手記322〜324を追加しました (2012/11/17)
手記No 324 思いつきメッセージ 思いつき信者 男性68歳 掲載号 2012/9/1 No24

ふと気が付くと、「ふれあいの広場」へのメッセージが思い浮かんでいた。それを書き留めて置こう。何教によらず、神仏を信じて良かったと思われる時とは、自分の願いがその通りに叶えられることだろう。だが実際にはまずそのようにならないのが普通だ。そして本当の信心とは、そこから始まると言えるだろう。願いが叶えられずに悩み、そしてあれこれと思い惑う自分の姿をいやでも見せつけられるのだ。それは、もし願い通りに叶えられていたら、絶対にみれなかったはずの、みたくない有りのままの自分なのだ。こうして様々な事で不足に思い悩んでいるのが、実は自分の心であり、本当はこの心にお蔭を頂かなかったら、いくら財産や地位に恵まれても、人間関係や病苦や死別への不安や苦悩は無くならず、本当の幸せからは程遠いことを思い知るのだ。お道ではそれを、「お蔭、わが心にあり」とみ教えくださっている。このようにして心の修行を積むうちに、やがて人は願う以前にすでに頂いていた、そして今も頂いているのに気付かなかったお蔭の有り難さが分かってきて、心からの喜びとお礼を申し上げるようになるのだ。

手記No 323 神様の思いに合わせる 訓練生 男性65歳 掲載号 2012/9/1 No24

 私たちは天地の間に生かされているのですから、その道理と神様の思いに合った生き方を求めて信心を進めようと努力しています。信心の目的の一つに『災いを転じて、幸せにさせていただくために』とありますが、これは『災いに遭わず、幸せになる』という目先のおかげではなく、『災いを機会に、自ら改まり、信心を進める機会とする』というまことのおかげを目指す有り方です。しかし、「我を捨てる」、「人を思う」、「心配はお供え」等、どれひとつとっても、生涯を懸けての超難題です。他方同時に、私たちは神様の思いに合わせるよう、御結界でお取次いただくという無限の有り難い場があります。これは、お結界でお届けし、大先生のお言葉に沿って信心を進める努力を積み重ねれば良いのですが、自分だけでなく親先祖、子孫に喜んでもらおうと思えば、お結界に箸の転げたことでもお届けし、心の中をさらけ出し、課題克服に向けた心のあり方を気付かせていただくことが必要です。私たちはややもすると目先のことに囚われがちですが、参拝する、お話を聞くこと等も含め、ありとあらゆる工夫を凝らして、しっかり信心を進めさせていただきたいものです。

手記No 322 インターネットと信心継承 IZZY 男性69歳 掲載号 2012/9/1 No24

 今から約15年前、ニューヨークに駐在していたころ、サンディエゴ教会に参拝させて頂いたことがあります。湯川憲一教会長先生は、たいそう喜んでくださり、約1時間、布教10年間のご体験をお話くださいました。お取次ぎを頂くなか、話題が「信心の継承」に及んだ時、若い人に、難しい信心話しをするより「これをあげなさい」と言って、「www.konko.or.jp」と記した付箋をお下げくださいました。昨今、次世代との会話機会が少ないと言われていますが、インターネットをもっと有効に利用すべきと思います。現在では、金光教本部や玉水教会のホームページは、当時とは比較にならないほど充実しています。ご家庭で、子共さんや孫さんに、このアドレスを見せて、ホームページを立ち上げてもらったら、自然に金光教に「ふれあう」機会を得られるのではないでしょうか。

手記No 321 信心の継承 こだぬき 女性82歳 掲載号 2012/9/1 No24

息子が痔瘻になって病院に行き、診察をして貰ったが治らない。手術をしてもダメだと言われた。それで自分から神様に向い一生懸命に祈っておかげを頂いた。今では嫁も一生懸命になり信心させて頂くようになった。今までは、私の母の祈りと私が一生懸命だったが、痔瘻になって「手術してもあかん」と言われ、「お母さんがお参りしておられるところに行って神様にお願いしましょう・・・」と嫁が息子に言ってくれたと聞いている。今では痔瘻もすっかり良くなり、難はみかげとはこのことだと、私は有り難く思いました。

手記No 320 自然を見つめ直し信心を 遊  峰 男性87歳 掲載号 2012/9/1 No24

 自然社会にはいろいろ教えられることがある。雑草や木は、雪は風雨にたたかれ、人にも踏まれても根がしっかりしていれば、やがて花を咲かせ、人を楽しませてくれる。信心も日々に考え直すことで根がしっかりしていると、やがて徳という花が咲く。人に大事にされ手をかけてもらったユリやチューリップには強い根がないので、人に美しく見せているが二、三日で散ってしまう。我々も、耐えてきた雑草や木のような信心させて頂くことを、絶えず心に言い聞かせ、自然にお礼申し上げ、天地のお徳に感謝しようと思う。

手記No 319 もう一度自分を見詰めよう 遊  峰 男性87歳 掲載号 2012/9/1 No24

 教祖様は神様よりお言葉を頂かれた。「世間になんぼうも難儀な氏子あり。取り次ぎ助けてやってくれ」と神様のお言葉を受けられ、人間関係、経済問題、民族の紛争等、絶えず我々が寝ている時間帯にも一年365日風雨の日も暑い寒い日にも、慶応3年11月24日より現5代目金光様に至る迄、井日にも休まれることなく我々のために御結界にお座りになられている。これらのことをもう一度静かに振り返ると、「有り難く、勿体なく、しっかり信心を練らせて頂かなければ相済まない」としっか強く自分に言い聞かせる毎日である。
日々何もない事への喜びが足りないように思う。一旦病気をすると神様に必死になってご祈念する人が多く見受けられる。教えにもあるように、病気が治るのが有り難いのではなく、何時もまめであるのが有り難いのだ。と常々言い聞かせて頂いていても、ややもすると自分勝手に生きているように思う。又ある人は、脳梗塞になり車いすの生活なので、早く自分の足で歩けるようにご祈念しているが、自分でも歩くように努力しながらのお祈りが必要ではないかと教えて頂く。何事にも信心する者は、神心になれよ」と教わっている。事が起こると一生懸命にご祈念するのが我々凡夫である。絶えず初代大先生が言われた言葉に従って、信心の稽古をして、事が起きた時には、おかげを頂く時だ。

手記No 318 おもいやり 聖徳太子 男性77歳 掲載号 2012/9/1 No24

人は感情がある故に時として、多種多様な形態で大なり小なり死亡にまつわる事故を引き起こすことがある。
交通事故では右折車両と直進車両とのぶつかりでの怪我や死亡。また車両運転中に車線変更したり、割り込みをするなど、両方とも相手の人に譲る気持ちが無かったための事故。横断歩道以外での横断や、自動車が来ているのに、止まってくれるものと思って平気で横断する人。
このような事故を起こす行為は何故起こるのか。これは全て「まあこれ位は大丈夫やろう。心配いらんわ・・・」という安易な気持ちからだ。「そういうことをしたらどうなるのやろとか、これであんぜんやろかな」と、周囲に迷惑をかけない「おもいやり」があったら、事故はなかったと私は思う。またこれ以外にも色々あるけれど、言葉だけなら簡単に言えるが、それを実行するのは難しい。「おもいやり」の心を習慣づけ努力していこうという真の心を持つことが大切で、いっそう信心に専心していこう。「おもいやり」の心ひとつで、喜びと感謝が生まれる。

手記No 317 工場現場でのおかげ まろん君 男性49歳 掲載号 2012/9/1 No24

 我が家の家業は町工場でした。父が始めた工場で母も一緒に働いていました。両親は既に他界しています。
仕事はプラスチックで工業用送風機を作るものでした。その工場の作業中に、んなこんな事がありました。母はモーターのシャフト(鉄の心棒)にプラスチックの部品をはめ込んだのですが、その部品が間違いであることに気づきました。それで部品を抜こうとしましたが、指を差し入れる隙間が狭く、部品の穴はシャフトに固くはまってなかなか抜けません。当時仕事は忙しく、残業中のことでもあり、母は抜けずに焦りました。
そればかりではなく、当時の父は母に声を荒げて怒鳴り散らすようなことは日常的にありました。母は、その部品が抜けずにぐずぐずしていると、また父の機嫌をそこねて怒られると青ざめるような思いで焦っていましたが、思うようになりません。母は困って、その場で「金光様、大先生」と祈ったと言います。すると瞬間に逆作業を思いついたのでした。母の担当は、主としてプラスチックの溶接でしたが、溶接は熱風溶接機を使います。手持ちガン状の細い管から熱風が噴出するものです。思いついた通り、母は熱風溶接機を使ってシャフトにはめた部分を温めました。すると案の定、その部品はたやすく抜けたそうです。このように、神様は実際のものづくりの現場でも、見守って下さり、作業方法を具体的に応用させてくださったのでした。全くありがたいことでありました。

手記No 316 まだおかげいただけません 未完の信者 女性58歳 掲載号 2012/9/1 No24

 まことにお恥ずかしいことですが、ぜひ皆様のご経験やお考えを聞かせて頂きたくて、思い切って投稿させて頂きます。長い間(十年程ですが)神様にお願いし続けていることがあるのですが、まだお蔭が頂けません。こんな場合は、お願いそのものがいけないのか、それを願っている私に資格がないのか、お願いそのものを変えなければならないのか、あるいはこのままいつまでも願い続けるのか、私にはさっぱり分かりません、どうか皆様のご経験やお話をお聞かせ下さい。まだ信心の出来ていない信者より。

手記No 315 初代大先生のお取次 きょうちゃん 女性85歳 掲載号 2012/6/1 No23

小さい頃から母に連れられ、よくお参りし、お話も聞かせて頂きました。ある時大先生に「友達のお母さんが腹膜炎で死にかけております。助けてあげて下さい」とお願いすると、「わしゃそんなん知んで」と突き放されました。何でも聞いて下さる神様やと思っておりましたのでムツとして帰りかけたら、傍におられた書生さんが「ちょっとまち。その人お参りしてはるんか」と聞かれ、お参りしてはりませんと答えると、「そこんところを言われているのやで、何もあんたがムキにならんならんことないやないか」と教えられ気を取り直してお参りする様になりました。また母が火鉢の大先生の前で最近雨が降らないので困るわネ。と皆で話していたら大先生は立ち上がられ、戸を開け空に向かって手招きされたら空が急変雨が降ってきたのには皆びっくりし又感動をしたと言っておりました。私も後で何でも神様にお願いしおかげ頂くんやでと教えられ、多くのおかげを頂きこの年まで幸せに生活させて頂いております。

手記No 314 愛犬にもおかげ こだぬき 女性82歳 掲載号 2012/6/1 No23

 私が洋裁教室で生徒さんに教えていると、主人から電話がかかってきて「えらいこっちゃ。愛犬が釣り針を飲んでしまった」とのこと。釣り好きの主人がつりに行くため準備をしていた時、つり仲間から電話がかかり、電話を終えその場に帰ってみると、釣り針が4本とも見あたらない、置いていた台の上になめたようにぬれた跡がある。魚の臭いがするのでそんなことになったのかも知れない、内蔵に引っかかれば一大事、お医者さんに電話をすればレントゲンをとり手術をしなければいけないと言われ、主人も責任を感じたのか、「金光様にお届けをしてご神米を頂いてきてくれ」とのこと。それをハムに包み飲ませました。1日経っても2日経っても便がでない、ひょっとしたら庭で・・・となり、探してみると木の根元にしていた。割り箸でつついてみると、真っ白なお剣ざきさんがでてきてそれに引っかかっていた。主人もびっくりして「こんな事があるのかと。これこそ神業だ」と大声で言う。主人にこの信心の有り難さを解らせて頂けた。

手記No 313 葬儀の偲び手なぜ? 浦島太郎 男性70歳 掲載号 2012/6/1 No23

 現役時代先輩社員のお父様が亡くなられた。遷霊式にお参りさせて頂いたとき。にぎやかなのが好きだったので・・・とワイワイガヤガヤと親族で歓談されていた。やがて五十日祭も仕えられ偲び草を頂いたとき、開けてみると紅白のお菓子であった。聞いてみると96才、どこが悪いともなく老衰とのこと、この世を全うしおめでたいとのこと。しかし送る者としては亡くなられた御霊様に心静かに幽世にお移りいただくため音を立てない偲び手の心で送りたいものだ!!

手記No 312 八足台足8本なぜ? 浦島太郎 男性70歳 掲載号 2012/6/1 No23

 結婚した時、一家を構えたので御神璽を頂きお社を買わせて頂き、お祀りさせて頂いた。八足台の話しになった時、ある先生に「高くつくから自分で創りなさい」と勧められた。何の予備知識もなかったが、ただ釘は使わない方がいいだろうと木工ボンドを使った。お社用の台はお榊と共に軽量なので4本足になった。お供え物用の三段一式の台は足8本になった。重量物をお供えする台は斜めの力は加わらないので低い目に小さくした。これは材料の関係で8本に出来ず6本足である。子供達がお供え物をさわらぬようバリケード(玉垣)で囲った。この度のなぜ・どうして?の投稿で調べてみると案の足は8・12・16と8に限られていない(百科事典)。末広がりで8がいいとの説もあるらしい。
 現在、現大先生のお取次を頂き新しい住居のおかげ頂いた時、ご神殿も新しくおかげを頂いた。三段の引き出し式八足台も兼ねている。しかし従来の重量物をお供えする6本足の案はいまだに使用している。おさな孫が来てついうっかりしているとおもちゃにし壊してしまう。よほど気に入っているようだ。その都度木工ボンドの世話になる。これがダメになるとやはり8本足の案を求めることになると思いますが・・・。

手記No 311 No,0261 なぜ・どうしてへ返信 バァバ 男性67歳 掲載号 2012/6/1 No23

 「季節の果物・食物等を神様・ご先祖様にお供えするのに通常三宝に盛りつけお供えしているがある時三宝に載せきれないお供え物を家内がじかに八足台にお供えしていた」との意見の相違についてですが、私ども通常家庭生活の中で食事を家族に出すとき食卓の上に食器に盛りつけ出すのが通常だと思います。そして「もう少し・・・」と言うときは「お代わり」と言うことになるかと思います。載せきれないものは敷き紙を敷きお供えするなりの工夫をされたら如何なものでしょうか・・・?ただ食卓の上に盛りつけたおみかんを一つと要求されたときには、手渡すか目の前にじかに置くかをしますが。

手記No 310 孤独死に思う 五月山の風鈴 男性88歳 掲載号 2012/6/1 No23

 近年高齢者の孤独死が度々新聞紙上及びテレビなどで大きく取り上げられています。私達の子供の時代には孤独死等と言うことはごく稀でしかありませんでした。なぜでしょうか? それにはいくつかの理由がありました。そのうちの一つに隣組組織があり回覧板という連絡板を各町内会別に回覧し、気を付けなければならぬ事、町内会の諸事業及び国からの重要な行事の連絡、特に戦時中は一致団結せよとのスローガンの下、気を引き締めさせ るためでもありました。今はどうでしょうか?自由々という言葉に踊らされて勝手気ままに振る舞う風潮が蔓延しています。これはいけないことではありませんか? 心に食い込むスローガンはないものでしょうか? 考えてみればこういう私も昔は昔だという風潮に流されています。真にばかばかしいことです。そこで隣近所と言葉を掛け 合うこと、道で会えば「今日は」、「今晩は」と進んで声を掛け合おうではありませんか!! 次に隣近所、向こう三軒両隣昔のように横のつながりを密にしょうではありませんか!! これら私も心を入れ替え進んで行いたいと思います。

手記No 309 信心の大切さ しだれ桜 女性60歳 掲載号 2012/6/1 No23

 我々は「心配する心で信心せよ」と教えを頂いております。日々の生活の中でこのことを実践するのは並大抵のことではないと思います。初代大先生はその事を身を持って教えて下さいました。神様にお願いして心配を全部預けて試すべき努力をして、祈るということ、その信心のけいこを日々させて頂くことで必ずおかげにして頂けます。私は暫く何でも心配なことを神様にお渡しできるようになりました。おすがりしたら必ずおかげになります。その信念が大事です。まだそれが分からない時は、自分で人生を切り開くしかない。自分が努力するしかないと言う思いで生きていました。ですから、信心のおかげでどんな心で安心な生活が出来ることかを申し上げたいのです。

手記No 308 放射線照射後膀胱全摘出手術 牛  歩 男性86歳 掲載号 2012/6/1 No23

 私は昭和62年膀胱内に腫瘍が3つでき、掻爬手術でも完治せず、三代大先生に膀胱を全摘出して人工膀胱になることをお願いして、おかげを頂きましょうと言って下さいました。放射線技師は、私の腹部膀胱の皮膚前面にマジックで、範囲を指定し毎週5日間4週間計20日、一日20秒コバルトを放射してから手術をするのだそうです。これは膀胱内の現腫瘍の拡大防止と、手術時の出血を少量にするため。しかし放射線の一部は、必ず膀胱外の良好腹部にも当たりますとのこと。私は三代大先生が、放射線照射後膀胱全摘出手術を無事実施をご祈念して下さり、私は後遺症なく良好のおかげを頂きました。

手記No 307 子供は3歳までに親孝行 訓練生 男性65歳 掲載号 2012/6/1 No23

 『子供は3歳までに親孝行してくれる』という言葉があります。これは「親がいくつになっても、3歳までの子供の可愛さを思い出しあの時は親孝行してくれたものだと感謝する」という解釈が有力だそうです。これに似た言葉『三つ子の魂百まで』は、幼いときの性質や培った習慣は、老人になっても変わらないという例えです。この例えについては、「人格の基本的なところは、自我が芽生えるようになる3歳までに受けた養育の質によって決まるのだから、大切に育てる必要がある」という考え方と、「善悪の判断、基本的な礼儀作法などを教えるには、3歳ごろがしつけの最初の適齢期」という考え方があります。しかし、親は子供に、子供も親や祖父母に教えられているという心を持ちながら過ごせば、いずれの解釈も正しいでしょう。それにしても、大家族の中にいる幼い子供さんがお祖父ちゃんやお祖母ちゃんに連れられてお教会に参拝され少々やんちゃをされていても、私には誠に微笑ましく思われます。お徳の溢れる大広前で、人を思い、礼を言う心がいつの間にか子供たちに受け継がれていくと思うからです。

手記No 306 「ふれあい広場について」 IZZY 男性69歳 掲載号 2012/6/1 No23

 2月19日の総会でご報告があったように、「ふれあい広場」が開設されてから5年になりました。立ち上げのご苦労に敬服するとともに、この素晴らしい広場の発展を祈願しています。「ふれあい広場」設立目的の一つは、子供や孫さんたちが「金光教ってどんな信心しているの?」と興味を持たれたとき、インターネットや印刷物でメッセージを見ることができる、世代を結ぶ信心の架け橋を担うことであったと聞いていますが、今後、この広場が「宝のもちぐされ」にならないように、継続、改良してゆくことが肝要と思います。
ネット世代の若いかたがたが、この教会ならば、この信仰ならば、喜んで継承するに値すると思ってもらえるような環境作りやアプローチが必要でないでしょうか。そのためには、できるだけ若い信奉者や一般のかたに、信心についての疑問点や、納得いかないこと、お困りのことなどを、インターネットを通じ、「ふれあい広場」に投稿して欲しいと思います。その対応に、同世代の目線で若い先生がたも参加していただけないものかと思います。皆でこの「ふれあい広場」を盛り上げていきましょう。

手記No 305 お礼の中に生かされている我が身 遊  峰 男性86歳 掲載号 2012/6/1 No23

 目を閉じて静かに思いを寄せる時、息を吸い・吐く一年365日絶えず無意識のうちに休みなく働き続ける心臓、自分の命を支えて頂いている事を再認識し、人間の力の及ばない不思議な働きがあることを自覚、自分の思いだけでなく日々目に見えて頂いている命にお礼申し上げると共に生かされていることを再認識し、この世に居ることを神様に喜んで頂く信心をさせて頂き前向きに歩みたいものだ。
 信心と言って自分勝手に振る舞っている時があるが自分を見詰めなければと思う。朝起きて神様に命を頂いた事をお礼、又寝床にもお礼、今日一日自分の行動をお届させて頂き都合良く歩ませて頂く、どこへ行くにも無事都合良くいくようお願い、また帰ってきた時もお礼を。夜寝る時もその日のお礼を申し上げ目を覚ましたとき生かされている喜びにお礼を申し上げたいものである。

