「教風」 (連載第253回)


三代大先生のもとでの一年



 平成十年(1998)十二月、三代大先生は肺がんと診断を受け、私は医師から厳しい宣告を伝えられました。
「大先生、死んでしまうんか」。私はもう、頭の中が真っ白になってしまいました。とりあえず教会にもどり、彌壽善先生に報告しました。その後、銀座の先生(先代信直師)に電話をかけ助言をいただきました。先生がいろいろと話してくださったことは覚えていますが、内容は全く記憶にありません。もう本当に真っ白なのでした。
 しかし幸いなことにと申しましょうか、年末年始の祭事をはじめ、やるべき御用がぎっしりとありました。私はとにかく目の前の御用を、と懸命につとめました。

 ただそれは、神さまにしっかりお願いしながら、というようなことではなく、「私が頑張らねば、私が、私が」という思いばかりでした。
 もう身も心も、へとへとになっていきました。
 そして大切な翌年はじめ、初代大先生のお祭りの直前に熱を出して寝込んでしまいました。お祭り前の1週間、日に二度仕える追慕勢祈念にも出られず、二月一日の当日だけ、やっと祭主の御用をつとめることができました。そのあと体調が回復しても、基本的に私の姿勢は変わりませんでした。

 いま思えば、ここで私は「ままよの信心」に取り組むべきでした。どう考えても当時の私に、あれだけの御用ができるはずはないのです。「死んでもままよ」の心になって神さまにお使いいただかなければ、行けるはずはないのですから。
 しかしながら、私はとてもそこまで頭がまわりませんでした。
 ○いてくださるだけで

 転機は五月二十七日にめぐってきました。
 その日は初代大奥様のお日柄日で、奥で親戚、出社がそろって参拝し、湯川家の宅霊祭を執行します。私が祭主をつとめ、お祭りがおわったあと臥(ふ)しておられる三代大先生の部屋へ報告に参りました。三代大先生は椅子(いす)に座って、お祭りが仕えられている式場の方向に体を向けてご祈念をなさっておられました。
 その姿を見たとき「ああ」と思いました。言葉にすれば簡単、「大先生は死んでいなかった。それどころか祈ってくださっている」。そのことに心から気づいたのです。そして重石(おもし)のように肩に載っかっていた「私がやらなければ、私が」という思い込みが取れて、急に楽になれました。

 私はご祈念される三代大先生の向こうに神さまを見、余裕をもって御用に取り組むことができるようになりました。
 以前、二代大先生が養生なさっていたとき、三代大先生がよくおっしゃった「大先生がいてくだされているだけでありがたいことなんや」という言葉の意味が、実感されました。私なりに神さまを求め求め、御用をつとめることもできました。それからはすべてがうまく回っていきました。

 三代大先生が帰幽されたときも、悲しいというより、とうとうこの日が来た、という感覚でした。そして人は「まだ七〇歳、早いな」と言うかもしれない、しかし七〇年の命をいただき、神さまに御用にお使いいただけたことはありがたいなあと思えました。 
 一年前の、頭が真っ白になったときとは格段に違う思いで、大先生をお送りすることができました。「ままよの信心」とまでは申しませんが、本当におかげを頂きました。「苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、そういう経験を積みに積んでそれが稽古ということになって心がいつの間にか決まってくるのです」(信話第八集)と、初代大先生も教えてくださっています。



(この「教風」は、2019年12月に掲載されたものです)
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