「教風」 (連載第224回)


 信心は「させていただく」




春に体調を崩しました。シクシクという感じの痛みが、体のあちこちに移動していくのです。鋭い痛みではないのですが、辛く眠れない日もありました。ヘルペスの前兆ではないかという人もあり、医者にいって検査してもらいました。

 ところが検査はいずれも異常なし、ヘルペスの兆しもなくお医者さんも「何でしょうなあ」と言われ薬も出ませんでした。

 そうなると、これはやはり神さまに治してもらうより方法はないと心が決まり、お神酒さんをいただいて一心にお願いしていくうちに痛みは消えました。

 教祖さまのみ教え「わが身がわが自由に成らぬものぞ」を実感したわけです。ではもう一つのよく似た「わが心でわが身を救い助けよ」のみ教えとなるとこれがむずかしい。今回のようにおかげ頂いて心が決まればたやすい。しかし心は意志であり思おうとすればすぐ転がってしまい、とても厄介です。ご無礼もおかしやすい。

 しかし、本来心は神さまからわけていただいたものです。もし「信心とは何か」と問われたら「心をわけてくださった親である神さまに孝行すること」と私は答えたい。

 問題が起きたらお参りしておかげをもらい、次の問題が起きたらまたお参りして――そんなことばかりの信心では困ります。

 あらゆることが神さまのお恵みであることに御礼を申し、そのなかでご無礼を重ねていることをお詫びし改まっていく。それが神さまへの孝行でしょう。

 言葉でいえば簡単ですが、少し信心してお話を聞いていくと、これが途方もなく大変なことだとわかってきます。人に変人といわれるほど真っ直ぐな人間だった湯川安太郎青年でも「他人にできることが自分にできないということがあるものか、と信心に取り組んだが、できなかった。できないと声をあげて泣いた」というほどのものなのです。

 神さまのお恵みに感謝する。それは頭ではわかっていますが、ついつい心はあらぬところに行ってしまいます。ふと我に返って反省すれば、ご無礼なことばかりやったり言ったりしています。これではならんと自分の心を意識して縛って生活すると、そのしんどいこと辛いこと。とても信心なんて無理だ、もう絶望的な気持ちになります。

 ○電動アシスト自転車に乗って
 姉が電動アシスト自転車を買ったので借りて何度か乗ってみました。乗りはじめはまるで誰かに押してもらっているように加速します。坂にきても楽に登って行けます。

 信心する、ということはとてもきついことです。しかし電動アシスト自転車のような手があるのです。

 自分が信心するという気持ちでいくと、本当にしんどい。で、そのこともお願いしていくのです。「信心させてください。どうぞ神さま引っ張ってください」。その願いを常に常に放さないように努めるのです。

 教祖さまも「信心させていただく、という心におかげがある」と教えてくださってます。そのおかげがまた私たちを引っ張ってくださるわけです。
 ただし、電動アシスト自転車のようにペダルは自分でこがなければなりません。自分の足でこいでこそ神さまが押してくださるのです。


 商売繁盛と願うのなら、まず今日まで商売を続けてこられたことのお礼から始めなければなりません。そうして数えていったら、いくつもいくつもお礼しなければならぬことが湧いてくるはずです。それを一つひとつありがとうございます、と申し上げていくのが商売繁盛のご祈念です。というように御礼とお願いもくっついています。

 星取り表を見ながら、お礼はしっかり申せたかな、お詫びに気がついたかな、と毎日信心の点検をしてくださればありがたいことです。

 そして、それこそが玉水の信心なのです。節年ですから大きな目標を掲げていただきたい。おかげにしていただきたい。そのためには地道な信心の積み重ねが大切です。




(この「教風」は、2017年6月に掲載されたものです)
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