「教風」 (連載第254回)


新春を迎えて



 あけましておめでとうございます。令和二年、二〇二〇年の新春を迎えました。
 昨年は十二月に三代大先生の二十年祭を厳かに、また盛大にお仕えいただきました。まさに「お仕えいただいた」のです。
 三代大先生・湯川泰雄大人二十年祭に向けて百日信行に取り組み、私自身もその信行においておかげを蒙(こうむ)りましたが、その際に一番思い起こすのは、やはり大先生の最晩年のお姿でした。
 病がみつかり闘病生活に入られた三代大先生が、じっと神さまに心を向けておられるお姿は、傍(はた)でみていても心を打たれるばかりでした。
 病院の待合室で長時間待たされても、実際は辛くて苦しいはずなのに、なんでもないようにされて丁寧にお医者さんにあいさつされる大先生。
 広前のお祭りにお出ましになり車椅子(いす)から立ち上がると、健康なときのように歩まれて拝礼なさり、振り向いて参拝者に片手で拝礼されてお応えになる大先生。
 そして身罷(みまか)られる直前の日、痛くてたまらないはずの右半身を下にする格好で、凝視するように天地書附に向かって祈りをささげる大先生。
 体は病に冒されていても、心は強く雄々しく神さまに迫っていかれる大先生でした。

 ○歴代大先生を貫くもの
 二代大先生が晩年、養生されているとき、三代大先生が「(二代)大先生が生きておられるだけでありがたいのだ」とよくおっしゃっていたことは、私も耳に残っていました。しかしその言葉の意味が私に響いてきたのは、三代大先生が御用から遠ざかられてからでした。
 ことに五月二十七日の湯川家宅祭の奉仕を終え、休まれている大先生に報告にまいったとき、椅子に体を移して祭場の方を向かれ、ご祈念されているお姿を見たときでした。
 私はこのとき、三代大先生の祈りに包まれていることを実感して余裕を取り戻すことができ、そして三代大先生の向こうに神さまを感じました。
 さらに、この情景は、三代大先生と二代大先生の間にも生まれていたものであったことに気づきました。
 当時三代大先生は、二代大先生の祈りをうけて、玉水教会長手代わりの御用をつとめておられました。あの時期は新しい学校の立ち上げが軌道に乗る前の、本当に困難な時期でした。三代大先生は、病床にある二代大先生の祈りを拠(よ)り所にして、大変な中をしのいで道を切り開いていかれたのです。「大先生がいるだけで」は、そういう重い言葉であったと思いました。
 そして、二代大先生もまた、お結界で倒れられて養生されていた初代大先生の祈りをもとに、戦時中の苦しい時代に手代わりの御用を進められたのです。
 歴代大先生が代を継いで立とうとされるときには、かならず先代の「まことの信心」にふれていかれたのだということを、私は悟らせてもらいました。

 三代大先生が最晩年に、これがまことの信心だという姿を私に示してくださることができたのは、神さまのおかげというほかありません。
 「生神金光大神さま」と念じつつ心を神さまに向けていく、そこに「まことの信心」の世界が現れていくのですから、その道をしっかり進んでいきたいと思います。



(この「教風」は、2020年1月に掲載されたものです)
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