手記No 304 初代大先生のお取次 U カナ 女性91歳 掲載号 2012/4/20 No22

 結婚もし妊娠を知った時、御結界で前の人が女の子が生まれました。名前を付けて下さいとお願いされていたのを聞き名前も付けて下さることも知りました。次の日にお参りすると霊子と頂いておられ字を見てどういう意味なのかなと疑問を持った。暫くすると亡くなりました・・・とお届けをされて居られました。先の先までお見通しの神様だなと思いを新たに致しました。長女を出産し名前を下さいと申し出た時、花子という名を頂きそれを親族に見せると、こんな古くさい字、名前、へエーと皆が言いました。そこで次の日、大先生にあの花子に花を咲かせて下さい、枯れさせたらいやですよ・・・と願い出た時大きな声で「よっしゃ」と返事を頂けました。いいところに嫁がせて頂き子供も出来、姑を始め親族にも大事にされ幸せな生活をさせて頂いております。

手記No 303 初代大先生のお取次 T カナ 女性91歳 掲載号 2012/4/20 No22

 10才頃京町堀に住んでいた。学校から帰り、夕方散歩かたがた歩いていたら八ッ波の提灯が目に入りました。こんな処に金比良さんがあるのかと覗いてみたら一人お参りの人がおられ怖い顔をされた先生が何かお話をされていたが怖くて逃げ帰りました。明くる日また行きたくなり覗いてみたら2〜3人の人がお参りされまた先生がお話をされていました。みんな一生懸命有り難そうに聞いておられ3日目にはつられ入ってしまいました。神社仏閣にお参りするのが好きでしたがどうして入ってしまったのか自分でも解らない、今思えばこれがお手引きだったのでしょうか?・・・こうしてお参りが始まりました。最初は拝み方も解らず聞くことも出来ず頭を下げて帰るだけだったのですが、先生がいつもお話をされておられたのでちょと聞いてみると、ほんでな、あのな・・・と大阪弁でお話をされておられました。こんな楽しいお話を聞かせて頂いてもいいのかな・・・と思いつつ聞かせて頂くようにもなりました。

手記No 302 「信心の四つの目的」の意義 撫  子 女性72歳 掲載号 2012/4/20 No22

  人は何のために信心をするのであろうか。金光教においては、その大目標が「助かり」であると考える。初代大先生のみ教えでは、神様は「神徳」という財産を氏子へ渡したいと願われている。神様はこの財産を氏子へ渡すことによって神様が助かられるのであり、そして氏子も立ち行き、助かるのである。すなわち、神も助かり、氏子も立ち行くお道のあり方である。それでは、その神徳をいただくにはどうすればよいのか。初代大先生は「受け物」を作らなければその神徳をいただけないとみ教えくださっている。そしてその「受け物」を作るためにもっとも明確な目標として、「信心の四つの目的」を掲げてくださったのだと考える。

手記No 301 初代大先生はえらかった 作州浪人 男性80歳 掲載号 2012/4/20 No22

 玉水教会に始めてお参りしてから、10年経過しました。金光教の教えが少しわかってきました。そして、初代大先生が偉い人だったということがわかりました。初代大先生のみ教えカードを机上に置き、毎日その当日のみ教えを読んでいますが、私の人としていたらぬところを反省し自責するばかりです。中にはズキンとすることもありました。そして昔この教えを知っておればよかったのにと残念に思うこともありました。最も反省したことは

@ 人を責める前に自分が悪いと自覚することが大切。
A 自分というものをよく反省して人としての道をふめ。
B 一旦願いをたてた以上はどこまでも願いきれ、と言う三つでした。

手記No 300 信心の継承 聖徳太子 男性76歳 掲載号 2012/4/20 No22

  信心の継承について事実体験した事柄を書いてみました。私の先祖両親共代々仏教の宗派真宗の信徒でした。昭和43年10月24日京都駅前にあるデパート内結婚式場にて妻と結婚式を挙げました。彼女は金光教の信徒でした。ご両親は現在の中国広東福建省、以前は日本が統治していた時代満州国の郵便局に勤めその近隣に金光教の教会があり信徒であった父親その娘として同じく信心の継承していた。但し私は、仏教徒であり彼女に対して結婚した限りは、仏教に改宗して欲しいと願ったが受け付けてくれず一週間ぐらい二人の間がトラブッタ。私も相当悩がよく考えてみれば過去はどうであれ、これから先の事を協力努力する事と妻を愛し子育て幸福を目指して頑張らなきゃいけないと自問自答し、私自身が改宗しようと決心をして金光教の信者になった。参拝行事等の形体は違うけれども仏教も金光教も根本的には教えは同じであると理解できた。信心の継承は多種多様な、人と人の出会いきっかけを愛する豊かな心で、ふれあうことが大切であると思う。

手記No 299 お礼の心 ニューベアー 男性64歳 掲載号 2012/4/20 No22

 私たちは誰一人としてひとりでは生きて行けません。今では死語といわれるかも知れませんが、これまでお世話になった人、例えば、親、お祖母さん・お祖父さん等の先祖や恩人への恩返しは大切です。先祖ならお墓参りをすることです。ただし、足を運ぶだけでは充分とは言えません。恩返しの心を強く持つには、どうしても先祖を知らなければなりません。一方法ですが、原戸籍を取って家系図ができれば、先祖が何時、何歳で亡くなったか、家族構成、社会状況はどうだったのかが解ります。昔は家督制度・家の概念が大きかったため、親が大切な子を養子に出すことも多かったようです。先祖は、かけがえのない子供を出すことの寂しさを乗り越えてきたかもしれません。自分を祖先の立場で考えてみると、いろんなことに思いを馳せることができます。そうすると、お祈りする中身がずっと深くなります。これが恩返しであり、お礼の心であり、涙がでるほどありがたいと思う心への入口です。どうか、一度お試し下さい。

手記No 298 息子の結婚 こだぬき 女性82歳 掲載号 2012/4/20 No22

 私が洋裁学校に勤めていたので多くの方々から息子の縁談話を頂いた。三代大先生にお伺いさせて頂くと「やめときましょう」と言われるばかりでした。10回目も過ぎると息子もお「伺いするとお見合いも出来なと言い出した。その時私の女学校友達が写真を持ってきてくれた。釣書もない、その写真を見て私は女学校友達の娘さんでもあるし九州だしせめて大阪の子だったらな・・・と思いつつ三代大先生にお伺いに行った。大先生は写真をじっと見詰められ「お見合いさせて頂きなさい」とのお返事、大急ぎで友達に連絡すると直ぐに返事が来て別府でと言うことになり初めてフェリーで九州に行きました。息子も気に入って大先生にお届けさせて頂くと「おつき合いしなさい」とのご返事遠距離恋愛が始まりました。教室の生徒さんの中に九州出身の娘がいたので写真を見せると「ァ〇〇ちゃんや」とその娘のことをよく知っていた。今ではこの嫁も信心の話をすればよく理解してくれ家のご神殿で毎日ご祈念をしている。

手記No 297 初代大先生に内緒のお願い 牛  歩 男性85歳 掲載号 2012/4/20 No22

 女性N,Mさんのことです。彼女は三才の時から母親と参拝を始め、その後一人で初代大先生に、「私、今風邪ひいていますが早く治りますように」とお願いしました。大先生は、「そんな時はお母ちゃんが心配しますのでと願えば、神様は直ぐ治して下さるよ」、と教えて下さり、よく理解出来ました。女学校五年のお正月に参拝して大先生にお届けし、「一心に勉強しますので、学年一番で卒業し、校長先生の前で答辞を読み、他の同伴父兄の誰よりも、母に喜んでもらえますように」とお願いしました。大先生はご快諾されたので、彼女はお結界で立ち上がり、誰にも聞こえぬ小声で「母には今日のお願いは内緒にして下さい」とお願い。学年成績95点。同級生父兄多数から「貴女は良くできる娘さんをもたれお幸せ」と言われ、本当に幸せと喜んでもらえ、親孝行出来ました。

手記No 296 朝参りに起こされる まろん君 男性47歳 掲載号 2012/4/20 No22

 亡母は朝参りをする日に、神様から起こされることがある、とよく言っていました。朝参りは五時に起きないと間に合わないのですが、ある日、母は夢の中で初代大先生に次のように言われたと言っておりました。つまり、『芋の焼ける匂いがする』と。そして目覚めると五時丁度であり、玉水教会へ飛んで行きました。 帰ってくると、七時ぐらいになりますが、お向かいさんがサツマイモを持ってきてくれました。鹿児島の田舎から送ってきてくれた上物ということでした。 私も朝参りする時、または、母の代わりに朝食を作らなければならないときなどに、電話のベルのような音で起こされた経験が何度かあります。全く、ありがたいことでございました。

手記No 295 あじさいの花に そよ風 女性86歳 掲載号 2012/4/20 No22

 何故か小さい時から足元の濡れが苦手、勤務中も小雨でも長靴姿で笑われた。姑にも「あんたまるで水に溶ける様に嫌がって!」と、それにあじさいの花が嫌い。重く汚い感じ。そんな私がある日、前世のご無礼にお気付け頂きお礼とお詫びを申し上げました。また、まためぐりの事も教わりました。それえに気が付くといつか水も苦にならず、花にも美しさと愛しさを感じる心に戻して頂いておりました。身の回りの出来事に、こうして心の目を開かせて頂かなければならぬと教わり、この様な身がよくこそお赦し頂けたと思います。命も神縁もすべて歴代大先生、現大先生の並々ならぬお取次のおかげです。一人でも多くの人に神様の事を伝えお礼の申せる人が増えます様、皆が御神縁頂かれ、信心させて頂いてお助け頂ける様に、お礼信心へのお導きを願っております。

手記No 294 世相の中に生きる信心 遊  峰 男性87歳 掲載号 2012/4/20 No22

 或る親孝行の息子が父親に先立たれ或る会社の役員として勤めておりましたが、母親が脳梗塞で倒れ介護のため会社を辞めざるを得なくなり結婚も出来ず、そのうち母親も亡くなりました。再就職しょうと思うが年齢がいきすぎ働く場所もなくハローワークで職業訓練を終えても直ぐに勤め先を探すのに会社によれば経験のない者には勤めも出来ず自然にホームレスに落ちていってしまった。また役所へ相談に行くが良い返事なく誰に相談をしたらよいか解らない事を聴かされた。我々は信心と言うことを深く知りこのようにならないよう平素信心の貯蓄をしておかげの中に生かされると共に神様に日頃御礼を申し上げねばと思う。
信心とはお礼の中で生活させて頂いておるものだと近頃つうせつに感じるようになった。今迄色々とお話を聴かせて頂いておりながら気にもかけず誠に相済まなく思う。信心する者、安心は心穏やかに祈りの中にあるもの、油断は心を配る事を忘れるからと思う今日この頃。

手記No 293 初代大先生のお取次 F.Y 女性88歳 掲載号 2011/12/1 No21

女学校1年生の時友人に「お習字を習いにいかないか」と誘われ連れてこられたのが教会でした。帰りお参りして帰らないかと言われお参りもして帰り、次に来たとき或る信者さんに「お火鉢に座っていらっしゃる先生に何でも願い事をすれば叶えて下さるよと」言われお取次をして頂くようになりました。またお火鉢でのお話も聞かせて頂くようになり、朝のご祈念にもお参りさせて頂くようになりました。兄弟が出征した時もお取次を頂きました。作戦参謀として一番に敵地上陸をして大勢の戦死者が出る中で兄弟は無事帰ってきました。この事実を見ていた母も姉もお参りするようになりました。良き友達にも恵まれたこともあり、過ぎた家族にも恵まれて感謝の気持ちで一杯です。お取次を頂き数々のおかげを頂いてきましたがお願いするばかりでお礼をさせて頂くことが出来ておりません。最近はお礼の参拝に心掛けているところです。

手記No 292 初代大先生のお取次 みっちゃん 女性68歳 掲載号 2011/12/1 No21

 母に聞いたお話ですが、母と祖母がお火鉢の後ろの方で大先生のお話を聞かせて頂いておりますと母に指さされ「あんた年幾つや40か」と聞かれました。その時20代であったが当時の適齢期を少し過ぎておりましたがびっくりし恥ずかしさもあったが後で気づいたことなのですがその時結婚したいとかそんな願望は全くなく心の中までお見通しなのには驚いたと申しておりました。その後父との縁談話がありその時近くに思う人がありましたが「それはあかんで・・・」と言われたらしい。そして父との話、「調べて良かったら行きまひょか」と言われた。心に思っていた人は1年後肺病で亡くなられ母はびっくりしてしまって先の先までお見通しなのにも驚いたと申しておりました。

手記No 291 初代大先生のお取次 つかちゃん 女性90歳 掲載号 2011/12/1 No21

 厳しい両親であり会話もほとんど無い親子関係で育てられました。私のことを両親はお取次、願ってくれていたと思いますが体が細くひ弱でした。小学校の1年生の頃たった1回初代大先生に手招きをされ、「ご飯何杯食べてるか・・・」と聞かれた。2杯ですと答えるとどんぶり大を形作られ「こんなお茶碗か」と聞かれた。子供のお茶碗小さな物を手で形作ると「たくさんたべやお父さん、お母さんにいっといてあげるから」とおやささしいお言葉をかけられた思い出があります。

手記No 290 口答試問で名回答のおかげ 牛  歩 男性85歳 掲載号 2011/12/1 No21

 私は昭和15年に大阪市内で、尋常高等小学校二年を卒業し、某会社の入社試験を受験。一次の学科試験では、数学の幾何の証明問題が一問不正解。国語は全問正解し、後日の面接試験に進みました。試験官から、25の二乗は?貴方の視力は?と尋ねられ、3問目は、あなたが豊臣秀吉を尊敬する理由は?・・・と聞かれた時、全く予期していなかった言葉が口から出て、「君に忠。親に孝。臣を見ること子の如く。恩を忘れなかったことを尊敬しています」と答え、試験官もこの私も唖然。入社合格のおかげを頂きました。後日、母がお結界で入社試験に合格のお届けをさせて頂いた時、「よっしゃ」のお言葉があり、あの時は神様のお答えと御礼申しました。

手記No 289 初代大先生に三回お届け 牛  歩 男性85歳 掲載号 2011/12/1 No21

 私は18才の時お結界で、次のようなお届けをさせて頂きました。
@ 私は、気の小さい人間です。気の強い人にならせて下さい。
⇒「気の小さいのがおかげじゃ」
でも気の強い人は、神様に丸々おすがりしょうとせず自分を信じて物事が出来ますが、気の小さい私は全てお伺いをして物事をしなければなりません。その事を教えられた様に思います。
A 私は近視(0,1)でございます。目を良くして下さい。
⇒「眼鏡はきらいじゃ」
神様に治して頂かなくとも、眼鏡さえあれば困らないとの内心でした。そのことを見抜かれておられました。
B 会社で、女子工員のある方が膝にできた大きなデンボで、長い間痛みがひどく苦しんでおられるのを真にお気の毒に思いお届け。大先生は「今晩中・・・」と仰いました。その夜膿が多量に出て全快されたのには驚きました。

手記No 288 主人の交通事故 こだぬき 女性81歳 掲載号 2011/12/1 No21

 家を買って直ぐ主人はお祭りするものがないので金光さんに寄ってお社を買ってきたと単車に乗せて帰ってきた。直ぐ棚をこしらえお祭りをした。始めは何も分からずご神体もなくお社だけだった。その年の夏主人の交通事故の知らせがあった。詳細は分からないがかなり重傷らしい、小学校1年になったばかりの息子が神棚に手を合わせ、「金光様父を助けて下さい」とお祈りしていた。私もお婆ちゃんもウロウロするだけであった。病院近くの教会を探し行きかいりにお参りをさせて頂いたが、5日目には足を切断しなければいけないと言われた。その時義母と義姉が飛んできて「足を切断して義足で生活なんて・・・!!」と嘆いた。
 「今すぐ教会に行ってお届けしてきてください」と2人が言う、「主人のことは私らがついていてあげるから・・・」と言うので直ぐ玉水教会に走った。午前10時御結界に大勢の人が順番待ちで並んでおられる、私は前から7番目であった。今晩7時に足を切断、でないと菌が体に廻ると死んでしまう(破傷風である)。お届けの後急いで病院へ帰らなければと思い並んでおられる方々に事情を話し前に入れてもらった。それを見ていた書生さんが横から入らず並びなさいと言われこの書生さんに怒りを感じつつ元に戻り前から2人目になった時二代大先生がお出ましになった、その書生さんへの怒りが感謝に変わった。二代大先生に病院の主治医に言われたようにお届けすると大先生は「絶対切ったらいかんと」ハッキリ言われた。帰りかけるともう一度大声で「切らずにおかげ頂きましょう」と言って頂いた。今でも耳に残っています。そして病院に戻り主治医に言うと「足を切り落とさなければ命の保障は出来ない」と言われた。でも大先生の声が耳について「死んでもかまわない、足をつけておいて下さい」と言った。その時は必死でした。
 主人の身内からは「死ねと言うことか」と攻められる!私の母と伯母は神様を信じましょ・・といってくれる。次の日病院事務所から血清を貰ってきてくださいと言われ以前姑さんの弟がそこに勤めておられ血清を取りに行ってもらった。その日から5日で良くならなければ命の保障はないといわれた。ながーい5日目が来た。主治医の先生が「これで切らなくて良い。今までこんな人見たことない。足を切って助かった人はあるが、足を残して死んだ人も何人もあるこの病院始まって以来だ」と言った。今年86才足も年で杖はついていますが、これまでは杖もつかずにおかげいただいてきました。

手記No 287 家購入のおかげ こだぬき 女性81歳 掲載号 2011/12/1 No21

 結婚当初義妹が1年後に結婚が決まっているので同居といわれていたが1年経っても妹は結婚しない、主人に聞くと私の知っている人だったがその人とはうまくいかなかったとのこと8年過ぎて私に子供が2人になると自分も会社から帰ってきてもゆっくり出来ないということで、家を近くで探しかけた。近所の方から家の紹介で義母は私から主人に話して下さいと言うことになり、皆のいるところで話をしました。義母と義妹と一緒に暮らすから少しばかり貸してくれるかとのこと、主人は母と妹のことと良い返事をしたが二代大先生にお伺いすると、妹さんが結婚するときにあげてもいいが今は貴方達がその家を買いなさいと言われ主人にその事を話すと抵抗無く聞いてくれ私と夫、2人の子供とで住むようになった。義母・義妹も納得思わぬ家購入のおかげを頂いた。家財も何もない新たな家での生活のスタートになりました。


手記No 286 信心の継承 U 浦島太郎 男性70歳 掲載号 2011/12/1 No21

 この娘が長女に続き我が家近くにマイホームを建てた。地神祭の時「何か信ずるものはありますか?・・・なければこちらでしますが」の問いかけ、「あります」との二つ返事、「お父さんお願いします」との有り難い申し出。早速お結界へお願いさせて頂いた。新築清め払いもして頂いた。祭事の時腕白盛りの二人の孫も装束を附けられた祭主先生の振る舞いを神妙な面持ちで見入っていた。親子5人の館これ以上の贅沢は言えない。しかしこの家族にとって他にもっと自分たちにふさわしい環境の処もあったはずなのに・・・と疑問も抱いた、が、夫婦で何度も議論を重ねたとのこと。いつぞや長女家族を交え温泉旅行に行っての孫達との湯上がり、この娘が私を見て「お父さん年取ったネ!!・・・」との一言、何故か脳裏に残る。

