「教風」 (連載第226回)


 まず「おかげ」を頂く




 玉水教会の信奉者はご祈念が長い、という定評があるようです。毎月のご本部参拝でも、奥城(おくつき)でご祈念がすむと、お広前にもどって帰りの時刻までずっとご祈念を続けるという方もかなりおられます。そういう方はほかではあまりおられないということを聞きました。
 直接、初代大先生から「ご祈念は信心の生命」と教え込まれた方は、もうさすがにいなくても、親御さんや先輩からしっかり「ご祈念」を伝えられている、というのはありがたいことです。

 信心は祈りがもとです。もちろん足を運ぶお参りも大事。しかし、せっかくお広前に参ってもボウーッとしているのでは――いえ、ボウーッとしててもお広前でならそれなりにおかげがあります。しかし、それではもったいないのです。真剣に一心の祈りをささげれば大きなおかげになるのですから。ですから、信心がわかってくるとご祈念が長く深く強くなっていく。「チョンチョン、アーン」ではもったいなさすぎます。

 ただ今の日本では、保険があり福祉も進んでいます。初代大先生の時代のようには、死や貧困が隣り合わせではないだけに、祈りも緩くなってしまうのかもしれません。

○ガンがステージ5
 しかし、病気のお届けでも、やはり「ガン」のお届けはとても多いのです。死亡率の高いことと、近年はお医者さんが「そこまで」というくらい、とことん最悪のことを告げるので、聞く方が震えあがってしまうという事情もあるように思われます。

 先日も「ステージ5と告知されました」という方がお結界にこられました。そんなことをいきなり言われたらショックでしょう。励まして、「神さまに一心に」とお話ししました。その方も毎日お参りして懸命にご祈念されていました。

 すると、ある日お結界で、「先生、私の聞き間違いでした。ステージ5ではなくて、お医者さんはガンかどうかといえば5段階の5だ? と言われたのでしたが、5段階の5ということをステージ5と聞いてしまったようです。検査の結果、ステージ2だそうです。そして転移はないということです。どうぞ速やかに全快のおかげ頂けますように」
とお届けしていかれました。

 ステージ5なら手の施しようもない、あと余命いくばくもないという宣告です。それがステージ2で転移もないなら、完治することは大いにありうるわけで、ものすごいおかげです。
「いやいや、なに、その人が聞き違えただけの話ではありませんか。祈ろうが祈らなかろうが関係なかったでしょう」と突っ込む人もあるでしょう。

 私はそうは思いません。やはりこの信者さんが切羽詰まった思いを神さまに向けて、一心のご祈念をお広前で続けたことでおかげの道が開けた、と考えます。

 大切なのはお参りして一心の祈りをこらしてゆく、ということなのです。そうすれば「おかげ」にもたどり着けます。私はこの「おかげ」とは、目に見えるはっきりしたものと思います。

 病気は治らなかったが心は助かった。それが信心のおかげだと言われても、何か釈然としません。病気なら治る、経済ならお金ができる、具体的でこれ以上ないくらい明らかなことが「おかげ」なのです。

 だからこそ、その「おかげ」にむかって私たちは、真剣に一心に祈っていくことができるのです。そういうおかげが頂けるよう、一心の祈りを磨いてまいりましょう。



(この「教風」は、2017年8月に掲載されたものです)
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