「教風」 (連載第222回)


 二代大先生三十年祭へ向けて




 二代大先生が教会長に就任後、一年半で終戦となりました。玉水教会は残ったものの大阪は焼け野原、政治や経済はもちろん人々の生活規範に至るまですっかり様子が変わってしまいました。

 そんな中、二代大先生はどんなに時代が変わろうと「初代大先生の信心は真理である」との信念を貫かれました。
 その一方、初代大先生がご在世であったら、こうなさったであろうということについて、時代の趨勢(すうせい)をみて大胆に打ち出されていきました。

 二代大先生の行き方を三代大先生が忠実に継承され、私も倣(なら)っております。つまり現在の玉水教会は、実際には二代大先生が築かれたのだ、と言っても過言ではありません。

 その大きな働きをなされた二代大先生の式年のお祭りが、来年早々にと迫ってきました。節年(ふしどし)です。ぜひここを吉書(きっしょ)に大きなおかげをいただいてまいりましょう。

 すでに二月には「玉水わっしょい大音楽祭」や「玉水プロレス」などの行事を打ち、今後もお日柄である一九日の教話を軸に行事も催していきたいと企画しています。秋からは百日信行も仕える予定です――と、こう列挙してくると、「そうか、十九日にはお話聴いて行事に出席して、また健康のおかげいただいて百日間なるたけお参りさしてもらおう。それが目標」と熱心にそのように考える方も多いかも知れません。

○二代大先生に働いていただく
 年配の方は二代大先生のお姿よく覚えているでしょう。憶(おも)いだしてみてください。いかにも高徳な求道者という感じ、その清らかさに満ちながらも威厳のあるお姿。周囲を圧するような存在でありながら腰低く、派手さもなく、地道な信心を常に追求されていました。その二代大先生の節年なのです。

 自分でも取り組まなくてはと思いつつ、手をつけかねていた信心の課題に取り組んでみるというのはどうでしょう。

 例えば、腹立ちに取り組む。どうも自分は腹を立てがちだ。わかってはいる。信話集に初代大先生が詳しく教えてはくださっていても、すぐ挫折(ざせつ)する。で、神さまにお願いして取り組む。すると神さまはどうでも腹が立つようなシチュエーションを必ずご用意くださる。それは必ずそうだと言えます。さあ来た来た! これは私の話でもあります。普段ならこれをこらえるのは難しい。でも今年は二代大先生の節年だ。私たちが頑張って修行しているのを、二代大先生が手を拱(こまね)いて見おられるはずはない。きっとお力を貸してくださいます。

 二代大先生をご存知でもそうでなくても、お慕い申しお願いしていたら、初代大先生に、教祖様に、神さまに、お取次くださいます。腹立ち、でなくても感謝の心、人を悪く言わない、でもいい。一見ささいでも奥の深いことに、じっくり取り組んでいく、二代大先生は喜んで必ずお働きくださいます。

 「節」というのはそこから芽がふき、枝となっていくところ、でも、そのためには養分がいります。芽をふくにはしっかり根をはって養分を吸収しなければなりません。ある方が親の遺産のことで兄弟で揉(も)めました。お取次を頂くと、二代大先生は、「花や実はみんなやってしまいなさい。あなたは根をもらえばよろしい」とおっしゃいました。その方は、素直に「はい」と受けてお言葉通りにし、大きなおかげを受けました。その方は既に亡くなりましたが、現在、お子さんお孫さんへと信心がつながっています。

 節年にこそ、地道な根を張る信心に取り組んでまいりましょう。





(この「教風」は、2017年4月に掲載されたものです)
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