「教風」 (連載第266回)


祈りましょう



 初代大先生の生まれ年は明治三年、一八七〇年です。二十歳で大阪へ出て、その年の暮れに大病を患いました。医者に見放され、病床の中で「親を置いて死ねません」と天地金乃神様にお願いします。奇跡的に病気は全快、新年から仕事(商売)に復帰できました。

 しかし、「あれは本当に神さまのおかげであったのか」と疑いの心が起こったことから教会の門をくぐり、そこで先生からのお諭しを受けて信心生活がスタートしました。初代大先生二十一歳、一八九一年のことです。
 今年は二〇二一年ですから初代大先生が実質的な信心生活を始めて百三十年目に当たります。
 信心をはじめても、大先生にとってはよいことばかりではありませんでした。お金で苦労をする、子どもは次々亡くなる。十三年間の苦難のなかで、ようやく「神さまがご主人、自分は奉公人」の境地に達せられます。やがて教会を開き取次に携わり、「人を思うこと人後に落ちず」の信念のもと、何万何十万という人を助けられました。

○「すぐに戻ってくれ」
 私もお広前を預かる者として、信徒の方に対する責任がありますので、このたびのコロナ感染症についても、信徒の方も罹(かか)らないようご祈念してまいりました。しかし、ここへきて罹患(りかん)した信者さんも出てこられました。

コロナ病棟で仕事に従事されている看護師さんでした。そういう場所ですから十分な防止対策を行っていたのでしょうが、医療崩壊をいわれる状況下、看護師さんの間でクラスターが発生してしまいました。

 指定療養所に隔離され、養生されていました。年齢が若いこともあり、一週間ほどで熱もさがり味覚異常も戻ったようでした。普通なら症状や体調が回復しても、感染の可能性があると見込まれる期間を過ぎないかぎり、いくら退屈でも隔離は解かれないようです。

 しかし、その看護師さんは勤め先の病院から電話がかかって様子を尋ねられ、症状が治まったことを伝えると、すぐに復帰してくれと言われたそうです。看護師が足りず、ぎりぎりの人数で職場がまわっていることを知っているので、その方は療養先から直接、戦場のようなコロナ病棟にまた戻っていかれたそうです。

 親御さんのお届けを聞きながら、私は絶句してしまいました。医療に携わる方々はそんな命をさらすような思いをして、この感染症に立ち向かってくださっているのか。

 そのとき、初代大先生の「お前はどうなんや」という声が聞こえた気がしました。初代大先生なら、コロナ感染症で社会活動が麻痺(まひ)しているような状況におかれたらどうなさったろう。いやそれは決まっています。祈りに祈ったことでしょう。

 二代大先生は、時代が変わっても初代のお心を現していくということを、すべての基準になさってご用されました。三代大先生もそこを受け継がれ、私もそのつもりでした。ですが、今回初代大先生も経験されなかったような未曾有の事態に巻き込まれ、ついそのことが薄くなってしまったようです。

 コロナに罹患した看護師さんの姿を思い、私にもやることがあるだろうと、初代大先生から改めて指摘されたような気持ちがいたしました。

 私たちは信心する者です。教祖さまが教えてくださった神さまに、真剣に祈っていく道があります。私たちが社会に貢献できる道は、祈ることです。
 初代大先生は「祈るのは最後の手段ではない。最上の手段である」とおっしゃっています。
 まず祈りましょう。



(この「教風」は、2021年2月に掲載されたものです)
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