「教風」 (連載第223回)


 信心の星取り表




  初代大先生は、一日の信心を振り返って、思い違い心得違いがなかったかを調べ、満点なら白い豆、わがまま勝手なことがあったとか、人に腹を立てさせたなら黒い豆を供えたとおっしゃっています。

 またご自身は教会修行をしなかったので、「自分から不自由を求めて今日は5つ不自由をした。今日は3つ不自由をして修行した」ともお話しされています。

 こうしたことは信心はじめ、教会はじめの単なるエピソードなどではありません。

 初代大先生の信心の根幹に関わることなのです。それが証拠に、二代大先生は、深夜奥のご神前でご自身の信心をじっと見つめなおし、反省される初代大先生のお姿について繰り返しお話しになり、「私の信心はお広前の御用の外にある」という初代大先生の言葉をお示しになっています。

 つまりお広前でお取次させてもらう、ご神前でご祈念帳をくってご祈念させてもらう、ということは教会の先生としては商売勉強であり、信心とは、自分の心をのぞき込んだ深いところで練っていくものだ、というような意味だと思います。

 二代大先生という方は、初代大先生の信心を自ら行(ぎょう)じてみてよく咀嚼(そしゃく)し掌(たなごころ)に入ったことだけを「初代大先生は……」と話されたので、その話を通して示された初代の姿は、そのまま二代の姿だと言えます。

○お願い、お礼、お詫び、改まり
 平成30年の二代大先生三十年祭を控えて、二代の信心を頂いて参ろうというこの時期に「信心星取り表」なるものを作ってみました。是非、初代大先生二代大先生に神習(かんなら)って、毎日の自分の生活を、信心を、ご祈念を反省する、という機会をつくっていただければと思います。

 お願い、お礼、お詫び、改まりの4つの欄を設けてみました。最後の改まりは申すまでもなく金光教の信心の目的です。ですから欄はあっても、これに毎日◎がつくというようなことはありえません。真剣に求めても、期間中に一回でも◎がつけば大したことです。そもそも私たちの場合、どこを改まるべきかわかっていないというのが実際の話でしょう。
私はここがアカンなあと痛感できたらそれもおかげと思い、それによってさらにお詫びを繰り返しつつ改まっていけると思います。

しかし、神さまのお恵みに包まれている実感のないお詫びというのはないはずです。だからお詫びは、お礼の祈りの裏付けあってのことです。

 また事があったら、みな教会に足繁く通いお願いします。でも、なぜ私ばかりこんな目にあわないかんのだろう、というような気持ちでお願いしてもなかなか神さまには届きません。教祖さまがお願い一つにお礼が十、とおっしゃるように神さまのお働きに感謝する心がなくては、本物のお願いのご祈念にはならないのです。

 商売繁盛と願うのなら、まず今日まで商売を続けてこられたことのお礼から始めなければなりません。そうして数えていったら、いくつもいくつもお礼しなければならぬことが湧いてくるはずです。それを一つひとつありがとうございます、と申し上げていくのが商売繁盛のご祈念です。というように御礼とお願いもくっついています。

 星取り表を見ながら、お礼はしっかり申せたかな、お詫びに気がついたかな、と毎日信心の点検をしてくださればありがたいことです。

 そして、それこそが玉水の信心なのです。節年ですから大きな目標を掲げていただきたい。おかげにしていただきたい。そのためには地道な信心の積み重ねが大切です。





(この「教風」は、2017年5月に掲載されたものです)
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