手記No 285 信心の継承 T 浦島太郎 男性70歳 掲載号 2011/12/1 No21

 前々号手記番号No,0242 ニューべァーさんのすがすがしい親子愛の投稿美しく拝見させて頂きました。私の次女も同じような年頃で乳飲み子を抱え可愛い可愛いでそだてている。相手をするとにこっと笑みを称え何とも言えないかわいさで反応する。時折もうこのまま大きくならずにおりな・・・との会話も飛び出すしまつ。この子には6才と3才になるお姉ちゃんとお兄ちゃんがいて時折家族で遊びにくる。食事時、遊びもって食べるのでお箸が止まること再三、叱りもっての食卓、そうガミガミ言わなくてもお腹がすけば勝手に食べるよ・・・と言おうものならお父さんはだまっといてと、とばっちりを食らう始末、この娘には親の願い届かぬことも多々あって信心のしかたしばしば反省させられることがあった。

手記No 284 お稲荷様の修理に感謝 U まろん君 男性47歳 掲載号 2011/12/1 No21

 「神は荒れ屋敷をお嫌いになる」と金光様は仰っております。神殿はキレイに清潔に祭らねばなりません。私はそのことを玉水様に申し上げたことはないのですが、翌年の春頃には、玉水様が稲荷社殿の改築作業を始めて頂いたように記憶しています。そして今のようなキレイな社殿にして頂けました。金光様にとっては他宗教になりますのに、このようなご厚情で修理をされたということに、金光教特有の「他宗尊重」の根本的精神を再確認できて感動致しましたとともに、修理は私の願いでありましたから、深く感謝申し上げております。「神様は宗旨嫌いをせぬ」「我が信じる神ばかり尊びて、他の神を侮るなかれ」「釈迦もキリストも黒住も、みな神の氏子であるから、他宗を批判するな。」「藪荒神にも神の位はある」「道端の地蔵にも礼拝して通れ」など、常に他宗教を軽視しないよう諭して下さっている。教祖様の『ご理解集』より

手記No 283 お稲荷様の修理に感謝 T まろん君 男性47歳 掲載号 2011/12/1 No21

 玉水教会の横に小さなお稲荷様が鎮座されています。皆様は、このお稲荷様(荒光稲荷様)は、4年ほど前に修理されてキレイに修復されたのをご存知かと思います。4年ほど前、玉水教会の敷地内、裏の入り口付近に、お稲荷様の御神体が一時的に遷され、相当荒廃していたお社の改築を行って頂きました。実は、この修復工事の前年、私は夏から秋にかけての百日間、母の下咽頭癌の治癒を願って、玉水様に朝参りをさせて頂いておりましたが、母が幼い頃、戦前ですが、難波の稲荷町という場所に住んでおり、氏神の稲荷神社があり、少女時代はお稲荷さんにお世話になった、と母がたびたび申していたことを思い出して、朝参りの帰途には、この荒光稲荷様にも簡単にご挨拶申し上げておりました。ですが、そのお社がひどく荒廃している様子なので私はずっと気になっておりました。

手記No 282 東北地震に思う 遊  峰 男性86歳 掲載号 2011/12/1 No21

 我々は平素何もなく日々健康で楽しく生活をさせて頂けることが当たり前の様で神様にお礼が行き届かない日々である。この度東北地震そして津波で家族、親族を亡くしまた原子力発電所の事故により友人知人もバラバラの生活に思いを寄せるとき、無事に生活をさせて頂けることを振り返って喜び感謝させて頂かなくてはと思う。そして自衛隊、アメリカの軍隊、及び一般のボランティアの方々の復興のために自分を省みず支援されている姿をテレビで見るときこれこそ神心であると共に教祖様のお言葉通り人を助けるのは人間である。又各国より金銭面物質面の暖かい援助を頂くと共にこの度のタイの洪水被害をも見たとき改めて今ある生活に感謝をしお礼を申さずにはおれない日々である。


手記No 281 自分を見つめ直そう 遊  峰 男性86歳 掲載号 2011/12/1 No21

 人々はいろんな事をさせて頂きながら生活をしている。今一度幼少に教えて貰ったことを振り返り、浦島太郎、竜宮城で遊びすぎ、村には誰も知った人がいなくなり、大事な玉手箱を開け白髪のお爺さん。またウサギとカメの話、油断したり怠けたりするとあの遅いカメに追い越されてしまう。初代大先生のお言葉を借りると、この世に働きにきたのだと言われておられるようにもっと日々を考え直そうと思う。知っているつもりが忘れがちである。今つもりを考えました。
 @  高いつもりで低いのが 教養
 A  低いつもりで高いのが 気位
 B  深いつもりで浅いのが 知恵
 C  浅いつもりで深いのが 欲
 D  厚いつもりで薄いのが 人情
 E  薄いつもりで厚いのが 面の皮
 F  強いつもりで弱いのが 根性
 G  弱いつもりで強いのが 我
 H  多いつもりで少いのが 分別
 I  少いつもりで多いのが 無駄
以上書き出したことで、見つめ直して信心に前向きで歩もう。

手記No 280 愛と自然破壊 聖徳太子 男性75歳 掲載号 2011/12/1 No21

 平和のシンボルと言われた鳩が、人間に対して害を及ぼす行為。あるマンション7Fベランダに愛らしい鳩が2羽、お腹をすかせて可愛そうにとパンをちぎりベランダいっぱいにまき鳩はお腹一杯に食べ空の彼方に飛び去っていった。のどかな風景であった。後日大変なことになるとは夢にも思わなかった。えさやりの回を重ねるたびに段々と増えてきて30羽を越えるようになりベランダ、洗濯物に糞がいっぱい、苦情が殺到。
 最近日本海のカニが激減、漁師が嘆いている。小さな物は海に戻し資源枯渇防止に思いを寄せられているという。しかし近海の他の海域では底引き網で根こそぎ捕獲しているところがあるらしい。自然破壊行為であり人間が侵している愚かな行為である。信仰する者の一人として神様より頂き先輩より受け継いだこの資源を大切にといつも願っている。

手記No 279 一人での本部参拝 昨州浪人 男性80歳 掲載号 2011/12/1 No21

 私が3年前まで監査役をしていた会社の広島支店は広島県福山市にあった。私は1年1回か2回福山に行き、支店の帳簿、書類を1泊2日の日程で監査していた。2日目の午後は仕事を早めに切り上げ、福山駅から電車に27分間乗って金光駅に着くのが毎回のことだった。駅も金光町も田舎で静かだった。本部の広前に座り拝詞を唱えて参拝した後、本部前の広場に立ち、教祖生神金光大神様が、お取次をされていた土地を訪れることが出来る幸せを感謝するのだった。金光駅から岡山駅まで山陽本線の電車に乗って、岡山から新幹線で新大阪に帰るのである。しかし体調のよい時は、倉敷で途中下車をして駅前のチボリ公園を訪れ、デンマーク人形をあさったり軽い夕食を摂ることが私のくつろげる楽しみであった。

手記No 278 思いが祈り そよ風 女性85歳 掲載号 2011/12/1 No21

 お道に御縁頂けば、思いが祈りになる事を忘れてはならぬ。素直な心が一番だと、全てを明るい面、良き方から見つめると、自然とお恵みが分からせて頂ける。わからぬ時は"教えて下さい"と祈ればよい。いきなり「金光様、歴代大先生」と取次頂けばよい。私達はお取次頂けてのお徳。大先生は"虎の位を借りる狐に例え「大先生のお徳をもちまして」と願えと。 全てのお道も頂点は無の境地と聞いています。自己を無にした時、我を捨てた時、神様が。"我が内なる神を見よ"とはその事ではないでしょうか。心に頂く言葉に、「こだわらず、とらわれず、しばられず、わらって、あかるく、すなおに感謝」。無への分かりやすい道しるべと思いませんか。お導き頂きお稽古させて頂きましょう。

手記No 277 一つ一つの命 心の花 女性70歳 掲載号 2011/12/1 No21

 人は命を頂いて生きています。空気、水、身体総て自分が作った物ではない力で生かして頂いている事実は誰にお礼を申せばと思わずにおれない我々です。が天地の道理を知ると毎日毎日お礼申さずにおれません。暖かく包んで頂いている天と地、守られていると思うと安心と喜びで頑張りが湧いてきます。自然とお礼の祈りとなって現れます。ひたすら祈るのです。世間の難問題も災難も祈るのです。そこから何かの光が射してきます。守って下さるのです。そんな大きな神様だからです。生き方を教えて頂けます。当然生活のあり方が変わってきます。人に優しく、物に丁寧に、常に穏やかな気持ちでおれるのです。幸せを感じることが出来るのです。朝目覚めらせて頂いたお礼。布団の上で休ませて頂いた布団へのお礼。今日も空気があり太陽の明るさの大きな自然のお礼。トイレでの気持ちよく受けて下さる土地のお礼。そして朝食と・・・どれ程のお礼を申せばと、朝だけでもお礼で一杯ですから一日では・・・それをつい当然のように過ごしてしまっている私、恥ずかしい限りです。先祖代々から受け継がれた子の命の一生、神様に褒めて頂きたいと願います。

手記No 276 「金光教ニューヨーク集会」 IZZY 男性69歳 掲載号 2011/12/1 No21

私は、平成3年から約10年間、ニューヨークに駐在していました。当時、5〜6家族、主に玉水の信奉者家族が、2〜3ヶ月毎に集会を開催されていることを知り、後半でしたが、参加させて頂きました。集会は各家庭持ち回りを原則として、カナダ、トロント教会教会長の岸井貴雄先生をお招きして行われていました。夜行の高速バスで朝6時に到着される先生をお迎えし10時から集会が始まります。拝志によるご祈念のあと約1時間のお説教、そして、信心継承を念頭に子供を対象にしたお話もあり、ありがたいことでした。昼食をはさんで、午後4時頃まで、海外生活で直面する家庭の問題や信心の進め方など、会話を中心としたお話を頂きます。お広前で拝聴するお説教とは違い、集会では家庭教師に信心を導いて頂いたような気がして懐かしく思います。
日米では生活環境が違い一概には言い切れませんが、多様化する現在社会において、問題点も複雑に変化しており、集会のあり方についても工夫をこらさなければならないと感じています。

手記No 275 腹が立つ原因は『自分が〜』の心 ニューべアー 男性64歳 掲載号 2011/12/1 No21

 先日、女房が私に「競争がなければ穏やかな社会になるのに・・・」と言いました。そこで私は「今は競争社会であって、その中で穏やかな心を持つことが大切だ」と言いました。これに対し返ってきた言葉は「それは無理だわ」。私は切れて言いました。「僕は今それをしようと努力しているのだ」と。その時点で私の心に穏やかさがなくなっていました。しまったと思いながら、私は腹を立てた原因は何かと考えました。そして解りました。原因は周囲にお世話になっていることを忘れ『自分が〜』という心がでたためであると。私はこれまで、何の状況に変化がないにもかかわらず、たまにですが、空から星が舞い降りるように、ささやかなことの積み重ねでたまらなく幸せだと感じることがあります。それは周囲のおかげで生かされていることがベースにあるからだと思います。腹を立てたのはそれを忘れてしまったためです。私の生涯の目標は『星の舞い降り』がたまにではなく常になるようになることです。修行はまだまだ続きます。

手記No 274 有り難うございました ハイビスカス 女性74歳 掲載号 2011/12/1 No21

 三月の御本部参拝の時、御祈念の終わりの頃、気分が悪くなり玉水の控所で休ませて頂きました。信徒会の役員様方には色々とお話くださり心強く思いました。明くる日病院に行き診察を受けた時、先生が心房細動のことをお話くださいました。心房細動は不整脈の中でも極めて多い病態で70才以上で5%、高血圧患者の5〜10%に現れるという報告がある。症状には大きな個人差があります。多くは動悸や胸部に不快感を主訴としますが、無症状の人もいれば、日常生活が障害される事態に成る人もいます。神様のおかげを頂いております。色々とありがとうございました。

手記No 273 初代大先生のお取次 和 甫 女性79歳 掲載号 2011/9/1 No20

 祖母が北浜三越の裏側で傘・提灯・ノボリ等を扱う商売をしておりました。祖母と番頭さんそして女中さん方々と(祖父は早く他界)商売をさせて頂いておりました。ご近所の方から信心を教えて頂きお教会にお引き寄せ頂き信心のおかげを頂きました。私は子供の頃には体が弱く大変無口な子でした。そのことが母の悩みの様でした。私は胃も弱く「胃けいれんを」よく起こしておりました。ある日祖母はお参りさせて頂いた時、大先生はお火鉢にお出ましでした。祖母と一緒に大先生のおそばに行かせて頂き、体の弱い私のこと を「おねがい」申し上げさせて頂くと、大先生は「立ってみ、向こう向いてみ、こっち向いてみ」・・・と体 を見て頂きました。多分6〜7才ぐらいでした。それ以来おかげを頂き大病することなく今日迄元気で日々過ごさせて頂き大変おかげを頂いております。今振り返らせて頂けば最高のおかげを頂き益々元気で日々暮らさせて頂き「有り難うございます」とお礼を申し上げさせて頂くのみでございます。

手記No 272 初代大先生のお取次 ぜんさん 男性94歳 掲載号 2011/9/1 No20

 祖父・母が初代大先生にお取次を頂いていた。しっかり信心せんとぜんさんは5才まで命ないで・・・と言われた。そのとおり子供の頃はひ弱な体であったがだんだんおかげを頂き学生の時は登山部で活躍出来るようになった。軍隊入隊の時も母がお取次を頂きぜんさんは偉くならない方がいいな・・・と言われたらしい、フィリピン戦場で、夜間我が大隊砲第一分隊と約5m程離れた所に陣取った第二分隊に敵の砲弾が撃ち込まれ分隊長戦死、隊員3名重傷、当時指揮班長の私に砲隊長から第二分隊長を命ぜられ作戦に参加しました。その後戦死者又熱帯性マラリヤで病死者もたくさんでました。が私が引き受けた第二分隊は全員無事でした。コレヒドル要塞攻撃には砲隊長マラリアで入院、私が隊長代理を務めました。後で耳に入った噂ですがぜんさん隊長の下では今迄戦死者も戦病死者も出ないので安心したとか、思い返せば満州・中国・フィリピンの作戦全てその様な結果であった。祖父・母のお取次のおかげだと思う。偉くならない方がいいな・・・とはどういう意味だったのだろうか・・・?子供の頃お参りさせて頂きお広間にあがると大先生が手招きをしてくださりおじいちゃん、お母さん元気にしているかとよく聞いてくださった事を鮮明に思い出します。

手記No 271 初代大先生のお取次 U 飛47戦隊士 男性89歳 掲載号 2011/9/1 No20

 以来陸軍での軍隊生活では
@ 6ヶ月後の卒業時天皇陛下から恩賜の文鎮を授与されたこと。
A フィリピンネグロス島不時着事故2回97式戦闘練習機(背面となる 出火せず) 関東所沢 4式戦闘機(全焼事故) 小怪我のみ
B 特攻隊(陸軍特別攻撃隊)への任命もなく普通の戦闘機隊
 a. 29爆撃機への体当たり攻撃=振天制空隊
 b. 搬船への体当たり攻撃航空隊操縦士
  として ⇒ 1. 希望しない  2. 希望する  3. 熱望する の中から5分間の猶予で申請回答せよと迫られた。
大先生にお伺いの余裕もなく自分の立場を考えて 3. 熱望する と申し出たが、終戦まで任命もなく最新(2000馬力)4式戦闘機で125時間の戦斗、訓練に終始できました。 特攻隊員の心痛今にして偲ばれます。終戦以来三井造船(岡山)へ復職しこの方面で35年無事定年を迎えることが出来ました。初代以来歴代大先生のお取次を頂きながら現在も働かせて頂いております。

手記No 270 初代大先生のお取次 T 飛47戦隊士 男性89歳 掲載号 2011/9/1 No20

 当時玉水さんへのお参りは母が多く、私も子供の頃から母に連れられお火鉢で大先生のお話を伺うことが多くありました。青年会員になって友人が出来て楽しくお祭りの下足ご奉仕も勤めさせて頂きました。和歌山高商も大先生のお取次を得て入学させて頂き宿舎も湯川家のお塚の傍でよくお参りさせて頂きました。戦争開始は1年生の時、3年間ではなく2年6ヶ月に短縮になってS18年9月23日卒業式、18年10月1日宇都宮陸軍飛行学校金丸原教育隊へ入隊、18年10月8日初飛行で赤とんぼに搭乗、訓練開始と一週間刻みの大変化を味わいました。新設の陸軍特別操縦見習士官"第一期生に応募合格の結果として、この時も大先生にお届けして、従来の海軍予備学生と新設の陸軍飛行隊の2つについてお伺いの結果陸軍へ行けとの即答を頂きました。

手記No 269 結婚のこと こだぬき 女性81歳 掲載号 2011/9/1 No20

 結婚の話の時、母が勧めてくださる方がいたが、その方をお断りして自分の好きな人の処に行くと言ったら自身のことなので自身でお伺いしてきなさいと言われ二代大先生にお伺いさせて頂くと、苦労を承知の上だったらよろしいとのお返事。戦後間もなく家も焼かれはだかできてくれとのやさしさもあったが姑・小姑も同居2間しかない狭い新婚生活大変な苦労の連続、主人の稼ぎが一家の生活費、しかも家計は姑が握り小遣いもままならぬ生活であった。しかしそろってお参りには理解をしてくれ、主人も何事においてもお取次を頂いたとおり物事を実行してくれ数々のおかげを頂いて来ました。

手記No 268 天地の居候 白きたおやかな嶺 男性68歳 掲載号 2011/9/1 No20

 最近月の半分は信州で暮らしている。そこはなんの変哲もない山村であるが、家の周りには豊かな緑と花が咲き乱れている。朝夕小川の欲を散歩したり朝餉に野草を摘んでいただく。人間は自然の中に生かされていると実感する。しかしその天地の恵が都会に出ると商品となり自然の恵みを感じさせなくなる。この度の東北の大地震はこれまでの人生のあり方を考え直す契機となった。人間、いや全ての物は天地に生かされているのだ。それが都会に出ると商品/経済として変身してしまう。初代大先生は「神様はご主人、自分は奉公人」と仰った。大先生にして初めて奉公人と言われたのである。私は天地に奉公することはとても出来ない天地の居候と思う。それでせめて居候は居候らしくご主人天地の物を我が物と思わない努力をしよう。稽古しよう。この東北の悲劇で我々がせねばならないのは、我々が天地の物を我々の物の様に横領してきたことであろう。神様の悲しみと苦しみをおかけしてきたことへのおわびをせずにはおられない。

手記No 267 胃の中に金色の光が 百合 女性60歳 掲載号 2011/9/1 No20

 私の叔父は10年前に胃ガンの手術を受けさせて頂きましたが、85才の今日まで元気でおかげを頂いてまいりました。先日、定期検診を受けさせて頂いた時のこと、胃カメラで検査をして下さっている先生が叔父に「金粉の入ったお茶か、食べ物を摂ったりしましたか?」と尋ねられましたが、叔父はそのような覚えはありません。画像に目をやると胃の中は金色の光を放ち、天の川のように輝いていました。私は叔父の胃の中を守って下さっている神様を感じ、いいようのない有り難さで一杯になりました。姿形の無い神様は時として最新医療機器の中にそのお姿をお現しくだされ「神のご存在」をお示し下されたことを実感致しました。

手記No 266 その後の自動車運転 難儀な氏子 男性71歳 掲載号 2011/9/1 No20

 三代大先生に「スピード違反しても捕まりませんように」とお願いして大先生がお隠れになって10年7ヶ月目、28キロオーバーでパトカーに捕まり「ほんとは30キロ以上やけどまけといたげる」「今日から3ヵ月間、無事故無違反なら白紙に戻るから気をつけてください」とさとされた。「はい」と返事して3ヶ月を何とか過ぎた頃からまた本性がでてきた、というかいっこうに反省をしていなかったのだろう。今年の3月初め、日曜の早朝にいつもは渋滞しているがら空きの国道でネズミ捕りにやられた。「調書を作るのでこちらへ」と二人の警察官はニコニコしながら私を椅子に座らせ、チョット離れて小声で「バイソクや、バイソク」とまたまた嬉しそうにうなずき合っている、面白くない。あとで尋ねると「バイソク」とは制限速度の2倍以上のスピードのことらしい。それで「何も走ってない日曜日の朝に隠れてやらなくても・・・。それにこの測定器は正しいかどうかわからへん」と食い下がると「このあたりは死亡事故が多いんです、飛び出してきたら間に合いませんよ、測定器は間違いありません」という言葉に観念して後日罰金8万円と免停講習料1万3800円をしぶしぶ払って講習と試験を受けやっと免許証を返してもらった。そのときふと「もしこのまま捕まってなかったらほんとに死亡事故を起こしていたかもしれへんなぁ、神様が助けてくださったんや、真面目に取りくもう」という思いになった。三代大先生はこのことを御祈念していて下さったんやと15年後に気がついた。父はよく「お参りしても話を聞かなかったら何にもならん」と言っていたので話はできるだけ聞くように努めてきたつもりだが、ほとんどが頭の上を通り過ぎただけで、普段の生活に取り入れて実行に移す事が少なかった。真の信心とはそのことではないかと60年近く形だけの御参りを続けてやっと少し気づいたらしい、いつまでたっても難儀な氏子である。

