「教風」 (連載第259回)


親の恩



  先月七日に母、三代教会長夫人、湯川眞理子姫の一年祭を仕えさせていただきました。
 六月七日は母の祥月命日であります。ただ当初はこの日にお祭りをする予定ではありませんでした。

 昭和二十四年の五月二十七日に初代大奥様が亡くなられて以降、毎年五月のその日を湯川家祖霊の宅祭日として、親戚はじめ玉水一門の先生方にお参りいただき、霊祭を執り行ってまいりました。
 その湯川家宅祭のあと、十日ほどでまた一年祭が続くということを考えまして、五月二十七日の祖霊のお祭りにあわせて一年祭をと準備しておりました。

 ところが五月になって、非常事態宣言が延長されたことを受け、五月中に強行するよりも六月に延ばそうという判断で、母のお日柄日にお祭りがお仕えできることになりました。ですから当初の予定では、祖霊祭を主に、母の一年祭をあわせるというお祭りの形態でしたが、六月に延期したことで、母の一年祭を主にしたお祭りとして執り行わせていただきました。神さまから「母の忌日に一年祭をお仕えしていいぞ」という思し召しを頂いたと、これらの経緯を理解しております。

 母は、三代大先生が帰幽され私が教会長に就いてから、真剣に私の御用のことを祈ってくれておりました。そのことを母から直に聞いたわけではありません、母と話したこともありませんが、間違いなくそうでした。

 ただ母が霊となってから思い起こすのはむしろ、それ以前のことでして、特に私がアメリカに留学していた時期は随分と私の身の上を案じていたのだろうと、いまになって母の深い思いを感じます。

○夜中に掃除機をだして
 私がアメリカに発つことになって母は「電話をするように」と何べんも申しました。

 ところがアメリカに着いた私は、全く電話しませんでした。いまならインターネットの無料通話で話しもできますが、当時の国際電話はとても料金が高いものでしたから。たまりかねたのか二か月ほどすると、母の方から電話をかけてきました。それが三十分たっても一時間たっても話しています。こちらから「もう切るよ」というまで話していました。

 昭和六十二年(一九八七)に仕えられたサンディエゴ教会の開教記念祭に、母も渡米参拝してきました。参拝団が到着したその日に開教式が奉行され、その夜直会宴が催されました。
 母が、どうしても私の住んでいるアパートをみたいと言い張りました。もう十時くらいになっていましたが、母を車に乗せて三十分程はなれたアパートにつれていきました。日本風にいえばワンルームマンション、十畳ほどの広さです。

 母を連れて行くと、母はすぐに掃除機をみつけました。そして掃除機をかけはじめました。もう遅いから、うるさくて下の人にも迷惑だから、と止めても掃除をやめませんでした。

 このような母とのあれこれを思い出します。私の身に深い思いをかけてくれたということを、改めて感じます。とはいえ、その母に何か報いようとしても、もう母はいないわけで、では母の霊に安心してもらうにはどうすべきかというこになります。

 教祖さまは「信心は親に孝行するもおなじこと」とおっしゃり、親の子に対する深い思いを分かって親に尽くすことを、きわめて大切なことと教えてくださいました。

 母亡きあと、母の思いに報い、霊に安心していただくには、やはりしっかりと御用をすること――家族そろって御用をすることであり、是非ともそのおかげをと願っています。




(この「教風」は、2020年7月に掲載されたものです)
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