「教風」 (連載第229回)


 お取次と家族




 来年一月に三十年祭をお仕えする二代大先生は、戦後「帯紐解かず」といわれたくらいに不眠不休のお取次をずっとつづけられました。人間ですから眠らないことはないとしても、帯を解かないとは、つまり仮眠ばかりという意味でしょう。

 そんな二代大先生も、実は若いころまでは体が弱く、休まれることも多かったそうです。

 初代大先生は父親ですが、休んでいる二代の様子を見にもいかなかったそうです。一度だけ、寝ている二代大先生のかたわらへ来たかと思うと、立ったまま足で二代の体をすーっと触ってそのままお広前へ戻ってしまった、ということがあったそうです。

 当然、息子である二代大先生は憤慨します。やさしい言葉をかけてくれるどころか、足でさわるのですから。自分は本当に大先生の子なのだろうか、とさえ思ったそうです。

 しかし初代大先生の亡くなったあと、初代と同じ立場になった時、「あれだけお広前に一心であったのにわざわざ奥まで様子をみに来てくれるということは、やはり気にかけてくれたのだ」という思いに変わっていかれました。


 この話のように、仕事か家族かという観点に立つことは誰しも思い悩むことではないかと思います。

 日本のプロ野球でプレーする外国人選手は昔から、チームが大事な状況でも家族が病気になったりすると平気で帰国していました。ファンは唖然としたものでした。最近はこうしたアメリカ流が、世の中でも認められてきたようです。

 娘が幼稚園のときに、パパの絵をかいてくれました。絵の下にコメントの欄があって、先生が娘から聞いたことばが記されていました。「パパはいつもごよう、ごようと言っています」。ほかのお父さんなら日曜日にはどこかへ連れていってくれたりするでしょう。家にいるのにかまってくれない。ごよう、ごようと言って。そういう娘の気持ちがよくわかりました。 

 信心からいうと、これはどういうことになるのだろうかと考えます。
 教祖伝を読んでいますと、次女くら様の病気のくだり(安政六)で、そのころまだお広前に専念されず農業をしながらお取次をされていた教祖さまへ、神さまは重病の娘を看病せず奥さまともども農作業に出よと指示されます。教祖さまは長女ちせ様が病気で亡くなったときでも、手あつく医師を二人も呼び、近所の人たちに集まってもらって祈念してもらうような家族大切・子煩悩な方なので、この非情な指示は衝撃であったでしょう。

 もちろん神さまのおっしゃるようになされる教祖さまご一家は、おかげいただかれるわけです。それでもいまの常識からしたらとんでもないことです。
 私は幼稚園時代の娘の目に映ったように、ご用第一と常に思っています。歴代大先生のようにお広前一心になりたいと願っています。
 では家族は大事でないのか、二の次なのか問われればこう答えたい。
 このお道は、他人(ひと)をまず助ければ、自分のことは神さまがよいようにしてくださる、という道です。私の仕えているお取次は、人の助かりを神さまに願うという役で、私が一生懸命この役前を果たしていけば自分や家族のことは神さまがちゃんとしてくださる。そうに決まっているのです、と。

 今の時代、いろいろな考え方をもつ先生もおられるでしょうから、これが正解というものはないでしょう。私の思うところを聞いていただきました。




(この「教風」は、2017年11月に掲載されたものです)
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