手記No 265 「病気をして気づく健康のありがたさ」 IZZY 男性68歳 掲載号 2011/9/1 No20

 十年前、アメリカで脳腫瘍の摘出手術を受けたときのことである。生死をさまよう集中治療室から一般病室に移されて二日目、隣のベッドから「お隣の若い人よ、ラッキーだ、われわれは、今日も生きている。窓を見てごらん、朝日が差し込んでいる」と話しかけられた。その患者は、ジョンといい、ベトナム戦争の退役軍人だった。 銃弾を頭に受け、脳専門病院を転転、治療を受けていた。脳の機能を補佐するため、胸には電子辞書大のコンピューターが埋め込まれ、無数の電線が首筋を通り、脳から受信する電気信号を必要に応じて増幅、往信していた。翌日、左の目のまぶたが半分しか開かなくなって、大騒ぎになり、医者や電気屋さんがコンピューターを調整し、ことなきをえた。どうやら、脳の電圧が下がっていたらしい。われわれは、ややもすれば、目が覚め、周りが見えることを、当たり前のように思って生活しているが、これは、たいそう恵まれていることである。私は、その自覚と感謝が欠けていたことに気づき、以来、反省の日々を過ごしている。おかげを蒙り、今も元気に生活させていただいている。

手記No 264 人の役に立つこと ニューベアー 男性64歳 掲載号 2011/9/1 No20

 私と別に暮らしています母親は数十年にわたり俳句を趣味としてきました。師にも恵まれ教室を開き年配の方々にご指導させていただいたこともあります。その母親が数年前に認知症を発症し病院に行くもその甲斐なく、いよいよお教会へ一人で参拝することもできなくなりました。そしてある日、たまたま私の隣家の年配の方の趣味が俳句であることが解りました。そこでその方に事情を話し、押し付けになりはしないかと思いつつ10年前に母親が自費出版した俳句集を貰っていただきました。その方も思いがけない申し出に驚きながらも心よく受け取られ、私に、俳句を作ったらお母さんに見ていただけますかとの温かい言葉まで添えられました。私は、この出来事を取り急ぎ電話で母親に伝えましたが、本人は何せ自分が出版したかどうかの記憶もありません。しかし、電話の最後に「ありがとう」といってくれました。私にはたまらなく嬉しいことでした。本人が生きてきたこれまでの記憶は遅かれ早かれ大部分消えるかもしれません。しかし、親は病気でもこうした形で周囲の人に役立つことができ、また、私にとってもささやかな親への恩返しとなります。みんなが幸せであるよう心がけたいものです。

手記No 263 主人の死 U 針千本 女性62歳 掲載号 2011/9/1 No20

 主人が亡くなる2ヶ月前には多額の借金も完済できたこと、大切な仕事を持つ私に一日も介護や心配をかけることなく風のように逝ったこと等々、私共二人にとって、それはそれは大きなおかげだったと神様に深く感謝いたしております。「62才は早すぎる」と言われますが、寿命は生まれる前に神様と約束してきていると聞いております。全ては神様のご意志ですので寿命に早い遅いはないと考えております。主人は亡くなる数ヶ月前Y様から金光教式の立派な神棚をいただいてきました。それを主人の意志と受け止め、一周忌を期に仏式から金光教式に改式させて頂きます。そして今秋私の甥が素晴らしいご縁を頂き結婚という嬉しい出来事もあり喜びの毎日です。末筆ですが玉水記念館にて数年間「いきいきサロン」にも参加させて頂き、大勢のご信者様にも大変お世話になりました。この場をお借りし御礼申し上げたいと思います。誠に有り難うございました。

手記No 262 主人の死 T 針千本 女性62歳 掲載号 2011/9/1 No20

 その日は本当に突然やってきました。亡くなる寸前まで「死」という言葉さえ私の中には存在しませんでした。H,22,6,8,午後11時お風呂からでた主人の様子が変なのに気づいてあわてて駆けつけ抱きかかえると「心臓で死にそう」と言って倒れました。急いで救急車を呼びました。救急車がくる間に脈を診たら脈は既にありませんでしたので心不全だと思いました。それから通夜、葬儀とあわただしく時が過ぎました。今こうして静かに振り返ってみますと全ては「おかげの中での出来事」だったのだと思えるのです。脈をみた瞬間、私は主人の死を驚くほど素直に受け入れることが出来ました。死んでしまったものはしかたない・・・色々な思いが去来しましたが、生前主人は「私より先に死にたい」「ピンピン、コロリ」と死にたい・・・と申しておりましたので、主人の願いが100%叶ったのです。悲しむよりむしろ喜んであげようと思ったのです。苦労の多い、しかし健康にも仕事にも人にも恵まれ、全力疾走した悔いのない人生だったと思います。主人も満足だったと思います。

手記No 261 なぜ・どうして? 聖徳太子 男性75歳 掲載号 2011/9/1 No.20

 最初このテーマを書く事の始まりは、自宅に神様をお祭りさせて頂いております。そして季節の果物・食物等神様・ご先祖様に御礼を申しお三宝に盛りつけ・八足台に載せお供えさせて頂いております。ある時三宝に載せきれないお供え物を家内がじかに八足台にお供えしていたのでお三宝に載せなければ神様にご無礼なのでは・・・?との意見の相違。 そこでおたずねをしたいのですが

1, なぜお榊、お花をお供えするのですか?
2, なぜ四拍手をするのですか?
3, 葬儀の時の偲び手はなぜですか?
4, 玉串奉奠はなぜ?
5, 八足台あし8本わかるけど何故8本でなければいけないの?・・・

そんなことも知らないのかと言われそうですが、決まりの由来理由を知り理解した上で信心を深め高揚を計りたいと思います。教えて頂きたく宜しくお願い致します。

手記No 260 もう一度自分を見つめよう 遊 峰 男性85歳 掲載号 2011/9/1 No20

 我々夜安らかに床につき、朝また目覚め1年365日、雨・風・地震・暑い・寒い日にも早朝よりお取次を頂いている事はもったいなく有り難く教祖さんが言われたお言葉に「世間になんぼうも難儀な氏子あり取次助けてやってくれ」と神様のお言葉をお受けになり延々と5代にわたってお取次、ただただ有り難いことである。日常人間関係、経済の問題、民族の紛争絶え間なく、またタイの地震に1年も過ぎているのに食事も満足に与えられない、いまだにテント生活、学校にも行けない状態をテレビで見るとき思いを新たにしお礼を申し上げると同時に日本に生まれ絶えず日々お取次を頂いていることを感謝すると共に自分は何を世間に恩返しさせて頂かなければならないかを考える。

手記No 259 お互い助けられ生きる 遊 峰 男性85歳 掲載号 2011/9/1 No.20

 この度は東北地方の地震により、家も財産も、家族・親族までも津波で失い、また原子力発電所の被災により田畑の作物、海には魚介類への影響、さらに職を失い生活にお困りの人々のことを思うとき、人は働くために生まれてきたことをしみじみ考える。働くとは傍(はた)を楽にさせること、周りの人に喜んでもらえることをすれば、やがて自分に良いことが起きてくる徳として生まれる。お道の信心で人を助ければ一人の神と教えられている。人を助ければ我が身も助かると教えられている通り神を拝む人を拝む、寝たきりの病人を拝む、またどんなに忙しい人でも心の中で人のことを拝むことが出来、神様も喜んでくださると思う。人を助けたら我が身も助かると信じ、今日も喜んで歩む。

手記No 258 無常の風に時を嫌わせる信心 まろん君 男性47歳 掲載号 2011/9/1 No20

 最近、我が家で雨漏りがしだしてほとほと困りました。かつて、亡父の考案で屋根に天窓を開けたのですが、その天窓の周囲に金属部分があり、それが錆びてきて水が漏れるようになったのでした。結局、屋根修 理専門の業者に頼んで、高くつきましたが、なんとか解決したのでした。このように、私達は、ふだん神様に願っていること以外に。思わぬ方面から難儀を蒙る危険性の中に生きています。「ふれあいの広場」に投稿された信者さんの中には「本当に神様っているのか?」とか「願ってもおかげを頂けない」とか嘆かれる方もおられ、お気持ちも分かりますが、神様は、自分で意識していない別の方面のことを守って下さっていることがあるように思います。目に見えないおかげです。例えば私達は、子供の頃、成長しますが、自分の骨が伸びている感覚など持ちません。それでも骨は徐々に伸びていて、それは神様がつかさどって下さっている重要なお働きです。私達信者は、「今願っている当のおかげが頂けないから」と信心を捨てないように気をつけたいものです。

手記No 257 一発で治った病気 まろん君 男性47歳 掲載号 2011/9/1 No.20

 我が家に金光教のお道との御神縁を初めて持ち込んだのは、母の叔母です。私には大叔母ということになります。母にとっては、子供の時から可愛がってくれた十四歳年長の叔母でした。戦前、この人は難波の、あの高島屋に勤めていたのですが、その上司から玉水様へお導きを頂いたのでした。大叔母が信心して間もない頃のことですが、永く婦人病か何かを患っていたそうです。(病名を忘失しました)そして玉水様のお結界におられた二代大先生に次のようにお届けさせて頂きました。「もう治らないと医者からも言われておりますので、あかんやろとは思いますけど・・・」という感じでした。すると二代様は「そんなことあるもんか」 と、多少、怒声めいた言い方で仰ったそうです。ところが、それ以来、きっぱりとその病気は治ってしまったそうです。このおかげ話は、大叔母からも母からも何度か聞きました。大叔母も母も生涯の最期の最期まで、信心を放しませんでした。有難いことでございました。

手記No 256 花を咲かせ続けて 八重桜 女性88歳 掲載号 2011/9/1 No20

 私はいつも「ふれあいの広場」を楽しみに読ませて頂いております。それには沢山の方々の尊い体験談が載せられており、信心の参考にさせて頂いております。現在まで自分自身の人にも言えない悩みや苦しみ等は、毎号の「ふれあいの広場」を読ませて頂きますと、世の中には本当に辛いことを体験された方々が多いと言うこと、それらの方に比べ私自身神様のおかげで辛いことも多々ありましたが教会があったればこそ、大先生がおいで下さったならばこそ辛い苦しい時点を乗り越えさせて頂き、現在日に日に何の苦もなく生活させていただけ、本当に金光教を親が信仰させて頂いていたからこそと改めてお取次下さいました大先生と神様にお礼申し上げたいと思います。

手記No 255 天地の開ける音を聞いて そよ風 女性 84歳 掲載号 2011/9/1 No.20

 "今天地の開ける音を聞いて・・・"の教えに常々どんな音・・・と想っていたが伯母がお徳を頂きお国替えの朝、清々しき雲一つない晴天の日ドーンともバーンとも形容の出来ぬ絶大なるものが心に響き「怖い」と叫ぶ、親族の一人に「しっかりして」と背中をさすられ平静に戻りすぐに心中祈念しました。人を恨み恨まれると双方共に助からず、人は時に知らぬ人や相手の取り違えから憎まれることもある。"知らず知らずの罪・めぐり。親族一族縁者の方々のお礼お詫びを共に祈念させて頂き、初代の"祈りは大きく"のみ教えはこのことかと気づく。すべての教会のご比礼万物への恵み世界真の平和への祈りの道をとお導き頂ける幸せを改めて知る。一重に歴代大先生、現大先生のお取次があればこそ。

手記No 254 初代大先生のみ教え 昨秋浪人 男性 79歳 掲載号 2011/9/1 No20

玉水教会が開教しての100年記念祭の時、私は「初代大先生のみ教え」のカードを頂いた。それ以後、これを机の上に置いて、毎日当日のみ教えカードを読み反省と実践の努力をしている。初代大先生のみ教えは4つである。それらは
@「常に心を清らかに持たして頂くために」
A「角立つ心を丸くするために」
B「災い転じて仕合わせにさせて頂くために」
C「自分の役割をあきらかにして責任を果たさせて頂くために」
である。この中で角立つ心を丸くする。すなわち腹を立てないということがもっとも難しい。私は信心を毎日の生活の中におり込み、生活と信心は一つのものだということが分かってきた。嬉しいときは天地金乃神様に感謝し、困ったときは神様に祈念しておかげを頂いて生活をしている。

手記No 253 初代大先生のお取次 U みさちゃん 女性 92歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 女学校受験に際し合格をお願いし受験に行ったが是非合格のお蔭を頂きたかったので、受験後改めて帰宅前に再度お願いに行った。初代大先生はにこっと笑顔で合格しているで・・・と答えてくださった。まだ今試験を終えたばかりで試験官も採点をしていない時間帯なのに!!・・・ あまりの嬉しさに飛んで帰り母にその事を伝えると、まだ発表もされていないのに、6人同じ学校から受験したが誰が合格しているか判らないのに誰にも言ったらいけないよ・・・と子供心を封じられた。結果私ともう一人合格をしていた。未だ採点もされていない答案を見抜かれていた。

手記No 252 初代大先生のお取次 T みさちゃん 女性 92歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 大正14年父が初代大先生に初めてお会いし信心が始まった。初代のお言葉を頂き天王寺から中之島へ移転、その時から大きな商売のお蔭を頂いた。私の母が健康のお蔭を頂いていたが、信心させて頂くようになってから胃潰瘍になり毎月洗面器一杯に吐血をするようになった。未だ信心が浅く怖いもの知らずで、信心するようになってから、元気だった体が何でこのようになったのか尋ねた。すると大先生は、あんたよお考えてみ!あんたは専業主婦なのでなんぼ寝ていてもいいが、大きな商売をしているのに主人が寝込んだらどうするねん・・・と言われた。私と姉・兄と姉妹5人学校へやらなければ成らずお金もかかる。しかし私が女学校を出てからしばらく病状も変わらなかったが父が亡くなると同時に健康のお蔭を頂き吐血もとまり93才まで病気一つしなく元気な生涯を何不自由なく過ごさせて頂いた。

手記No 251 初代大先生のお取次 遊峰 男性 85歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 昭和7年頃の事です。近所に親一人子一人の家族がおられた。親は文房具店を営んでおられ男の子ばかり9人の子持ちであったが8人まで亡くされたった一人の子に足と手全身へとできものが広がった。近くの病院に1ヶ月入院しても治らなかった。それを知った信者さんが初代大先生にお取次を頂き御神酒1升瓶を全身に吹かれ5日間で全快、それからおばさんがお参り、私の母が貴方どこへ参っておられます?私もいっぺん連れて行ってくださいと言うことになり、母がお参りさせて頂いたのが昭和9年頃、その後私小学校卒業後勉強させてやろうと親の思い陸軍技術員の学校へ初代大先生のお取次により見事合格、母と一緒にお礼参拝始め(昭和15年4月1日)現在に至る。

手記No 250 初代大先生のお取次 やすらぎ 女性 92歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 私23才主人31才の時縁談話があり多くの候補者の中から主人は相手を決めかねていたらしい、兵役が終わり、初代大先生にお伺いしたところ、一番最後に書いてあった私を指名して頂いのでした。そして縁談が調い結納が収まってからのお見合いでした。私もそれからの信心であり婚家は旧家で大変な部分もありましたが一つ一つお取次を頂きながらおかげを頂いてきました。主人も85才まで健康でたった一日だけの患いで帰幽させて頂き、私もこの年まで元気にお参りさせて頂いております。

手記No 249 初代大先生のお取次 U さざれ石 女性 89歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 今より15年前74才の時に三代大先生のお取次を頂き自宅駐車場を取り壊し4階の賃貸マンション(12戸)新築のお蔭を頂きました。神様のお社をお祭りさせて頂く新しい飾り棚が欲しくてデパートにて希望通りの品を購入させて頂きました。後日夢の中で初代大先生が我が家にお越し下さり「神様をどこに祭っているのや」とおっしゃいました。思わず神棚の方を見ますとお社は飾り棚ではなく昔使っていた古い本箱の上にありました。大先生のお顔は優しいお顔でお体から後光がさして目が痛い位眩しく感じられました。形より心が大切という事をお示し下さったと私なりに思わせて頂きました。夢とは言えお亡くなりになり50数年経って我が家にお越し下さったことは大変有り難く終生忘れることのない勿体ない思い出でございます。

手記No 248 初代大先生のお取次 T さざれ石 女性 89歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 両親が信心させて頂いていたお蔭で弱かった私が健康のお蔭を頂き親よりも長寿で今日を過ごさせて頂いております事を有り難く思っております。特に印象に残っておりますことは、8才ぐらいの時と思いますがお広前に座っておりますと、お参りの人をかき分けて初代大先生が近づいてこられ私の頭をさすって下さり背中もさすってくださり終始無言でお立ち去りになりました。後年健康診断で医師より「肋膜をやったことがありますね」と言われ、知らぬ間に病気を治して頂いて居りました事を改めて判らせて頂きました。20才の時女学校の創立20周年記念に学友会よりお祝いの原稿を頼まれ初代大先生にお届け致しましたら「そうか、しっかり書きや」とやさしくおっしゃったお声が耳に残っております。

手記No 247 初代大先生のお取次 U 至らぬ私 女性 85歳 掲載号 2011/4/20 No.19

  私の母が42才で子宮癌になり、大阪病院に入院しました時に、私がお届けに参りますと神様は来年2月にはあかんと仰っているんや、けれど私はなあ4人の子供が女学生と中学生、小学生で一人前に成っていません、なんでも命を継いで下さいと必死でお願いしている。あんたらもこれから一日6回参ってお願いしなさいと言われ、父と子5人が6回お参りして必死で母の寿命を願いましたが、翌年初代が亡くなられました。 2月1日から10日祭の日にお国替えさせて頂きました。私達親子は初代の最晩年の貴重な日々をお取次頂けました。母も壮烈な癌の痛みと闘いながらただひたすら神様と初代のお言葉に従い痛み止めのモルヒネを使わず、頑張って"お前達お参りを・・・"と言う言葉を残して逝きました。

手記No 246 初代大先生のお取次 T 至らぬ私 女性 85歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 初めて母に連れられ初代大先生の前にお届けに行きました。お火鉢の所で大勢の信者に囲まれ左右の書生のお届けを次々と簡単明瞭なお言葉で答えておられました。小さな私を御覧になりあんたそれバセドウ氏病(疲れると首が腫れる)やで!そこに立ってみ!しっかりお蔭を蒙りと仰いました。母に朝晩首にお神酒を 吹いて頂き、何時しか20才位で治りました。女学校も第一志望に落ち絶望的に成っておりましたが東樟蔭高女に行け、そこでないとあかんのやで!と言われ厳しい季節、道のりを往復半里余りを5年間無欠席で通いすっかり体質を作り替えて頂き、今日85才迄健康のお蔭を頂いております。

手記No 245 信心の継承 浦島太郎 男性 69歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 今年孫が中学校入学試験を受けた。この孫は帰国子女であり英語が少し話せる、在米中も日本人学校ではなくアメリカンスクールに通っていた。親として祖父母としてこの家族には何の手助けもしてやれなかった。それだけにお取次を頂きご祈念には力が入った。帰国後も英語を忘れないために弟と共に英会話の塾に通っており住まいも神戸で外国の方が多く住まれるゾーンであり遊びの中にも英語を取り入れている。一時芸能スカウトにも目をつけられたらしい。英語力を付けてやりたいとはパパ・ママの願い。合格祈願を込め私も朝参りを始めた。やがて本人の知るところとなり「寒い中、眠たいのにありがとう、私も頑張るネ」とのこと。発表当日会場かららしく「ジィージうかったヨ!」との電話、「お祝いちょうだいネ」とのこと。「先に御礼でしょ・・・」との言葉がつい出てしまった。後日、自ら御礼参拝を申し出たことには少し心が癒された。

