「教風」 (連載第260回)


苦難の時こそ前へ



 七月の九州豪雨による水害は、痛ましいことでした。記録的な大雨による球磨川(くまがわ)の氾濫(はんらん)の様子は、テレビ画面からでもショックを受けるほどでした。多くの方が亡くなられ、悲しいことです。
「ようやく自粛要請が解かれ平常にもどろうとするときに、またこんな災害に見舞われるとはなんということでしょう」と嘆いていた信者さんもいました。コロナ禍の影響で大ダメージを受けたばかりなのにまたですか、と言いたくなる気持ちはわかります。

 初代大先生は苦難について、天変地異のような自然的苦難と人為的苦難とがあって、人為的苦難は人から災難を与えられるものと、自分に原因するものとがあると整理されています。自然的災難は人間の力では逃れられないことですので、神さまに守っていただくようお願いするしかない。ただし常平生から気をつけて備えておかねばならない、と仰っています。(信話集第13集)

 ただ、苦難というものは人として逃れられないものである。信心したからといって苦難がないということはない、とも教えられています。
 昔から「こんなことがないように信心しているのに、この神さまはあかんなあ」などと言う人がいます。おかげというのは事がないことではないのです。信心が生きてくるのは事があったあとです。

 冒頭の信者さんの嘆き「こんなときに!」というのは気持ちとしてはわからなくはないのです。しかし信心している人としてはどうなのかと、疑問符が付きます。

○コロナ禍の中のおかげ
 喫茶店をたたんだ信者さんがいました。店をたたむにもお金がいります。お繰り合わせいただいて都合がつきました。なんとか勤め先もみつけ、インバウンドの外国人客で賑わう状況下で一息つけました。ところがコロナです。自粛要請が緩められてもインバウンドのお客は当分戻りそうもないので、この方はまた窮地に陥りました。
 そのとき、こういうときだから、自分の夢である喫茶店をもう一遍やりたいと思い返しました。それをまずはかなえるためにコーヒーの勉強をしよう、と思い立ち、コーヒーショップのアルバイトに応募したところ、おかげを頂き採用されました。コーヒーを飲ませる店と言っても、自分が開いていた喫茶店とは全く違う新しい世界をみたようで、勉強になると話されていました。
 あるとき店のオーナーと面談することがあり、「実は急に新しい店を開店させることになった。そこで正社員として働かないか」と声をかけてもらったと、さらに道がつくことになりました。コーヒーにもマイスターとか資格があり、それを勉強中です、と張り切っておられます。しかも急に出店することになったのは、インバウンド向けの店が撤退して店舗が空いたからという理由でした。

 この方の前へ前へ出ようとする姿勢には感心させられます。さすが『信話集』をしっかり読み、頂いているだけのことはあると思いました。
「世間の景気が悪いとこれでは商売にならんとぼやきたくもなりますがこんな時こそ、日ごろ信心させていただいている値打ちが出るのだと元気いっぱい足をふみださななりまへんねん」というお言葉どおりの行き方です。

 コロナだ、インバウンドが消えてしまったと嘆く前に、そこを逆におかげにしている方もいるのです。元気を出して、一歩一歩進んでまいりましょう。




(この「教風」は、2020年8 月に掲載されたものです)
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