でした。痛みや病に動揺しないのです。神さまだけを見据えて信心を進めている、という感じでした。

 二階の式場で湯川家のお祭りを大先生に代わって私がつとめ、終了後報告に参ると、休んでいたはずの大先生は、いつのまにか自力で起きて椅子に腰かけ式場の方に向かいご祈念してくださっていた、ということもありました。あのときも嬉(うれ)しかった。

 そして、以前二代大先生が療養中の折に三代大先生は、「(二代)大先生が生きておられているだけでありがたいんじゃ」と、口癖のようによくおっしゃっていたなあ、としみじみ思い起こしました。こういうことだったのか。
 二代大先生晩年の、お祭りの折に拝した神々しいようなお姿のことは、何べんもお話ししてまいりました。その姿に心打たれ、私は金光教教師を志しました。そして三代大先生の最晩年の姿こそ、今日私が御用をつとめる支えとなっているのです。

 御用に不慣れな私がへとへとになってしまうと、「大丈夫だ。奥には大先生がおられて、至らない私を補って神さまにお取次してくださるから」と思える。そしてお部屋にうかがうと病床の場で真剣に修行される三代大先生がおられ、あるときなどは、痛むはずの側を下にしてまで天地書附を凝視されていました。

 ですから私にとって、三代大先生とともに御用したその一年は、かけがえのない一年でありました。

 どんな境遇になっても逃げずに受け止め、信心を進めることを第一に行じていく。言葉で言えば簡単ですが、その姿を実際に見させていただいたことは有り難いことです。わが身の姿を通して信心の意味を現してくださった二代大先生、三代大先生のお祭りを、初代大先生のお祭りに重ねて仕えさせていただきます。





(この「教風」は、2017年2月に掲載されたものです)
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