手記No 244 「一心の願い、祈り」 北斗七星 男性 63歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 還暦を過ぎると、あゆみを読んでいるとふとこれまで一番一心に願い祈ったことはなんだったのだろうと思いました。30歳結婚をしたころから55歳ごろまでは日々の仕事に追われていたのか、何を願い祈っていたのか思い出しません。子供が生まれること、仕事がうまくいくこと、子供の入学に関すること、その折々に願い祈っていたことと思います。しかし、仕事に没頭していたのか、『我』に没頭していたのか、記憶が定かでありません。一番鮮明に思い出しますのは、『大学入試の願い祈りです』。高校3年の夏、どうしても大学に入りたいと思い、『○○大学に合格させてください、入学させていただいたら、少年少女会の御用をさせていただきます』とお届けし、一心に願い祈りました。この頃から、3月まで、不思議なように机に向かわせていただき受験勉強に励みました。その結果無事希望大学に入学し、また卒業をさせていただきました。豊かでない家庭状況でしたので浪人できない、学費の安い大学へ入学させていただきたい、病弱な母を何としても安心させたいという思いが、この一心の願い祈りになった気がいたします。一心に願い祈り、一心に努力する。残りの人生、一つでも多くこのような記憶残る『一心の願い祈り、一心の努力』をしたいものです。

手記No 243 「育つ、育てられる」  北斗七星 男性 63歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 数ヶ月前、お広前の掛だし(祭典で参拝者が多くお広前に座れるようにすること)を見ていました。この御用は青年会の役割です。年配の人間から見ると、失礼な表現ですが、日頃はなんとなくいい加減と言いますか、今頃の若者という感じですが、この木組みの御用が始まると、相談もせず、多くの指示もないなかで、きびきびと土台を組み立て、その上にシッカリした床板を並べて行きます。なんとなく見ていてすがすがしい感じがしました。帰宅し晩酌をしながら、自分も若いころ同じように作業をしていたのを思い出しました。 集団で作業すること、早く安全に組み上げるために次に何をしたらよいのか考えること、体を動かし体力をつけること、いろいろなことを知らず知らずのうちに、学んだのだと思いました。この学び育てられたことが、会社の土台の部分でどれだけ役立ったことか。当時は重いも木だ、早く終わらないかなーと思いながらしていたことが、今になると御用をすることにより、知らず知らずのうちに自分自身が育ち、育てられたと思えてなりません。

手記No 242 『若いお母さんの一言』 ニューベアー 男性 64歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 ほぼ満席の大阪・地下鉄車内でのことです。赤ちゃんを抱いて立っていた30歳前後のお母さんが、笑みを湛えながら同年代の連れの女性に、「この子もこうして今抱っこさせてくれているけれど、こんな親孝行してくれるのも3歳位までやねえ」。と話しながら、次の駅で降りていきました。私は彼女のなんでもない言葉で嬉しくなりました。と言いますのも、昼夜なくミルクやおしめの世話等で育児ノイローゼになるお母さんもいると聞きますが、彼女にはそんな気配は微塵もなく育児ができる今を楽しんでいる様子だったからです。もう一つは、彼女は自分の子を一人の人格と認識しながら、親孝行という糸で自分と結びつけていたからです。死語になりつつある親孝行という言葉を、若い方の口から自然に発せられたことは素晴らしいことですし、健全な心を持った子供の育成に役立つこうした考え方は自分のことのみを考えるモンスターペアレントをなくすためにも大切です。将来を託す青少年・若者に元気な心を育む役割は我々おとなにあることを、自らの反省も踏まえ書かせていただきました。 

手記No 241 祈りをベースにさらに踏み込む ニューベアー 男性 64歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 世界的チェリストの堤剛さんは、「音楽は生きる喜びを表す」と教わった師のおかげで、初舞台で聴衆から受ける雰囲気を緊張から喜びに変えることができたと話しておられます。(3月27日NHK教育テレビ放送「N響アワー」) 師の言葉は、音楽のプロとして携わるうえでのご本人への教えではありますが、堤さんと聴衆の間に「一人では生きて行けない」という相互に認め合う考え方や「生きる喜び」の大切さが込められていることに気付かされます。世界の価値観が個人・自分中心へと加速度的に進んでいる中で、何としても、皆で祈りをベースに、今回の大震災で亡くなられた方々や被害に遭われた方々の犠牲を決して無駄にすることなく、また、先人から受け継がれてきた素晴らしい資質を継承し、さらに踏み込んで自らの役割を考え直す機会としたいものです。

手記No 240 初代のお言葉 おかげ U こだぬき 女性 80歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 私が21才ぐらいだったと思います。京都にある会社に勤めていて阿倍野にある百貨店の応援店員として勤めていました。その時初代大先生のお墓が阿倍野にあったのを覚えています。お参りする方が多くおられ、お墓の前ですがりつくように御祈念されていました。私もその一人として毎日お墓にお参りして帰っておりました。ある日初代大先生がお墓から立ち上がって土が崩れるのを夢で見ました。そんな夢を頂いたのは何故か今でも解りませんが、それから身体検査で胸が悪く結核になり会社を辞めて病院で薬を貰いましたが、それを服用せず母がご神米を頂きなさいそしてスッポンの甲羅を丸焼きにしてそれを粉にして頂き入院せず母の一心の祈りで助けて頂きました。何があってもおすがりして祈って祈って助けて頂くと言う事を教えて貰ったのです。全快して、今日まで結核の跡形もなく生かせて頂いております。何事も祈って祈っておかげを頂く、初代大先生のお姿は見えないが私の頭の中では生きて居られます。

手記No 239 目に見えるお蔭 U まろん君 男性 47歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 では、次の場合はどうだろうか。その子が母の胎内にいるとき、母は、神様から「お前が信徳を積んだので、この子をお前にやる」と告げられた場合。そして、その子は、長じるにつれ、やはり親孝行な青年になり、女性は人生の節々でなにかと助けられた場合。この場合は、女性は、「信心して信徳を積んだから、神様がこの子を授けて下さった」と明瞭に認識していることになる。これは目に見えるお蔭となっている。同じ現象でも、自分で気づいているかどうかで、目に見えるお蔭か見えないお蔭かが分かれるが、私達は自分で気づかないお蔭をたくさん受けて生きている(と、金光教では仰っている)。また、平穏無事な日頃は何も起きなくとも、思わぬ厄難に逢わないとも限らず、女性は弱い側面があるから、授けられた子が、やがて思わぬ役に立つ日が来ないとも限らない、という側面も付言しておきたい。

手記No 238 目に見えるお蔭 T まろん君 男性 47歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 亡母はいつも「金光様は、目に見えるパシッとしたお蔭を下さる」と言っていた。さて、目に見えるお蔭と、目に見えないお蔭とはどう違うのだろうか。一例として、たとえば、ある一人っ子の女性が、三十歳で男の子に恵まれたとする。この男の子は、やがて成長し、何かとお母さんの手伝いをしてくれたとする。中学生にもなれば、重い荷物などを持ってくれるようになった。さて、このわが子が出来たお蔭で、始めは一人っ子だった女性が、なにかれとなくずいぶん助けられたことになる、女性は子供が成長して手伝ってくれるのは自然なこと、当たり前のこと、と思っているかもしれない。この場合、女性は目に見えないお蔭を頂いたことになろう。気づいていないが産んだ子によって助けられているのである。

手記No 237 信ずる気持 聖徳太子 男性 74歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 入信して10数年以上になるがいまだに拝詞集を暗記していない、拝詞集を見ながらお広前に座り参拝している。また参拝時心から念じて家族全員と私自身が健康であります様にとお願い申し上げている。いつもおかげを頂いて有り難うございますと申し上げているが、お詫びの言葉は一言たりとも申し上げた事がない。御教えを守っているか?食前訓、食後訓を忘れていることがある。正直申し上げて御教えを全て守り実行しているかと問われたら私自身なにぶんにも怪しいものである。この状況ではおかげはないと思う。おかげは和賀心にあり、と教えの通り自分自身の行い習慣ずけを厳守して正しく歩むことが大切だと思います。

手記No 236 難を逃れる道 遊 峰 男性 84歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 どんなに頭が良くても要領良くとも、いつどんな災難が降りかかるか分からないのが人間である、保険があっても絶対回避できない災難もある。その中に運の良い人、奇跡的に助かる人、単なる偶然とも思えない人達を調べると、本人か又親先祖に人助けをした人が多いように思う。人を助け高慢な心ではなく当たり前のことをしたまでと深く考えない人もある。折角良いことをしてもバカらしいと思いながらする人もあれば自分のことよりも人様のことを大切に考える人の場合人の為に誠の心を積み上げた分徳として自分に返ってくるように思う。世の中に案外楽な生活をしている人、毎日人一倍働いても暮らしの良くならない人もある。これは先祖のめぐり、徳であるように思う。

手記No 235 感謝足らない日々 遊 峰 男性 84歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 我々はお蔭の中に生活させて頂いて居る事を今もう一度原点に振り返って考えてみよう。朝・昼・夜とお取次頂きながら、或る娘さんの親は朝早く起き弁当作り朝食を用意し笑顔で見送り、夜は帰宅笑顔で迎えるのに口も聴かず疲れたと食事を済ませ勝手なことを、今時学校卒業しても活動しても就職できない人、又職を失っても家族の生活の上にお蔭を頂かれ生きて居ることをもう一度見つめ直そう。

手記No 234 神様の目、耳、口 八重桜 女性 88歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 最近教会があればこそ、そして信者様のあいよかけよがあればこそと心の底から思わせて頂いております。それは私自身の問題なのですが、ある日私は熱湯を手から滑らせ右足にかかり火傷をしてしまいました。動転してしまいお願いを忘れ病院へ行き治療を受け少し楽になりました時にお参りしお届けをさせて頂きました。ところが何方かすでに私のためにお届けをして下さっていました。これぞ教会へのあいよかけよの実践ではないでしょうか。心よりお礼申しさせていただきます。これまで身内以外のことを真剣にお願いさせて頂いたことがあったでしょうか。反省しております。今後は人様のことも祈らせて頂きたいと思います。

手記No 233 歴代大先生 八重桜 女性 88歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 おかげを頂き本年も歴代大先生のお祭りを頂くことが出来ました。万障お繰り合わせを願い参拝のかげを頂きました。例年年祭の時は寒さ厳しい時ですが、初代、二代、三代大先生はみたま様ながら当日の無事参拝を御祈念下さったのではないでしょうか? 遠方からお参りのかたも健康にも恵まれ本当に有り難いことでございました。今日のことを常日頃私達信者のためにご祈念下さいました歴代大先生の御霊様に心よりお礼申し上げ感謝の気持ちで一杯です。

手記No 232 ザ KANREKI ムーンライト 女性 60歳 掲載号 2011/4/20 No.19

 この世に命を授けて頂いていつの間にか60年の歳月が過ぎました。その間にどれ程神様のご苦労があり、どれ程のおかげを頂いて生かされてきた事でしょうか・・・再びお引き寄せ頂き、今神様の懐で信心させて頂ける幸せ・・・生んでくれて有り難う、育ててくれて有り難う、守ってくれて有り難う、今両親に御礼を言いたい私・・・神様有り難うございます。親先祖を大切に・・・この教えが広前にあふれています。神様に御縁があるという事はすごい事なのだと改めて実感致します。神様からは絶対に手を放されない。氏子から離さなければ神様はいつも両手を広げて待っていて下さり抱きしめて下さる・・・そう確信します。御縁あった私達は本当に幸せなのですね・・・。

手記No 231 初代のお言葉 おかげ T こだぬき 女性 80歳 掲載号 2011/2/1 No.18

 私が小学校1年生の時、中耳炎で通院をしていました。担当医が明日この証明書を持って入院をして下さいと母に言われたのを覚えています。母はその証明書を持って家に帰らず私の手を引っ張るようにして連れてこられたのが玉水教会でした。お広前に入ると初代大先生が座って居られその前に連れて行かれておじぎをしなさい・・・と言われました。母が大先生に何かをお届けすると私の耳に手を当てられ一週間と言われた事を子供心に鮮明に覚えています。それから一週間母は教会の井戸水をくみ耳に吹いてくれました。それから病院へ行きますと担当医がびっくり、どうして治しました?・・・と聞かれたのを覚えています。こんなおちゃんがとご無礼な事を思っていた小学校1年生の私、何事があっても一週間過ぎれば改めて一週間と願うようになりました。今はお写真をじっと見詰めその日の目を拝見、今日は何かあるなと言うと嫁も納得するようなおかげを頂いております。仕事の方も福祉服飾デザインで特許を頂き、何事も一心にお願いさせて頂くことを教えて頂き、本当に幸せな充実した日を送らせて頂いております。

手記No 230 初代のお言葉 おかげ まろん君 男性 46歳 掲載号 2011/2/1 No.18

 重要な追伸をもう一つ私事で恐縮です。実は、母が初代大先生からお言葉をきいた中で、私のことを言ってくださっています。兄が大学の時、授業にも出ず熱心に小説を書いていました。もともと兄は創造性豊かで、文学でやっていこうとしていたようです。その頃、母は初代大先生にお祈りしていると「下の子がもの書きになる」というお言葉を聞いたと言っていました。そのとき母は、兄のことを可哀想に思ったと言っていました。下の子、つまり私です。その後、親思いの優しい兄は不気味な精神病に侵されて行って、人生が台無しになります。(両親の死後ぐらいには、精神病の症状は治っていました。)大叔母は、兄を思いやり「両親の不仲が、あの子を精神病にした」と言っていました。私に関して、初代大先生は「この子を大学にやったら東京に行ってしまうぞ」と母に言ってくださいました。私は東京の大学にも受かったが、関西の大学に進む気でした。それで兄に相談すると「お前は両親の仲が悪いので、そばにいて仲をとりもとうとしているが、両親の不仲で子が犠牲になるものではない。むしろそんな親を切り捨てて独立するぐらいの気でいるべきだ。東京の大学へ行け。おまえ自身のためにもなる」と言ってくれました。結局、私は東京へ行き、その秋頃から、兄はおかしくなって行ったのです。

手記No 229 初代大先生は私の神様 八重桜 女性 88歳 掲載号 2011/2/1 No.18

 私は5才頃から前のお広前へ父母につれられお参りさせて頂いておりました。父は何事につけても初代大先生にお伺いをさせて頂き決めておりました。私が女学校に進学の時もそうでした。大先生は「この子は商業へやりや」と言われ当時大阪でたった一つの私学である女子の商業学校へ入学をさせて頂きました。おかげで何不自由なくその当時多額の学費がいったのであろうに神様のおかげを頂き卒業出来、戦災で無一文になりましたが、身につけて頂いた勉強のおかげで何一つ不自由なく今日まで暮らさせて頂いております。これ一重に初代大先生のお言葉のものだと日々お礼を申し上げております。

手記No 228 咳が収まり眠れた まろん君 男性 46歳 掲載号 2011/2/1 No.18

 私の母は生涯、不眠症に悩まされました。翌日は工場の仕事なので、眠れない のは相当辛いことだったと思います。ある時、これは、風邪をひいて咳が止まらなくて眠れなかった夜のことですが、母はパジャマのままで、神様に咳が収まって眠れるようにお願いしました。すると神様から(又は初代大先生からだったか忘失)「うつ伏せに寝れば眠れる」と言われ、そのようにすると、咳も収まり眠れた、と言っていたことがありました。全く有難いみかげでございました。

手記No 227 初めてお参りした動機 昨秋浪人 男性 79歳 掲載号 2011/2/1 No.18

 「ふれあいの広場」No,17手記番号0213すぐいただいた大きなおかげを投稿させて頂いたところお参りの動機は何だったのですかとの質問を頂き書かせて頂きました。私は昭和63年から平成2年までの2年間大阪西区で仕事をしていました。そして江戸堀、土佐堀の地区を歩くとき、金光教玉水教会の前を歩くことがあり、教会の内部はどんなところかと興味を持っていました。しかし神社のように自由に中に入ってお参りするところではないと思っておりました。平成13年胸が背中が痛み、病院の内科部長の約半年の診療をうけたにもかかわらず、病名もハッキリせず、病気も良く成らずに困っていました。そこで思い切って神頼みと決意して教会に入りお参りした次第です。

手記No 226 四代金光様のみ教え 至らぬ私 女性 85歳 掲載号 2011/2/1 No.18

 今から27年前、主人が肺癌に罹り、余命数ヶ月と医者から宣告されました。何の痛みもなく、肺炎ぐらいに思っている主人に、私は溢れる涙を見せまいと直ぐにお教会に走りました。次第に容態も悪化し、点滴と輸血と水しか頂けなくなりました。主人が「一度自分に代わって金光様にお願いしてほしい」と申しました。翌日大阪を発ち、御本部にお参り致しました。そこで今は亡き四代金光様に主人の病状、主治医の話等、逐一お届け致しました。金光様はじっと聞いておられましたが「しっかりお礼を申し上げなさい」と仰せられました。「金光様。主人は水しか頂けません、命もあと数ヶ月と言われております」「それがいかん。水が頂ける、有り難いではないか、第一今、空気を吸わせて頂き、尊い人様の血液を頂き、多くの方々の看護を受けている。もったいない事やないか!人は皆、神様にああしてくれ、こうしてくれ、と頼んでばかりいる。それは順序が違うのじゃ。家にはいる時、戸を開けんと入れんじゃろうが。その動作がお礼を申すことにあたるのじゃ。先ず神様に生かされているお礼を申し、戸を開けてからお願いを申しなさい」と噛んで含める様に諄々とお話下さいました。私は本当に目が覚めた様な気持ちが致しました。病院に帰り、賜りましたお話を主人に致しました。主人は其の日から神様、初代、二代大先生にお礼を申し、其の年の7月31日の未明に61才で亡くなりました。残された家族は初代、二代、三代、現大先生の深い御心を頂きまして、本当に幸せに暮らしております。

手記No 225 御 礼 一ツ星 女性 78歳 掲載号 2011/2/1 No.18

 昨年3月大先生、彌壽善先生、先生方の厚いお祈り頂き乍ら夫が他界致しました。その節には思いがけない大勢の方にお見送り頂き何と御礼申し上げて良いかわかりません。ほんとうにありがとうございました。 又その後私の不注意から骨折し多くの方にご心配をおかけしお祈り添え頂きました事に厚く御礼申し上げます。お一人お一人に御礼申し上げたい気持ちですが紙面をお借りしてお御申し上げます。一日でも早く身も心も健康で恩返しが出来ます様努力致します。よろしくお願い致します。

手記No 224 奈良の仏像に癒される旅 まろん君 男性 46歳 掲載号 2011/2/1 No.18

金光教は他宗排斥の気運がまったくない。これは金光教の最大の特質の一つかもしれない。教祖様は各所で、他の宗教も軽視しないよう諭して下さっている。私は現在、服喪中で、満中陰も明けていない身で、この世を去った兄を偲び、晴れやかな連休などに、昨年1300年で賑わう古都を一人で巡礼した。兄が一番喜んだに違いないはずの奈良仏教の国宝級の仏像を拝見したり、二十五菩薩の行列が金色の面を被り練り歩く珍しい供養会も訪ねて、少し心が癒された。仏教のもつ固有の安らぎのようなものには、かけがえのない魅力がある。兄の部屋に張ってあった阿修羅像のポスターを、私は兄の遺体とともに棺に納めたのだが、興福寺の、その国宝・阿修羅像も今度の旅で実物を拝見できた。1300年も前に無数の偉大な尊仏が作られたこと、それを見ると当時の人々の精神的レベルの高さをうかがわせ、当時の人々は、現代人よりずっと健全な希望に燃えていたに違いという良き印象を受けた。また、現代仏教はお葬式のみと関連しているが、奈良時代の仏教は、生きる人間の魂と呼応していたのだろう。金光教には本来無関係ですが、私は仏像などの「偶像崇拝」の価値の再評価について、思いを馳せています。
 
