「教風」 (連載第233回)


 願いをはっきりと




 お結界でお届けされる方のなかには「ほんとうはこういうおかげをいただきたいのですが。でもそれではあつかましくて神さまに申し訳ないので、せめてこのくらいのおかげを」などという向きでお願いされる場合があります。

 そういう方に私は「願いは、はっきりしなければいけません。無理な願いかどうかなどと迷わずに神さまに願いをぶっつけていくのです。そしてどうも自分の祈りではちょっと、と思ったなら霊殿にまわって初代大先生に、どうぞ私の祈りに力をお貸しください。大先生おかげにしてください。としっかりお頼みすることです。きっと働いてくださいます」と申しています。

 実際、「こういうふうになったらいいが、とは思いますが、それではあまりにゴニョゴニョ」などという方が多いのです。ゴニョゴニョはいりません。願いをはっきり立てることが大事なのです。とはいえ、私自身が同じような落とし穴にはまりそうになったことがあります。
 受験シーズンたけなわの、ちょうどいまごろの話です。

○足を運んでいた
 高校の推薦入試で不合格になった受験生がいました。大丈夫だろうといわれたのですが、不合格でした。

 それでも本人は、どうしてもあの学校に行きたいから、今度は一般入試で同じ高校を受ける、と言い張ります。推薦より一般入試の方がハードルは高くなりますから、推薦で落ちた子が一般入試で受かるのは至難なことです。担任がほかの学校を勧めても聞き入れません。
 というようなことを、親御さんがお結界に参られて話をされ、「でも、私たちも子どものいうようにさせたいと思います。どうぞ一般入試で合格出来ますように」とお届けされました。

 私は「すべり止めとかは考えているの」とたずねました。「考えていません。私立一本の専願です」。
 本人がどうしてもあの学校へ、という思いを持つのは悪いことではない。しかし親や周囲の者は、もしも、ということを考えて手を打っておくべきではないか、と私は考えました。まして、このたびはそうなる確率が非常に高いのだから。そこで私は神さまに「この子が将来、立ち行くような道をお授けください。末為(すえため)の良いようにしてください」とお願いしていました。つまり、落ちるかもしれない、ということを織り込んでお願いしていたのでした。

 日参している親御さんが、子どもはどうしてもその学校へ行きたくて毎日歩いてその学校の校門まで行っていることを話してくれました。

「あっ」と思いました。おかげは我が足にあり(初代大先生のことば)ではないのですが、これは大変なことです。私はその受験生の覚悟を知り、また自分が間違っていたことを悟りました。腹をくくって「どうぞ神さま、その高校に入れてください」と一心にお願いし、また霊殿で初代大先生にお取次を願いました。
 その受験生は合格しました。
 お結界に参って来たその子に「一番下で合格さしてもらったのはわかってるね。入ったらしっかり勉強して、上位にあがろう」と申しました。
 幸い、私が申したようによく勉強して、クラスでも上位の成績を残すことが出来ている、ということです。

 それにしても、私自身が神様にご祈念する時、一応こういう願いではあるけれども、それは無理そうなので、となってしまうところでした。願いをはっきりと立て、貫いていく。そこから強い祈りが生まれていく、という初代大先生のご信心を、改めていただき直させられたことでした。

(この「教風」は、2018年3月に掲載されたものです)
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