「教風」 (連載第264回)


金光様ありがたい



 信心する者にとって「つくづくご本部というのは特殊な場だなあ」と感じさせられた、私の体験談です。
 私が金光教学院生であった一年間を振り返ってみます。ご本部で大祭など大きなお祭りが執り行われる期間には、学院生はふだんの修行生活を離れ、お祭りのために割り当てられたお役に従ってさまざまな場所に向かいます。はじめてのとき、私は広前係でした。

 羽織・袴(はかま)で、お広前の片隅にじっと座って待機し、参拝者に対応する係です。とは言っても特にご用はないし、足は痛いし、などと考えて座っていると、目の前で中年の女性がお献備袋にお供え(お金)を入れ始めました。「たくさん入れはるなあ」とボーッと見ていると、私の視線に気づいた女性が「神さまはお供えを倍にして返してくださるんよ」と、こちらを向いて言われました。大阪弁ではなかったですけれども。「そうなんやなあ」と私は思いました。脱線しますが、妻の父、福崎教会の先生の話。

 《教祖奥津城(おくつき)でお賽銭を入れようとしたとき、横からまっさらな一万円札がにゅうっと出てきてお賽銭箱に落とされました。エッと思って見ると二代大先生でした。自分も今にこういうおかげを頂きたい》と、思われたそうです。福崎教会の先生は、判をついたために多額の借金を負うことになり、そこを信心して信心して返済し、ご比礼を頂かれたのですが、まだその途上の頃の話です。

     ○
 私が、ご本部の学院へ一年参って得たものは何か、ということを思うとき、まず挙げられるのは「金光様ありがたい」ということです。
 私は早朝の金光様のお出ましをずっと頂きました。はじめはそんな気はなかったのです。昼間の学業に差し支えるといけないので、学院でもそのことは推奨されてはおらず、黙認するという感じでした。学院生は班を単位に行動します。班の人数は八人、年齢も経歴も様々です。多くは教会の子弟ですが、教会の修行生もいます。私の班では二人の修行生出身者がお出ましをいただくと言い、子弟の人は誰も行かないようでしたので、自分が代表として行こうかというような気持ちで早朝起き出しました。お出ましをお迎えしても正直、何がありがたいのか分かりませんでした。それでも三日坊主で終わるのは癪(しやく)に障るので、一週間また一週間と延ばしているうちに、辛かった三時起きに段々慣れてきました。

 体が慣れてきて思ったことは、こんな大変なことを毎日欠かすことなく、高齢の今になっても何ということもなく当たり前のように続けられている金光様はすごい、ということでした。当時四代金光様は、七十代後半で、しかも退院されたばかりのお体でした。「お出ましを拝むというのはありがたいことなんや」と、徐々に分かってくると、気持ちが入ってきてお出ましが楽しみとなりました。寒くなれば逆に気持ちが引き締まり、雨でも降れば雨の中の修行だと嬉(うれ)しくなり、たまに雪になったりするとさらに高揚する、というようなことでした。

 お出まし後のお広前での四時のご祈念も、はじめは付け足しのような感じでした。あるとき「教主様のすぐ後ろに座り、一緒にご祈念できるってすごいことやな」と気づきました。広前の後ろの方で半分寝ていたようなことでしたが、それからは早めに座って一番前でご祈念させてもらうようになりました。金光様のご祈念は、全教のこと社会のこと、さらに世界平和のことを祈られていると知って、教会から勢祈念のご拝文を取り寄せてご祈念させていただくように変わりました。私が学院時代に受けた感動、「金光様ありがたい」を、ぜひ皆様にも味わっていただきたいものと存じます。




(この「教風」は、2020年12月に掲載されたものです)
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