手記No 223 人を通して 遊 峰 男性 84歳 掲載号 2011/2/1 No.18

 信心は人に対する思いやりが肝心と思う、その反対に心掛けの悪い人は悪いこと作って言い散らし聴いた 人は日頃仲良しだった友人に口も聴かなくなり憎しみ教会で会っても顔をそむけその人は病気になりお参り 出来なくなった。人を見せて頂く、心掛け良い人は病気しても全快も早く、悪い人は治りも遅い様に思う。 自分を見詰めて改まらないと・・・と教えて頂く。

手記No 222 おかげの中に生かされて 遊 峰 男性 84歳 掲載号 2011/2/1 No.18

 朝起き夜休ませて頂く時、神様と寝床にお礼、今日一日のご用時間修了のご祈念させて頂く時、乗物費用都合よく、又お礼申し上げられ目を覚まし、今日もまた生かされた喜びを、如何に生きん今、今日、明日も神様にお礼を家でも外でも自分は神様に見守られている事常に忘れずに、人は自分を目立ちたがりたいものだ、初代大先生は目に見えない事は、大きく舞い、おかげあるなしは徹し続けよ奉公人。

手記No 221 運命(さざめ) 聖徳太子 男性 74歳 掲載号 2011/2/1 No.18

 ある日の朝、目覚めのお茶一服飲み干した時、ふと自分の過去から現在までの歩んできた人生が走馬灯のように頭に浮かぶ。足の傷口からばい菌が入り敗血症になり死にかけたところ病院の医師のてあつい治療に助けられたこと。アルバイトで大工さんの手伝いをしていて屋根のてっぺんから転倒落下した時、立てかけてあったサン木に引っかかり助かったこと。退職し年齢制限で再就職出来なかった時、以前勤めていた会社の上司から仕事を与えられたこと。ある時突然社会保険事務所の労務士さんが私宅を訪ねられ京都の会社に昭和28年から31年迄勤めていませんでしたか? 完全に忘れていた私、高卒後の話。手続きにより3年分年金が増えたこと。これらの出来事は本人の持って生まれた運命(さざめ)と言えばそれまでだけど、明らかに他の人の助けと神様から頂いたおかげだと感謝・感謝のお礼を申し上げている今日この頃です。

手記No 220 お国参りが本部参拝へと! 色えんぴつ 女性 ?歳 掲載号 2010/10/1 No.17

 夜行で行ったお国参り、座席のない人の為に列車の通路、デッキにゴザを引いてくださり、その上で座ったり仮眠する人などがいました。私達青年会員は何時も楽しく、けれど寒いデッキで隙間に新聞紙、雑誌、毛布を詰めても風が吹き込み、身もガタガタ列車もガタガタでした。そして深夜に金光到着、直ぐお広前に参拝する人、教主様のお出ましのお迎えのお蔭を頂く人、控所へ行く人色々でした。控所もきしむような階段を上ると、もうこれ以上人が上れば床が落ちるかもと思うほどの人で一杯でした。もそこは私の故郷、祖父母達が「よー来たなー」と迎えてくれている様でした。食事も役員さんが白い割烹着をつけお盆にご飯、おかず、汁物をのせて通路がなく食べている人の頭の上から配膳して下さっていたのを思い出し、また美味しかったあの汁物の味、今でも覚えています。また帰りでの姫路のおそばの味も忘れられません。帰路神戸を出ると車内の掃除です。全て80年間引き継がれてきた宝物。9月から新幹線でのお参りとなります。「楽にお参りが出来るようになってよかったなァ」と歴代大先生が喜んで下さってます。初代大先生から二代、三代と祈り続けられ、これからも祈り続け下される私。大先生本当に有り難うございます。お礼申し上げます。必ずお蔭頂きますのでよろしゅうお願い致します。なく、私のためにこそ、「生きてくれていた」のでした。

手記No 219 兄は「生きてくれていた」 U まろん君 男性 46歳 掲載号 2010/10/1 No.17

工場で二人になった私は、もっと真剣に兄と歩調を合わせるべきでした。たった二人の兄弟なのに、私は大事な兄に冷たくしました。大変きつく振る舞いました。考えてみれば、少年時代には親以上に世話をしてくれたかけがえのない尊い兄貴でした。金光教では親孝行を勧めるが、兄も親であることに気づくべきでした。「幼少の頃を忘れて、兄に不孝のこと」と自分を戒めて気づくべきでした。兄は部屋で飲酒中、高血圧による脳内出血で急死しました。それは、昼間から飲酒する兄の部屋の外で、絶対に言ってはいけない一言を怒鳴りつけた時間帯だったと思われます。人生で一番大事な優しい人を失い、文字通り「痛恨の極み」に土下座して泣き狂っても、戻ってはくれず、答えてもくれません。親や兄は、「生きていた」のではなく、私のためにこそ、「生きてくれていた」のでした。

手記No 218 兄は「生きてくれていた」 T まろん君 男性 46歳 掲載号 2010/10/1 No.17

 三年前に両親を続けて亡くした私は、先日、兄まで亡くしてしまいました。兄は長年、精神病を患い、人間関係と社会生活を損ない、家族からも疎遠にされ、不遇の生涯を、不遇のまま49才で閉じてしまいました。我が家は個人経営の工場を持ち、精神病の兄は、住宅地には住めないので、工場の二階に三畳間を設け、そこに住んでいました。兄は実直で思いやり深く、独創的な信頼できる人でしたが、23才で病に侵されてからは、家族からも疎遠にされるような不遇な生涯でした。対人関係でトラブルを起こすことがしばしばです。中には深刻な事態に発展しかねないケースも少なくありません。両親も私も、兄の病気には大変苦労しましたが、一番不幸なのは、冷静な見方をすれば、兄自身でした。両親をたすけ、日曜も祭日もなく工場の仕事に打ち込むほどに、仕事こそが尊く思えるのです。両親が死んだころは、兄の病状は、専門家の目には(私は大学で精神医療福祉を専攻しました)治っていました。

手記No 0217「海外生活と信心」 その2IZZY男性 68歳 掲載号 2010/10/1 No.17

そんな私に、社歴わずか2年で、社内でただ一人の海外駐在員に抜擢される話が持ち上がりました。満州で苦い戦争を体験した父は私の英国赴任に猛反対しましたが、母は二代大先生にお伺いした後、「行きたかったら、行ってきたらええがな」と私を後押ししてくれました。大阪で苦戦を強いられていた私を見かねた母の願いだったのかもしれません。二代大先生は私の将来をお見通しだったのでしょうが、若い私には、波乱万丈の人生が待ち受けているとは知る由もなく、想像すら付きませんでした。このようにして、始まった私の海外生活ですが、今思えば、あれもお蔭、これもお蔭と思うことばかりです。お互いに信心を進めさせていただく上で、何かの参考なるのではと思い、これから、数回に分けて私の体験をご紹介させていただきます。私も、「ふれあい広場」に参加することで、更なるお蔭を蒙って参りたいと思っています。

手記No 0216「海外生活と信心」 その1 IZZY男性 68歳 掲載号 2010/10/1 No.17

私は48年間の会社勤務のうち、約35年間、欧米を中心に海外駐在させていただきました。海外にいると国内にいるときのように頻繁に参拝ができないし、不慣れな環境での日常生活、多忙をきわめる職責などで、ややもすれば、信心と疎遠になりがちです。いわゆる、「足信心」ができなくなります。その反面、周囲を見渡すと、映画やドラマで見るように、日頃ラフな格好をしている現地の人々が、日曜日になると正装し、家族そろって、教会へ足を運んでおられる光景を見ると、金光教の教会があればいいのにと、羨ましく思う時もありました。私は小学2〜3年生のころ、祖母につれられて、初めて玉水教会にお引き寄せいただきました。今から60年前のできごとです。今でも記憶に残っているのは、お昼になると奥の間から、ご奉仕されている方がアルミのやかんに入ったお茶をふるまわれ、薄暗いお広前の隅で、家から持参したおにぎりを食べたことです。中学生時代はバスで通学していましたので、学校が終わると、帰宅途中、日参させていただきました。学校が休みの時は、毎朝、自転車で参拝し、6時のご祈念をいただきました。そのような努力の甲斐なく、高校入学に失敗した私は、家庭の経済的事情もあって、中学を卒業後、就職し夜学の高校で学ぶことになりました。不幸なことが続くなか、「神様って本当に存在するのやろか」と思ったりしました。

手記No 0215人生は修行中遊峰男性 84歳 掲載号 2010/10/1 No.17

 初代大先生はよく言われた言葉に「良くいってもおかげ悪くいってもおかげ」。まだ若い頃はピンとこなかったが、年をとると良かったことを喜び、悪かったら真剣にご祈念させてもらう。今振り返ればあれもこれもおかげ、ある時青年会員自分一人でご本部へお参りしお礼申し上げ、「人を通してお礼を」とお届けをさせて頂く時「はいはいおかげ頂きましょう」と言われ、「生きている間は修行中です」とにっこり笑ってお言葉を頂いたことを思い出します。

手記No 0214自覚させて頂く遊峰男性 84歳 掲載号 2010/10/1 No.17

朝昼夜と一日中結構なお話を聴かせて頂きながらその時は結構なお話有り難うございますと言いながらつい忘れる。初代大先生は「玄関を出るともう忘れる」とよく言われた。難儀な氏子だ、ある信者さんがお祭り献撰中旅行話とかある信者さんは「糖尿病で、医者にたばこをやめなければ死ぬと言われるが死んでも良い」と言って死んでしまう、またお参りに酒を飲んでお参りをする。お話聴をそれでも聞かせて頂きおかげの中にいかされて居ること教えられる。

手記No 0213すぐ頂いた大きなおかげ作州浪人男性 79歳 掲載号 2010/10/1 No.17

 平成13年8月、玉水教会を訪れた。結界に若い男性が横向きに座っておられた。後にこの方が教会長湯川正夫先生と知った。先生は「金光教の信心案内」という小冊子を下さり、「時々お参りしなさい」といわれた。「玉水100年、まことの信心まことのおかげ」の大きな文字が私の印象に残った。午後2時の一斉の祈念で拝詞を唱え、お参りを続けていると、その時の2月から続いている胸の苦しみと背中の痛みが病院の内科部長の診療にもかかわらず治らないことが誤診ではないかと気が付いた。そこで早速病院を替え検査をすると、狭心症だった。彌壽善先生の指導で12月手術をして元気になった。私は入信後僅か半年以内にこんな「おかげ」を頂いたのだ。

手記No 0212御神縁八重桜女性 87歳 掲載号 2010/10/1 No.17

私の亡き母は正直一途な人でした。その母が戦争中二人しかいない娘の一人を肺結核で亡くしました。戦争中の食糧難で栄養状態も悪く薬も無く只神様に祈るだけでした。朝夕お教会へ日参させて頂き娘の病気全快を祈りましたが妹は19才で死亡しました。その時母は神も仏もあるものかと思ったと申しておりました。その翌年我が家は空襲にあい、家は全焼し、無一文になりました。その時の母の心境は如何なものだったのでしょうか、哀れでなりませんでしたが、神様は私共を見捨てられませんでした。引っ越先の近くに教会の請負に携われた大工さんがおられ、その方のおかげでまた朝参りが出来る様になりました。そのおかげで私の今日があるのだと心からみたま様にお礼を申し上げております。

手記No 0211命の灯火聖徳太子男性 74歳 掲載号 2010/10/1 No.17

突然ダダーン、ドスンと二階から大きな物音、キャンと犬の鳴き声がした。階下に兄(80才)が大きな声で腰が痛いとわめき倒れていた。「何の用事があって二階に行こうとしたのよ」と家族の声「別に何の用事もない。何気なしに行こうとした」この事態が後日命の火を消し去る結果となった。早く救急車を呼び病院に行けば助かったかも知れない。本人が「大丈夫だ」との言葉に行かなかった。これが手遅れになるとは夢にも思わなかった。翌日、頭が痛い体がしんどいと言う兄。救急車を呼び搬送の途中救急士が応急予診をしたところ脳に異常がありと判断、脳神経外科病棟に搬送した。入院中2ヶ間に渡り医師から「今日か今晩がヤマです。ご家族を呼んで下さい」という危篤状態を数十回続けた。それでも命を永らえた。奇跡だと医師は言う。信仰心の強い人だったから、おかげを頂いているなと私は思った。いまだに不思議に思うのは、途中で一旦元気に回復し、言葉が喋れる様になり、見舞いに来た家族に手を握り締めて、後は宜しくと言っていつ迄も手を離そうとはしなかった。誰もが死を迎え辿る道だけれども、生かされていることに感謝し、お礼の気持ちを忘れずに人生を過ごしたい。

手記No 0210信仰心聖徳太子男性 75歳 掲載号 2010/7/1 No.16

 毎月信徒会会費を納める時にあゆみを頂くが平成21年 9月号の教風の中で霊祭を迎えるに当たってと言う文章で警蹕(けいひつ)(オーオーというかけ声)をかけて霊様をお遷しする遷霊式があるがされていない教会もあると聞いたことがあります。さらに霊様の存在にさえ懐疑的な信者さんもいらっしゃるとのことも聞いたことがあります。と言う風に申しますと「ではお前は霊様が確かに御霊殿にお遷りされるのが見えるのか」と問われると正直なところちょっと困ります。しかし私は遷霊式に際し霊殿の前でお参りさせて頂いておりますと二代、三代大先生が私の前で遷霊を助けてご祈念下さっているのを感じます。ここまで拝読していた私は以前甥っ子(義兄の息子)が19歳の若さでくも膜下出血で亡くなり自宅にての遷霊式・告別式にお参りさせて頂いた時のことを想い出しました。故人の大学、友人、近隣の人達参拝の中義兄も金光教の信者、神奈川県にある教会の先生祭主の許に式典が開催された。警蹕(けいひつ)をかけられた時私の耳にかすかに"コト・コト"と階段を一段一段上がっていく音がかすかに聞こえた。式典後、義兄・嫁達が異口同音に「マーちゃんが階段を上り神様の許に行く足音が聞こえたよ」・・・と、"ァー俺も聞いたよ"!後程近隣の人にその話をすると、それはそうでしょうネ。身内の人または信仰心の強い人には聞こえるのでしょうね!私達には聞こえなかったけれど、私には親先生のお話は理解できます。だから霊様が見えなくても遷霊式は神様のご用として間違いなく執り行われていると信じております。

手記No 0209初代のお姿を見たことまろん君男性 46歳 掲載号 2010/7/1 No.16

亡母は、初代大先生の五十年祭のお祭りのとき、応募した詩を当選させていただき、そのときの栞に載せていただきました。母は、「あの詩は初代大先生が載せてくださったのだ」と喜んでおりました。また、今から十年ほど前になるかと思いますが、母は、初代のお祭りの日に、教会の大広前に皆さんと同じように座ってお祈りしていましたが、そのとき、初代大先生が「きれいな立派な着物姿で」現れなさったのを見たと申しておりました。その着物は「青やらなんやら、きれいな立派な」などと申しておりました。思い出したことを書かせていただきました。

手記No 0208毎日がお礼遊 峰男性 84歳 掲載号 2010/7/1 No.16

 近くに住んでおられる体のご不自由な方、電動車で雨の日も車に傘をさして側に息子さんか嫁が付き添って毎日マーケットへ買い物に行く姿を見る時、満足に何不自由なく生活させて頂ける、喜ばねば絶えず金光様初め親先生、諸先生のお取次して頂いて居る事、心して今日一日自分を見詰めてあゆんで行こう。

手記No 0207寝耳に水とはこの事八重桜女性 88歳 掲載号 2010/7/1 No.16

 昨年(H21)秋兵庫県に上陸致しました台風で揖保川が氾濫して佐用町で大きな被害が発生致しました。私の亡き母の実家は丁度その被害地の隣接する村はずれにあり今はいとこ一家が住んでいますが、テレビで裏の川が氾濫したことを知りました。ニュースを見ておりましても従兄弟の所ももうダメだと思っておりましたが、神様に一度もご祈念したこともない従兄弟の所でしたが奇跡的に大きな被害も受けなく助けて頂きました。本当に家から50mも離れていないところに川が流れているのに有り難いの思いで一杯でした。教えにもありますように信心するも者は本当に周りの誰彼の事をも願わなければならないと教えられているのに自分の至らなさにお詫びとお礼を申し上げます。

手記No 0206有り難うございます心の花女性   掲載号 2010/7/1 No.16

最近私は「有り難うございます」のお蔭を何度も頂いております。教会の先生のお話で、又は本や新聞等で何が起きてもまず「有り難うございます」と言える稽古するように教えられておりますが、なかなか素直に実行しがたく思っておりました。何とそれを実感させて頂くご都合を頂き、ただただ恐れ多く改めて信心の深く尊い事を知らされたのです。二度の怪我の時、魚の骨が喉に刺さった時、内蔵の違和感の時、これら全て「有り難うございます」「有り難うございます」で治療を受けることなく完治したのです。これからも数多く色々な問題に出会いましても「有り難うございます」と心から迷いなく一心にお礼申せる様に稽古したいと思っております。

手記No 0205お礼まろん君男性 46歳 掲載号 2010/7/1 No.16

l  このたびは、メールへのご返事及び、「ふれあいの広場」に掲載して頂けるとのことで誠に恐縮でございます。私は、御一日とお祭り日くらいしか参拝できておりませんが、「ふれあいの広場」は信者の皆さんの率直な気持ちが載っているので、毎月楽しみに読ませて頂いております。私の大叔母、そして母、それから父と三年連続で喪い、四人で暮らしていた家庭は、私一人になってしまいました。大叔母は「玉水教会の100年までは生きさせて頂く」と日頃から申しておりましたが、玉水100年を病院で私から聞き、その九日後に息を引き取りました。一番悲しむはずの母は「なぜか悲しくもなんともない」と不思議がっておりました。次に母が死んだ時、偶然にも、父が呆け始めて、父は母が死んだことも知らずに暮らすことができました。つまり、三人は誰も、家族の死を悲しまずに済んだということになります。私は、後々このことを考えると、不思議な思いがします。死ぬ順番が一つ違っていたら、残った誰かがひどく悲しんだはずです。結局、そのすべてを私一人で背負うことになったわけですが、母が死ぬ前にも、父が死ぬ前にも、私一人がそばにいたとき、二人とも、神がかりな言葉を私に告げました。その瞬間だけ、本人の意志とは関係のない言葉を私に告げてくれました。母は病院のベッドに寝ていて、ただ「フライばっかりや」と何度か呟いただけです。それ以外は全く正常でした。「フライばっかり」と何度か言うので、胸の悪い夢でも見ているのかな、と思っておりました。ところが、母が死に、親戚を呼んだ通夜の席で会食を終えた皆さんが、残った料理を見て口をそろえた言葉、それが「フライばっかり」だったのでした。私も同じ印象でした。このとき始めて、母の言った言葉の意味が分かったのでした。

手記No 0204感謝の心遊 峰男性 83歳 掲載号 2010/7/1 No.16

この頃お礼の言葉を耳にすることが少なくなった。有り難うどうも済みませんと言わない老人も若者も多く見受けられる、電車の中でも少し詰め座席を譲っても当たり前といった顔、口先だけでも有り難うの感謝の言葉を言うだけで、お互いの心が明るくなり信頼関係が生まれる。感謝の心を持つ人はストレスに負けず本当に喜べ、感謝をしていると運が良くなるように思います。私も電車の中で席を譲って頂きその人が降りられる時改めてお礼を言ったら、「お気をつけてお帰り下さい」と、暖かい言葉が返ってきた。清々しい気分になり信心の四つの目的の一つ「常に心を清らかに持たせていただくために」の一つを実感しました。

