「教風」 (連載第267回)


信念を培う



 先月二月一日には、コロナ禍の中ながら、お広前で初代大先生例年祭を無事執り行なわさせていただくことができました。翌二日には、瓜破のお墓で同じく例年墓前祭と母、三代教会長夫人・湯川眞理子姫の納骨も併せておかげをいただきました。ありがたいことでした。
 また例年と同様に二月一日に向けた景慕勢祈念を十時と四時に仕えました。

 その折に『初代大先生信話集十六集』を拝読致しました。信心を進めるにあたり信念を作り、高めていくことがいかに大切か、というお話が納められています。この巻は旧信話集では九集にあたり、締めの巻となるものです。膨大な信話集の総集編のような趣のある内容で、編集された白石匡先生、また納める内容を指示された二代大先生が、信念を培うということが、初代大先生の信心のなかでいかに大きな位置を占めるものであるか、そのようにとお考えになっていると窺われる、要のような本です。

○人の心はセメント
 初代大先生は、商売をしておられたころの挿話を語られています。
 偏屈で通っている人の家へ足を運び、商品を出してみせると、相手から値切られます。大先生は、「こちらの値段は掛けていません。値切られてまけるようなことはできません」、と荷物をしまって「さようなら。またどうぞ」と出てきてしまう。翌日「何と何があります」「まけとき」「さようか。またお願いします」と帰る。それを繰り返すうち「どうせ値切るのだからその分はじめから掛けておけばよいのに」と教えられても、「買う買わぬはあなたの勝手です。しかし値切られるような高いこというてません」と、とうとう押し通し、やがて偏屈で通る主人が「あんたの偏屈には負けた」となりおなじみになってくれました。

 ちなみにこの家では関係者が熱心に信心するようになり、のちには何人もの金光教教師を輩出するほどになりました。
 初代大先生は二〇何べんも訪問し、信念を曲げずに偏屈さん相手に商談をまとめたのでした。「神さまへのお願いもそうですな。一遍より二遍ということを忘れたらいきまへん。それが与えられるまで押し込んでいくのが本当とちがいますか」と、信念をもって押して押していくことを教えてくださり、「朝に晩にお参りするのは一つはおかげの請求、もう一つは信念を固めるための行です」とされ、
「人の心はセメントのようなものです。セメントだけやったら吹いたら飛び、水を流せば流れてしまう。あれを砂と小石と水で練り固めるとまるで岩のようにカチンカチンになる。このごろでは街のなかに段々岩屋ができて、ビルディング≠ニいうてますが、あれはセメントを固めたものです。信心も不幸せをおかげの砂とし小石とし水とし、練りに練って行けば火にも水にも負けぬ強いものができあがってくる」と説かれています。

 ここで私は、よく傍らを通る工事現場の様子を思い出しました。来年開館予定の中之島美術館の建築現場です。塀を立てて工事をしているのですが、長い間何をしているかわかりませんでした。おそらく土台をこしらえていたのでしょう。
 ある日、塀の向こうに組んだ鉄骨が見え出しましたら、そこからが早かった。みるみる建物らしくなっていきました。初代大先生の時代よりいまの時代のほうが、土台作りは大切になっているのかもしれません。
 おかげをいただく土台である信念を培っていくということに、しっかり取り組んでまいりましょう。




(この「教風」は、2021年3月に掲載されたものです)
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