「教風」 (連載第257回)


揺るがない信心を



 今はどこでも、新型コロナウィルス肺炎一色の毎日です。まずこのことについて、思うところが一つ二つあります。
 私たちは日々に世界のこと、社会全体のことを神さまにご祈念しています。例えば、定時のご祈念でご拝文で唱えて、そのことを祈っています。ご拝文は、教祖さまがご祈念されておられた言葉を初代白神先生が感激して書き留められ、ご自身の信心の要(かなめ)とされました。二代白神先生のもとで信心されていた初代大先生も、信心の柱として大切にされ、私も「初代大先生になりかわって」毎日奉唱しています。「疫病」の項目もあり、ご拝文の祈りのなかにこのたびの新型肺炎に対するご祈念も網羅されているはずでした。
 しかし、この病が流行(はや)ってさまざまなことを知るにつれ、私の認識と申すか、その思いが浅いものであることがわかりました。新型肺炎に似た、インフルエンザという疾病があります。私もかかったことがあります。大抵の方がかかった経験がおありかも知れません。ワクチンもあり治療薬もあり、ほぼ正確に判別できるこの疾病で、毎年千人前後の方が日本で亡くなっているのです。世界に広げると、二十五万人くらいかという推計もあるそうです。この数だけで言えば、かなりの規模の戦争をしのぐすごさです。知らなかった。そんな災いとは。もっと真剣に取り組んで祈らなければ、と驚きました。社会を祈るとはどういうことか、あらためて勉強しています。

 ○信念が強いとは
 手や顔をよく洗う、うがいをする、マスクをつける、と予防のための注意があちこちで流されています。しかし、私たちはどこかで「自分は大丈夫」と考えがちです。
 とくに「私は信心しているから」とか、「神さまがお祭りされており、初代大先生の霊さまも鎮まられている玉水のお広前は大丈夫」とか、信者さんなら思いがちです。私自身も心中そう思っています。
 しかしながら、信念が強いとは、だから予防をなおざりにしてもいいということではなく、むしろその逆だと思います。世の中で勧められていることには「さようでございますか」と律儀に受けて、誠心誠意従って行くことが金光教の行き方ではないでしょうか。いささか煩わしいかもしれませんが、手を消毒し、マスクをつけてのお参りをお願いいたします。

 この4月20日は、大祭日であるにとどまらず、玉水教会の布教祈念日でもあります。今から百十五年前、初代大先生が土佐堀裏町の小さなお広前から、一人でも多くの人を助けたいと布教を始められた日です。
 現在、ご本部大祭にお参りできない等、前例のないびっくりするようなことが起こってきています。心が騒ぎます。
 ですが、こういうときこそ地道に信心を求めて行かねばならないときです。
 初代大先生がどうして布教をはじめられたのか、そのお心を頂かねばなりません。
 「事が起こったときは奮(ふる)うときだ」。初代大先生なら、いつにもまして目をらんらんと輝かせて求道に励まれることでしょう。
 現実問題として、病気のことばかりでなく、それに付随した経済の問題もあちこちで表面化してきています。揺るぐことなく、たじろぐことなく、「おかげいただくときがきた」としっかり神さまに向かってまいりましょう。




(この「教風」は、2020年4月に掲載されたものです)
TOP
バックナンバー一覧