手記No 0203紙一重のおかげ八重桜女性 87歳 掲載号 2010/7/1 No.16

世の中には紙一重のおかげと言われる奇跡のような実話が沢山あります。実際それらの事件に遭遇した本人も、聞かされた周りの者も幾多の感動を受けることも多々あります。しかしその大部分の事例は神様のお計らいであると思います。良いことも悪いことも、特に悪いことについてはその時点でこれ程辛いことであれば死んだ方がましだと思われることも、後日になってみるとあの時あれぐらいのことで済んだのは本当に神様の大きなおかげだった。いわゆるメグリのお取り払いだったのだと思わせられることが沢山あります。そして今幸せに暮らせるのは神様を放さず本当に良かったと有り難く思います。私にとってもやはり難はみかげなんだと思います

手記No 0202有り難うございましたメジロ女性 72歳 掲載号 2010/7/1 No.16

 2月13,14日に三代大先生十年祭の神睦旅行に信者様方と共に参りました。本当に青空で良いお天気でまず夫婦岩を見学し伊勢神宮に参拝させて頂きました。伊勢神宮に参拝した帰りの途中で歩いていたら溝に滑り込んで右肘を骨折し大変なことになりました。家までは痛みもなく帰ることが出来ました。神様のお蔭で右肘は手術をし回復を致しました。信徒会の皆様にはご親切に重たい私を車椅子に乗せて頂き有り難うございました。今は神様のお蔭で元気にさせて頂いております。本当にお世話になった方々にお会いしてお礼を言うべきなのですがなかなかお会い出来ないので書面でのお礼の言葉にさせて頂きます。ほんとに有り難うございました。

手記No 0201社長と従業員デァ・ベア男性 62歳 掲載号 2010/7/1 No.16

ある中小メーカーの社長さんが私に次のとおり話された。「うちの工場がある地域は過疎化のためなか働く場が見つからない。そんな中で、従業員から働けるということはありがたいことですと言ってもらえる。だから、私も従業員のため何としてでも頑張りたい」。健康を損ねて初めてその有難さを知るというが、それに気付いた従業員はもちろん立派だし、その言葉を聞き流すことなく従業員の気持ちを理解し、業績改善と雇用確保に努力する社長もすばらしい。物やお金中心の思考でそれぞれが不平不満をぶつけ合うこ

手記No 0200奉公人に徹して山野草女性 59歳 掲載号 2010/4/1 No.15

三代大先生のお言葉に今でも強く印象に残っておかげ頂いたんだなあと思わないではいられない事があります。それは私の出産でお届けの時「それは大変だなあ」とおっしゃったのです。それと言いますのも43才の高齢初産で私自身とても不安を感じておりました。お届けをした時は三代大先生に初めてのお届けでしたので「それはよかった大丈夫ですよ」といって頂けるものと思っておりましたのに、そのお言葉を聞いて私はちょっとがっかりし、ますます不安になったものでした。でも今改めて振り返ってみますと私がかえって安心しきって不摂生にならないようにリスクの高い高齢出産をきちっとした節度をもったかたちで迎えられる様にあえてあのようなお言葉でおっしゃっていただいたおかげで、高齢初産にもかかわらず15分という超安産のおかげを頂けたのだなあと、今になって改めて気づかされそのご配慮にお礼の申し上げようもございません。今でも鮮明にお結界にお座りになっておられるお姿が思い出されます。本当にありがとうございました。

手記No 0199亡母の初代への信心についてまろん君男性 46歳 掲載号 2010/4/1 No.15

 一月「あゆみ」の中で、親先生より、初代大先生が生きて働いて下さっている旨のお話を頂きました。もったいないことでございます。 三年前に他界した母にとっても、初代大先生への信心が中心でした。母が他界した三ヵ月後、父も他界しましたので、両親と力を合わせて家業の工場を切り盛りしてきた私にとって、途方もない痛手でした。ですが、あの頃ほど、神様の御心を如実に、強烈に実感したことはありませんでした。両親は死んだが、それは神様の、悠遠で強力な、有難いご意志であって、単に、これを不幸と見るべきではないのでした。母は神様から、75歳の寿命と言われており、その通りになっております。のどの癌(下咽頭ガン)でした。また、母は、生涯を通じて、神様や初代大先生からの「お知らせ」を幾つも頂いておりました。末息子である私のことも、幾つか、初代は、言ってくださっています。死の数ヶ月前にも、初代のお知らせを頂き、入院の朝、「入院すな」のメッセージを神様から頂き、死に臨んで、「苦しいから早く死ぬように、初代に祈ってくれ」という願いのときも、そのお蔭も蒙りました。母は昭和六年生まれで、戦時中は大阪大空襲に二回見舞われ苦労もしましたが生涯初代大先生を信仰し、限りないお蔭を頂き、天寿を全うさせていただきました。初代大先生が生きて働いて下さっていることについて、自分の体験を語らせて頂きました。

手記No 0198親孝行させて頂いておりますエ リ女性 36歳 掲載号 2010/4/1 No.15

 私は両親と3人家族です。出かけるときは両親の杖になりいつも一緒です。入信させて頂きまだ3年と日は浅いですが、玉水教会にお参りさせて頂き親先生・彌壽善先生にお取次頂きいつも清々しい気持ちで話をしながら帰路につきます。本当に有り難いなと実感致します。親・先祖を大切にと教えられておりますが、これからも両親を大切にお世話をさせて頂きたいと思います。

手記No 0197神睦旅行に参加してスミ女性 83歳 掲載号 2010/4/1 No.15

三代大先生を偲んで久しぶりの神睦旅行、前日まで降り続いた雨、そしてまた帰ってきた次の日も雨、うって変わったような快晴の中、親先生ご夫妻、大奥様のご同伴を頂き、近鉄上本町から展望貸し切り電車で平成22 年 2 月13・14 日と伊勢志摩方面へ観光を致しました。私も仲の良い信心友達と一緒に参加させて頂き有意義な二日間を楽しませて頂きました。特に私は伊勢志摩は大好きな地で過去何度か旅行をしました。その度に鳥居が他の神社と違い神明鳥居であることに疑問を感じておりました。個人旅行ばかりであったので、聞く事も出来なかったのですが、今回バスガイドさんに聞くと伊勢神宮は女性の神様なので明神鳥居ではなく、神明鳥居であるとのことでした。疑問が解けた意義ある旅行でもありました。

手記No 0196神睦旅行に参加して二宮金次郎男性 69歳 掲載号 2010/4/1 No.15

三代大先生10 年祭の最後の記念行事として2 月13、14日の2 日間の伊勢賢島グルメ旅行に参加しました。前日までの時雨模様続きとはうって変わって、快晴微風のまさに小春日和の中で、待ち望んでいた旅は始まりました。親先生ご夫妻、大奥様、扶美様、正子様のご同伴をいただき、近鉄上本町から展望車貸し切りで参加者180 名の喜びを乗せて、一路賢島に向けて出発しました。途中松阪駅でバスに乗り換え、ログハウス造りのレストラン「山小屋」であの松阪牛の「牛鍋」の昼食を頂き、再びバスに乗り二見が浦で小学生の頃の修学旅行を思い出しながら、「夫婦岩」を見学した後、記念写真を撮りました。その後、宿泊所の「賢島宝生苑」まで約1 時間20 分、午後4 時前に到着しました。ホテルは真珠養殖で名高い英虞湾を見晴らす「展望露天風呂」付きの素晴らしい造りで、早速体を温めました。目をつぶると正に天国! ゆったりした気分で宴会場に向かいました。会場は200 名以上収容できると思われる舞台付きの大広間で、全員椅子・丸テーブルの丁度結婚披露宴を思わせる素敵な場所でした。6時半、親先生のご挨拶で会食が始まり、太鼓の出し物、酒・ビール・その他飲み放題という事もあって、各バス号車より2名ずつのカラオケ大会まで大いに盛り上がりました。笑いあり、踊りあり、最後に親先生のユーモアあふれる審査によるカラオケ大賞2名の表彰の他に豪華景品の当たるくじ引きが多数あり、最後まで全員参加のすばらしい宴会でした。三代大先生がお元気ならきっと『プサン港へ帰れ』か『酒よ』をお歌いになっただろうにと思いながら。翌14 日朝8時半出発、バスで伊勢神宮参拝、大鳥居をくぐり、五十鈴川に架かる白木の宇治橋を渡り、長い砂利道を頑張って歩きやっと内宮らしき所にたどりついたと思ったら、白いシートで中がよく見えず、お賽銭をあげてすぐに戻りました。というのも伊勢神宮内殿は天照大御神がお祭りしてあり20 年に一度建物すべてを建て替える「式年遷宮」という行事があって、62 回目が平成25 年で平成17年よりその準備の祭りや行事があるためだそうです。その為かどうか何年か前に三代大先生と大勢の信者さんと参拝したときとは比べ物にならない程の人出で大混雑をして、帰路に寄った温泉街にあるような店の並んだ「おかげ横丁」も昔の心斎橋並みの人ごみでビックリしました。駐車場にいっぱいの観光バスの中の「玉水教会」をやっと見つけて昼食場所の「志摩観光ホテル」に向かいました。ホテルでの昼食は前夜と同様な大広間で丸テーブル席で全員一堂に会しての食事でしたが、なんとフランス料理で、口にした事もない「黒あわびのステーキ」がだされておいしかった事! 柔らかさにも驚きました。幸せ〜な気分になりましたね。食事をすませて午後2時過ぎ、バスで鳥羽駅に向かう途中、海産物のみやげ物センター「王将」で約30 分土産の買い物を楽しみました。鳥羽駅で列車に乗り込み、快い疲れの中無事に上本町に予定通り午後6時42 分帰着しました。途中、正子さんが熱をだされ親奥様とお帰りになったのが少し寂しいことでしたが、長期にわたってお世話してくださった方々のおかげで楽しい神睦の旅をさせていただけた事に感謝申し上げます。なおそれ以前に旅行を通して「元気な心で前向きの信心」を教えてくださった三代大先生にお礼を申し上げたい、そんな気分の神睦旅行でありました。

手記No 0195有り難うございます三代大先生秋桜女性 51歳 掲載号 2010/4/1 No.15

長女の中学受験のお取次を頂きました時に、「将来、人のお役に立つ人間にならなあかんからなあ〜。」との大先生のお言葉でした。私はその時以来何故か気になっていました。おかげさまで無事娘二人「金光八尾中・高」と進学させて頂き、今度は進路についてのお取次を頂くと又同じお言葉でした。今現在娘達は大先生のお言葉通り、長女は「介護福祉士」となり特別養護老人ホームに、次女は「幼稚園教師」を経て今年より「保育士」にと、現在もそれぞれお役に立たせて頂いております。二人共生後から大先生にお取次頂いてきましたので、その頃よりずっとご祈念下されていたんでしょうね。今でも感じられます。三代大先生有り難うございます。これからも、少しでも大先生にお喜び頂ける様夫婦共々道輝会、婦人会とご用に使うて頂き、まだまだ未熟な私達ですが、子供の成長をもって分からせて頂いたお礼を申し上げたいと思います。

手記No 0194三代大先生の思い出奥の細道女性 69歳 掲載号 2010/4/1 No.15

私が青年会で最初に御用させて頂いたのは、昭和39年2月 1日、初代大先生20年祭からでした。あわてて制服を作ったのを思い出します。雪がちらついて足元では焚火をしてくださいました。例会では大先生の御講話を頂き会員同士の意見交換等がありました。そして冬はスキー、夏は三方五湖への海水浴等々、バスを連ねて連れて行って下さいました。私は殊の外歌を歌うのが好きでしたので、わら半紙一枚に小さな字で所狭しと歌詞を印刷して配りバスの中で「皆さん一緒に歌いましょ」という感じで楽しみました。帰りのバスでは皆、疲れて気持ちよく眠っておられましたが、最初から最後まで私一人で歌っていたことを思い出します。バスから降りる時大先生が「元気やなァ」と声をかけて下さったことを思い出します。青年会時代は職場等で、人間関係で悩んでいましたが、原因は自分自身の気の強いせいである事を気づかせて頂き関係がうまくいかない人の事を一生懸命祈らせて頂いていること自然に心がほぐれてわだかまりがなくなると言うことを学ばせて頂きました。本当に青年会時代は、楽しませて頂いた思い出ばかりです。お礼を申し上げます。ありがとうございました。

手記No 0193三代大先生に初めてのお願い山野草女性 59歳 掲載号 2009/7/13 No.14

三代大先生のお言葉に今でも強く印象に残っておかげ頂いたんだなあと思わないではいられない事があります。それは私の出産でお届けの時「それは大変だなあ」とおっしゃったのです。それと言いますのも43才の高齢初産で私自身とても不安を感じておりました。お届けをした時は三代大先生に初めてのお届けでしたので「それはよかった、大丈夫ですよ」といって頂けるものと思っておりましたのに、そのお言葉を聞いて私はちょっとがっかりし、ますます不安になったものでした。でも今改めて振り返ってみますと私がかえって安心しきって不摂生にならないようにリスクの高い高齢出産をきちっとした節度をもった形で迎えられる様にあえてあのようなお言葉でおっしゃっていただいたおかげで、高齢初産にもかかわらず15分という超安産のおかげを頂けたのだなあと、今になって改めて気づかされ、そのご配慮にお礼の申し上げようもございません。今でも鮮明にお結界にお座りになっておられるお姿が思い出されます。本当にありがとうございました。

手記No 0192三代大先生の思い出元役員女性 80歳 掲載号 2009/7/13 No.14

いつも三代大先生には気にかけて頂いておりました。主人が病気入院中娘達が、父が万が一の時にはお葬儀は教会でお願い致しますとお届けをしておりました。知らないのは私達夫婦だけでした。そして、約束通り教会で葬儀をさせて頂くからな、と言って頂き立派な葬儀をして頂きました。さぞかし故人もびっくりしたことだと思います。本当にありがたく思います。ある時三代大先生より私に信徒会の役員をするように命じられましたので早速お結界に行きまして私如き者がお受けすることが出来ませんと申しましたところ、大きな声で「そんなものなんですか」と申されました、私はびっくりして何も言わずそそくさと引き下がりまして一生懸命ご用に使って頂こうと決めました。地区の皆様にも助けられ、十年間おかげ頂くことが出来ました。これからもお役にたたせて下さいと願っております。

手記No 0191これでおかげくださいの願いさぎそう女性 64歳 掲載号 2009/7/13 No.14

青年会時代からお話を聞かせて頂き色々信心を教えて頂きました。三代大先生には母の胆石手術の時、医者から「体が弱い方なので手術が長引くと手術に耐えられるか、その事が心配です」と言われましたが、大先生のお祈りのおかげで手術の時間も短く一ヶ月でおかげを頂きました。それからお結界にもお届けをさせて頂くようになり、お願いの仕方にも「どうさせて頂きましょう」と「これでおかげ頂かせて下さい」とでは祈り方が違うと教えられました。それで商売の方もうまくいっていなくて、値上げの事を考えておりましたので、三代大先生に迷うことなく「二割値上げさせて頂きます」と申し上げ、大先生からも「おかげいただきましょう」とお返事を頂きました。最初の頃は厳しく苦しかったのですが、月日が経につれ得意先からも高いとも言われず順調に商売繁盛のおかげを頂きました。今日あるのも、大先生のお祈り添えの賜と感謝致しております。

手記No 0190たった一本の電話によるお取次ぎあざみ女性 65歳 掲載号 2009/7/13 No.14

青年会時代まだ信心のこともよく分からず、お結界へ行かせて頂くこともなかった。しかし三代大先生には(当時若先生)集会の時いつもお出まし頂きいろいろ教えて頂いた。グループ内の一人の友から急な電話で寝返りも出来ない身になってしまったとのこと、出勤前の忙しい時間帯、電話でお届けをさせて頂いた。それが三代大先生であった。会社からの帰り気になりその人の家に様子伺いに行くと留守で暫く待っていると、寝返りも出来ない重病人がお母様と一緒に歩いて帰ってこられるのには驚いた。たった一本の電話によるお取次ぎである。かかりつけの医者が畑違いであり、乳ガンであるのがその後わかった。そして適切な手当を受けられ、普通の生活が出来るようにまで元気になられた。人のことを願えと教えられているがこうも簡単にお聞き届け頂けるとはお結界のありがたさをも痛感した。

手記No 0189三代大先生の思い出愛する人女性 67歳 掲載号 2009/7/13 No.14

三代大先生との出会いは青年会でした。私もまだ若かったこともあり、気さくにお話しさせて頂きました。今思いますと失礼なことがあったかも知れません。でもいつも暖かく受け止めて下さいました。時には厳しく又時には心の支えになって下さり、相手の顔を見て話して下さる姿から、気持ちを分かってもらえていたことと思い出します。お正月お結界では、二代大先生と三代大先生とが微笑んで向き合っておられ、とても神々しく見えたことが思い出されます。お礼を申し上げに行くことが恐れ多く躊躇していた私ですが、自然と前に進ませて頂けました。親睦航路では特別室も自由自在に使わせて頂き、各種催し物も数多くあって、お互い名も知らない信者同士仲良く和気会々と楽しませて頂きました。その体験の中で三代大先生の優しさ、相手を思いやる心を学ばせて頂きました。三代大先生のお話の中で、私がいつも教訓とさせて頂いている言葉があります。それは「たまたま私は湯川家に生まれておいて頂いておりますが、湯川家に申し訳ないことをしたら、湯川家から追い出されてしまいます」とおっしゃったことです。その言葉を厳しく心に頂き、日々の生活また婦人会のご用も楽しくさせて頂いております。三代大先生の十年祭を迎えるにあたり、一つでも心の改まりをさせて頂きたいと思っております

手記No 0188三代大先生をお偲びしてしだれ桜女性 57歳 掲載号 2009/7/13 No.14

三代大先生は大変お忙しいお方だったのだと思います。初代、二代の信心を引き継がれ“我が信心のあゆみ”を誰にでも読みやすく書き残して下さいました。初代大先生の年祭には「信話集」を、二代大先生の年祭には「教燈」を残して下さっています。初代大先生、二代大先生のまことの信心をなんとしても我々にさせて頂かなければという三代大先生の願いを分からせて頂けなければなりません。当たり前になってしまっている事が全ておかげなのであることのお礼を申さねばならないと思います。問題が起きてどう受け止めたら信心を進ませていただけ、まことの信心になるのか、神様の願いを常に思わせて頂くよう努めなければなりません。三代大先生は、関西に学校を創設して下さり、神様の願いを受けてご苦労して下さったのだと思います。金光大阪のユニフォームを甲子園で見た時の感動は忘れません。又、サッカーも玉水の広前に優勝旗を見せてくれました。昭和54年頃私は忙しく月一度位のお参りでした。その頃から三代大先生はあゆみに道しるべを書いておられ、お忙しい中にもお結界にお出ましくださっています。私達家族はそのお取次ぎ、お祈りのおかげで今日に至る迄全てにおかげを蒙り続けております。そして、初代、二代、三代、現親先生、弥彌善先生へと続く、生き通しにご苦労下されているおかげで、どんなに悩む人達をも助けて頂けるのだということを申し上げたいと思います。

手記No 0187三代大先生と社長八重桜女性 88歳 掲載号 2009/7/13 No.14

三代大先生がお結界にお出ましだった頃、私がお世話になっている、自分の財力や知力に自信を持っておられた会社の社長がある時「君の参っている神様へいっぺん参ってみようかと思うが」と言われ、全くのひやかしの様な言い方でしたが、私はチャンスだと思い、信心が続きますようにと心中祈念、案内しましたところ、ほんまものであり、日曜日の午後は毎週お供をしておりました。そして毎回お結界へも進まれ、三代大先生に心の悩みを打ちあけられていたようです。それから二、三年経った頃、社長に「何を願われているのですか?」とお聞きしたところ、「死ぬときは苦しまずに死なせて下さいと願っているのだ」と答えられました。誰しも一番望まれることだと思います。それから少し経ってから昼食のラーメンをのどに詰まらせてアッという間に息を引き取られました。生まれて初めて神様に手を合わされたような人でしたが、神様は一人一人をじっと見守って下さっているのだと思いを新たにしました。

手記No 0186昔も今も八重桜女性 88歳 掲載号 2009/7/13 No.14

今から30年位前までは、 朝のご祈念は当番の先生方の講話の後、現在同様に先生のご祈念をいただいております。しかし当時は天津祝詞・大祓の詞を斉唱させて頂きました。私は大祓の詞の意味も何もわからず、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪と口先だけのご祈念でした。でも今は独自のご祈念帳がありますが、このご祈念の時いつも三代大先生の御結界にお座りのお姿を想いだされます。

