「教風」 (連載第259回)


信心を進める絶好の機会



  緊急事態宣言が五月六日の期限から、さらに五月いっぱいまで延長されたことを受け、玉水教会における諸々の対応も、同様に期間を延長することといたしました。

 ただ、吉村大阪府知事から、感染縮小傾向が続けば、同月十五日に自粛の軽減措置に入ることも考えるという発表がありましたので、教会の方もそれにあわせて対応していきたいと、祭典日(五月十日)のインターネット中継を通じて、皆さんに申し上げました。信奉者の皆さん全体に、いちいち周知することは難しいので、「いつの間にやら勢祈念が始まっていた、ということがあるかもしれませんが、お許しをいただきたい」ということでした。

このように対応はめまぐるしく変わりますが、根本的な状況は、変わっていないというのが現実です。私たちは、その新しい現実にどう向き合っていくのかが、問われています。

 ○「根本の願い」と「日々(ひび)の願い」
 かつて経験したことのない、この数ヵ月の状況を前に私が思いましたのは、私ども信奉者一同は、改めて祈りの稽古をさせてもらわねばならないということでした。祈念には、お礼・お詫(わ)び・お願い という三要素があるわけですが、とりわけそのうちの「お願い」について、申し上げてみたいと思います。 お願いは、大きく分けて二つあります。

 一つは「根本の願い」。生きている限り変わらない願いのことです。親のこと、子どものこと、家業のことなどを祈らせていただく、そういう祈りです。
 で、その一方には「日々の願い」というものがあります。日々に変わっていく事柄に対する願い。子どもが熱を出した、親が病気をした、試験がある、それらが日々の願いです。
「根本の願い」と「日々の願い」、その両方ともが大事であり、しっかりさせてもらわねばなりません。しかし皆さんもお分かりのように、実際にやってみると、これが中々難しい。
 
根本の願いの場合、やはりそう急ぐことはない、という意識が働きます。今日明日にたちまち大変なことになる、というわけではない。したがってどうしても気が緩んでしまう。

 では日々の願いの場合は、目の前に迫っていることですから一心に祈れるかと言いますと、これはこれでまた、実際にはそううまく運びません。なぜかというと、心配や不安が願いを覆(おお)い隠して先にたってくるからです。お結界でもよく「先生、どうお願いしたらいいですか」と尋ねられることがあります。

 初代大先生は「神さまにお願いするということは、神さまに心配していただくことを請求するのですから、これをこうしてくださいとはっきり頼まなくてはなりません。お願いはどこまでもおかげになる願いでおかげを蒙らなければなりません」と、こうおっしゃっています。

 はっきりとした「願い」を持たないと、空砲のような祈りになってしまう。空砲では神さまに届かないわけですから、自分が今、どうおかげを頂きたいのか、それをはっきりさせて神さまにズドーンとぶち当てていくような、そういう祈りをさせてもらうことが必要なのです。

 さらに初代大先生のお言葉は、「われわれとしては苦難の来るたびに、ますます引き締まって、そしてズンズン進んでいかなくちゃ嘘です。

事があったら迷ったりうろたえたり悲観したり泣き言いったりする時が来たのではない。ますます心を引き締めて神さまに一心にすがって、どうでもその苦難を乗り越えて希望の彼岸へ到達させていただかなければなりません。すべてのことに打ち勝たせていただくために信心させていただいているのですから」と続きます。

 先行きが見えず得体の知れない、今のこの難儀に滅入ることなく、こういう時こそ「信心を進めさせていただく絶好の機会だ」と、それぞれにしっかりと神さまに向かわせていただきましょう。




(この「教風」は、2020年6月に掲載されたものです)
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