手記No 0185初めてのお届け針千本女性 60歳 掲載号 2009/7/13 No.14

両親が存命中は親にまかせきりの信心でした。母は家族の願い事の全てを二代大先生にお届けさせて頂いておりました。当然私のことも。しかし二代大先生がお国替えなさり、三代大先生がお結界にお出ましなされてから、私はふと思いました。「今のままではいけない。お届けを母に頼むことは母にも心配かけることなのだ」。なんとか自分でお届けできるようになりたいと。初めは緊張してうまく申し上げられないのではと思い、内容を便箋に書き畏る畏るお出しすると、三代大先生はじっくりお読み下さり、「わかりました」と一言。私はとてもホッとしたことを覚えております。あの時こそ、私の信心の歩き始めた時であったと今思います。それから色々とご心配をおかけいたしましたが、今は少し安心して見守って下さっているような気がしています。

手記No 0184『教会のすごく偉い先生』デヤ・ベア男性 62歳 掲載号 2009/7/13 No.14

祖父のときからありがたい玉水教会にご縁をいただいていますが、私がこのことを意識しだしたのはこの10年に過ぎません。それまでは信心といえるものでは決してありませんが、思い出3件をご披露します。 1.40年以上昔のこと。私の願いどおりの内容にならなかったことに対し、大先生から「まあうまく行くだろうと考えていたあなたに油断があった」とおっしゃった。ビックリ仰天、恐れ入りました。2.20年前、私が転勤先で入院、生死をさまよっていたときのこと。祈っていただいている大先生とベッドに横たわる私が細い糸でピンと繋がっているのをはっきり感じました。今から思うと、まさに命の恩人です。3.ご帰幽1年前、お結界に出られなくなる直前。私のお届けについて、「今が踏ん張りどころ。今諦めたら努力が水の泡だ」と断言されました。大先生の祈りの中で、これが頑張りのもとになったことは言うまでもありません。

手記No 0183三代大先生の想い出だんだん男性 67歳 掲載号 2009/7/13 No.14

三男が三代大先生に名前を頂き、以来三代大先生にお取次ぎを頂いていた。お蔭というのはこんなものなのかなと思い、書かせて頂いた。高校入学に際し友人から三重に水産高校があるのだが受けてみないかと勧められ、そこの教科と施設を見学に行き、その中で海洋科を私の方が気に入ってしまった。しかし決めるのはお前だとゲタを預けた。中学三年の息子に対して酷な話であったかも知れないが、悩んだ末に決めたようだ。一年一学期の成績も二番で、一番か二番であれば三重大学への推薦も受けられる様で檄を飛ばした。私もお願いに熱が入った。三年の父兄会の時、会長、会長と呼ばれているので何の会長かなと思っていたら、生徒会に立候補して会長になっていた。その後も一番の成績を通していたので三重大への推薦も受け入試にも合格、4年間で卒業。就職にも私の友人がアドベンチャーワールドの社長をしており、息子のことが知れて、入社試験を受けてみないかとなり合格をした。本当に三代大先生のお蔭でという実感がした。入社一年目は実習期間ということでいろんな事をさせられるが、三ヶ月した頃アシカの調教師が交通事故に遭い、大勢いる新入社員の中で何故か息子に声がかかり、入社6ヵ月後に主担当になり、なにもかもが順調に進み現在に至っております。これもひとえに三代大先生のご祈念の賜と感謝しています

手記No 0182三代大先生の想い出オリーブ女性 65歳 掲載号 2009/7/13 No.14

10年前、教会からは遠くに勤めていたので思うようにお参りも出来ず三代大先生がご帰幽になられたことを知らずにいました。仕事を終え、たまたまお参りをしたその日がお葬儀の日であり、今、火葬場へ行かれていると言うことを聞き、がく然としました。何も知らずにいたこと、最期のお別れもかなわなかったことが、無念でなりませんでした。退職後5年祭を目前にして、前々から勧められていた婦人会にも何かお礼をと思い、入会させて頂き、ご用のおかげを頂きました。入会間もない私には大変未熟なままのご用でありました。10年祭をお迎えする今年、少しでも大先生にお喜び頂けるようなご用に使うて頂き、これまでのお礼を申し上げたいと思っております。

手記No 0181交通事故梅 里女性 68歳 掲載号 2009/7/13 No.14

ある日、夕食の準備が終わりかけた時、次男が友達からの電話で、「ちょっと出てくる」そう言って出かけ、三十分後また電話があり「もしもし梅里さんですか?こちら○○病院です。おたくの息子さんが…すぐ来てください」。息子が出かけた一瞬不安を感じて心中でご祈念をしたがやはり的中、ご神前で「大先生、神様、子供を助けてください」とご祈念し主人と病院へ駆けつけました。息子はタタキの上の背の高いタンカの上でシートをかけられ耳からは血が出、肋骨が二、三本折れ、足の骨も折れていた、目にも異常があり、見るも無残な姿であった。バイク同士の衝突事故でした。そのまま手術室に運ばれ長時間の手術の後、おかげを頂き命を助けて頂いた。術後、激しく痛みを訴える息子を後にして教会へ駆けつけた。教会は電気が消え、ご神前だけが明るく三代大先生がご祈念中であられた。暫くして三代大先生がお出まし下さり「相手のこともお願いしてあげや」と言われ、私は「なんでや、息子は死にそうになってるのに……!!」。また聞けば相手は無灯火で走っていたらしいのにと心に思いました。その後何度も大先生は「相手のことを願ってあげや」、と繰り返されました。しかし現実は相手が自賠責保険しか入っておらず私のほうの治療費は自費で払うことなど、飲めないことだらけでした。そのころの息子は大手の会社に内定が決まっているというものの、この事故のおかげで卒業時の必要単位取得もままならず、また入社講習にも行けないかもという切羽詰った状況に追いやられていました。ところが信じられないことにどんどん回復していき、肋骨にはコルセット、足にはセラミック、目には眼帯をしても、不死身のように車椅子で病院をスイスイと走り回れるようになりました。病院からタクシーで学校へ連れて行き、松葉杖姿で単位を取り何とか卒業に漕ぎつけ、入社講習にも間に合い、無事入社もできました。奇跡的なおかげでした。どれほど大先生のご祈念を頂いたことか、まことにありがたく感謝の念で一杯です。あとで聞くと相手は同年齢で脳挫傷だったらしく、息子の病状より重いものでした。だから大先生が「願ってあげや」と言われたのだとわかりました。今では相手の方への連絡を取ることが出来ませんが、身体丈夫で立派に社会人としてお役に立たれますように願わせてもらっております。

手記No 0180三代様の想い出八重桜女性 88歳 掲載号 2009/7/13 No.14

いつの頃か記憶が薄れましたが、二代大先生が亡くなられた後、三代大先生以下玉水教会の信者が揃って大阪湾一周のクルージングに出かけました。その時の三代大先生のお元気だったお姿。お孫様を抱かれて、甲板上から和歌山のお塚に向かって長い時間ご祈念されておられたお姿。参加者全員が一家族のように楽しく過ごさせて頂きましたのに、何年も経たないうちに大先生のお姿を毎日お目にかかることもお声をお聞きすることも出来なくなり、年月が流れ本年はもう十年祭を迎えます。お世話になった一同でお迎えさせて頂きましょう。

手記No 0179三代大先生と甲子園八重桜女性 88歳 掲載号 2009/7/13 No.14

高校野球のシーズンがまいりました。金光大阪出場なら先ず一勝を目指してと、……三代大先生ご在世ならばと思わずにはおれません。高校をはじめ福祉大学と先見の明をもたれ、後進の信者の子弟に幸多かれの想いをお持ち下された三代大先生のみたま様に優勝旗をお供えして頂きたい。ご在世中はどれ程甲子園出場を願って折られたことでしょう! これからも全教一丸となって良い成績を上げて頂きたいと願わずにはおれません。

手記No 0178難儀な氏子二宮金次郎男性 69歳 掲載号 2009/7/13 No.14

15年程前のこと、大掃除の日曜日、お広前掃除のご用のため車で教会へ向かっていつもの通り慣れた国道二号線を走っていた。淀川大橋を渡ってすぐ左側で警察のスピード違反のネズミ取りにつかまってしまった。急いでイライラしている上に罰金と減点が悔しかったが、調書に拇印を押してから少し気を取り戻して教会へ向かった。お掃除中ももう一つ気が入らない。今度つかまったら免停かも、それにしてもこんなに朝早くから休みの日にやらんでも……という思いが残ってすっきりしない。他にも軽四貨物で仕事に行く途中の年配の男の人もつかまっていた。お気の毒に、これで日当もパーやろうなと思いながら警官に言い訳と罰金はいくらかと尋ねていた。彼の事も思って腹立ちが消えない。大掃除が終わってから意を決して三代大先生にその事をお届けし「今後半年間は絶対つかまりませんように」とお願いした。大先生はにこにこ顔でうなずかれたが、その後半年はおろか現在までスピード違反ではつかまっていない。1年半前に駐車違反でつかまったことはあるが……!! 最近運転中は毎日奉唱をしている「信心の4つの目的」の始めの二つを頭の中で繰り返しながら走っている。いつまで経っても難儀な氏子である。

手記No 0177三代大先生を偲んで聖徳太子男性 73歳 掲載号 2009/7/13 No.14

毎年春と秋の霊祭には、夫婦揃って参拝させて頂いております。お広前の座席を正面の一番前に着席したい思いが強く、私達夫婦は午後2時から始まる祭典なのに午前10時30分過ぎに到着しました。念願の一番前でお参りする事が出来ておかげを頂いたとご神前に向かって感謝の気持ちでお礼を申し上げました。典楽会の奏楽が始まり祭典が進行する中で三代大先生が出てこられたお姿を見たときオーラを感じ、光り輝き後光が射して見えました。その瞬間自然と頭が下がり両手を合わせ拝礼しておりました。こんなことがつい最近の事のように思い出されます。

手記No 0176三代大先生よりの頂きものそよ風女性 84歳 掲載号 2009/7/13 No.14

人伝てに「お礼は神様からのお下がりで」と聞かされ、「私も神様のおかげで」との思いから三代大先生にお伺いをし、お許しを頂き、参らせて頂いております。なかなか改まりの出来ぬ身を、お礼と共にお詫び申したところ「良い悪いは一切ありませんよ」とおさとし頂き、その意味の真がわかる迄二年足らずほどかかりました。が、今も折に触れ、心にこの言葉を胸に物事を見つめ乍らの毎日。み教えは絶えず聞かされ、頭ではわかっていても“体に覚え込ます”ことが大事だと思います。お言葉通りにはなかなか出来ず、“出来ん出来んで出来ていく”、とのみ教えを杖に、このおさとしが身につけられ、三代大先生からの頂きものとして頂き、お道とお教会の名を汚さぬ様に終生願わさせて頂き進めさせて頂いております。

手記No 0175三代大先生のご英断八重桜女性 88歳 掲載号 2009/7/13 No.14

まだ三代大先生がお元気だった頃、それまで大広前は畳敷きでした。ある朝、畳は突然上げられて椅子席に変わりました。大勢の信者さんはどうしてという思いでした。でもお話によりますと、今後信者さんがだんだんと年をとり足の痛い人が多くなるであろう、椅子席であればゆっくりとご祈念も出来るであろうと三代大先生の深い優しい思いやりのご英断によるものとお聞きしました。今私達はおかげを頂き、どのような大きなお祭りも長いお話もゆっくり頂かせていただいております。あのまま改革がなかったなら足の悪い大勢の信者さんはお参りの足が遠のいていたかも知れません。三代大先生、今私達は親の家の玄関をあがるような気持ちでお教会へお参りさせて頂いております。有り難う存じます三代大先生。

手記No 01730162への返信針千本女性 59歳 掲載号 2009/6/13 No.13

山野草さんのメールを拝見いたしました。文章がとてもお上手で思わず引き込まれてしまいました。大変でしたね。よく頑張ってこられたなあと、唯々感心するばかりです。と同時に、信仰を頂いている人のたくましさと言いますか、強さにも深く感動いたしました。人間はこの世に修行に来ていると言われていますが、神様から与えられた修行を全うされ、合格点を頂かれたのだと思います。私も59年間の間にいろいろな試練があり、そのたびに自分の信心をみつめ直し、神様に助けられて乗り越えることが出来ました。苦難、それは神様から与えられたテストですね。あなたは上級テストに合格し、無事進級出来たのだと思います。苦難を乗り切ったとき、そこから生まれる何かがある。

手記No 0172祈りが強いと神様は……プチとペコ女性 58歳 掲載号 2009/6/13 No.13

友が七年前に拾い育ててきた犬がいる。人を怖がり吠えてばかりいたので、ずっと玄関で飼っていた。何回かアタックしたが庭では飼えなかった。この度、家を建て替えることになり、別場所で仮住まいをしていた。犬もやはりその玄関で仮住まい。新居の設計の段階で玄関が以前の家より狭くなる事になり、彼女はその日から、「新居に戻る時には、この犬が庭で飼えますように。吠えてご近所に迷惑になりませんように」と、約五ヶ月間祈り続けた。家族は皆、「ムリやろう。泣いたら家に入れてやろう」と思っていた。引っ越し当日、クーンと、か細い声を一度出しただけで、その日からずっと庭で飼っている。彼女の祈りの強さと、犬の気持ちまで変えて下さる神様のお働きに感動した。

手記No 0171取次ぎありて運命の切替をそよ風女性 84歳 掲載号 2009/6/13 No.13

父の後妻を「小母ちゃん」と呼び、小学一年の一年間生活を共にした人が病床にあり、看護者が疲れから部屋中を叩き壊し、看護を放棄して里帰りをしてしまった。甥が自ら勤務中の私に電話をしてきたので急ぎ駆けつける。「良く来てくれた」との感謝の言葉。その訳は父の遺産分けの時に呼ばなかった故。「来てくれなかったら、私の葬式出されへんねん」……。それは神様からのおさとしと理解させて頂いた。駆けつけてより十日間は病床の中で水だけ。小母と実妹のみたまと先祖一同、縁者一同のお礼とお詫びを共にさせて頂き、お徳を頂けたのも、玉水の歴代大先生のお取次あってのこと。ただただ感謝あるのみ。お礼の毎日です

手記No 0170法要で思ったことデァ・ベア男性 62歳 掲載号 2009/6/13 No.13

先日、親戚の法要が行われ、あるお寺に参りました。法要のあと、短時間ですが僧侶から、「単に法要をしたということだけでなく、こうした機会に、遠い先祖や日頃何気なく生活している人との係わり合い、時空を共有する一瞬を大切にしてほしい」というお話がありました。また、ちょっとした合間に境内で見た絵馬に、自分のことだけでなく周囲の幸せを純粋に願っている内容が多いことにも感銘しました。絵馬の内容の一部をご紹介します。/人に幸せを与えられる人になれますように/親に恩返しができますように/某さんの会社が発展しますように/お婆ちゃんが元気に退院し、一緒に暮らせますように/いつもありがとう、残り人生を楽しく生きる、その日は二度とない/等です。幸いにもこれらのいずれも、私にとっては、常日頃、お教会で教えていただいていることであり、心に染み渡りました。生活の中でしっかり実行して行きたいものです。

手記No 0169心のお守り八重桜女性 87歳 掲載号 2009/6/13 No.13

自分のしている事は間違いない、と思う心が間違いである。いつ頃に初代大先生が仰せになったか判りませんが、書物で読んで知り、私自身いつも口癖のように心の戒めにいたしております。どなたも心に残るいくつかの教えをお持ちだと思いますが、私は玉水百年の直会で頂いた日めくりを、毎日立つ台所の目に付くところに置き、初代大先生が「忘れなよ……」とお言葉をかけて下さっているような気持で見させて頂いております。それ故、わたしごとき者が毎日大過無く過ごさせて頂き、心から感謝致しております。

手記No 0168念ずればこそ花開く八重桜女性 87歳 掲載号 2009/6/13 No.13

「念ずれば花開く」。この言葉は昔から私の大好きな言葉で、折に触れて、一人口癖のように申しております。この言葉は何時、何処の誰が言われた言葉なのか、いまだに私は知りません。昔の高僧の方が京都智恩院の階段に書き示されたもので、石は今も存在しております。私は神道で、仏教その他はなにも知りませんし、金光教以外の教えは何一つ聴いたことも、教えを読んだこともありませんが、信じれば又念じれば、神仏のご加護、お祈りによって、それぞれの願いは必ず花が開き実を結ぶと、古人は後世の人々に教えて下さっているのだと思います。金光教の教えも、初代大先生の教えもまた同じで、信じ切ってご祈念すれば、花開く良い結果を神様は下さると言うことではないでしょうか?

手記No 0167「お礼・お詫び」新生児女性 56歳 掲載号 2009/6/13 No.13

ご本部の四代、五代金光様は「お礼が土台です」と言い続けていらっしゃる。ある方が四代様にお詫び申し上げて、「どこに詫びよとある!」と叱られたが、教祖様の墓前でついついお詫びしていると、ムクムクと黒い嫌なものが立ちこめ、慌ててお広前へ戻ったら、「あんた、まだお詫びしてるやろ!」と又ひどく叱られたそうだ。私自身五代金光様から、「今月今日、ただ今を大切にして、後ろを振り向かず、前を向かせてもらえば結構です」とのお言葉をいただいた。しかし、「詫びれば、メグリは日向に置いた氷のように溶けてゆく」とあるし、信話集でもお詫びの話は多い。今は分らせていただいたように思う。「それでもここまで来させていただいた。気づかなかったけどお陰授かっていた…」。気づかせていただいた事に始まり、あくまでもお礼を土台としてのお詫びであるべきなのではないか。神の子としてあらゆる恩恵の下に生まれ、存在し続ける自分を土台として、足らぬを詫び、足していただくのか。不完全な至らぬ無礼者、いわば神の失敗作としての自分を土台とするのか。詫びようによってはご無礼になるかもしれない。信話集ではお詫びが目に付くが、初代大先生にとって、お礼は当たり前すぎて、ことさら説くことでもなかったのではないだろうか?

手記No 0166めぐりは自分で作るもの遊 峰男性 82歳 掲載号 2009/6/13 No.13

めぐりというお話を聴かせて頂くが、先祖の話と錯覚するがそうではないと思う。戦時中憲兵をしており兵隊は勿論、民間人をも苦しめて我が物顔。終戦後食糧難で人々が困っているのに、自分は軍の食料を家に運び、優雅な生活を送っていた。その本人が亡くなった後、まじめな息子が定年後病名の解らない病気になり、毎日熱が出て体内のあちらこちらに痛みが発生。あらゆる医者に診て貰っても病名解らず、住んでいる所の方角が悪いと言われ、奈良へ移転しても悪くなる一方という。足腰立たずに車椅子生活。家族も本人も苦しい生活で、最後、気の毒に死亡。我々はめぐりと言えば先祖ばかりと思っていたが、知らないうちに自分自身めぐりを積んでいる事を知る。「絶えず見る事。我が身を見る事」。高橋先生のお言葉。

手記No 0165生かされた命聖徳太子男性 74歳 掲載号 2009/6/13 No.13

寒さ厳しき一月の早朝、けたたましい電話の音で起こされた。眠い目をこすりながら時計を見ると6時30分、何事かと受話器を取ると、悲しそうな声で、「あと二週間の命だ」、と主治医から言われたとのこと。二階中段の踊り場から犬を抱いて階下へ転落し、頭を強く打ち脳内出血。義兄の長女からの電話であった。翌日、私達夫婦揃って神奈川県の病院へお見舞いに行ったが、昏睡状態で声をかけても反応がなかった。その後毎日の様にご祈念をして速やかに快復のお願いをしていた。その甲斐があり、脳内出血も止まり、昏睡状態から眼を開け、車椅子に乗れるように快復をしたと、義兄の嫁から連絡が入った。義兄夫婦も熱心に神奈川県にある教会にお参りさせて頂いているが、私からもお礼のご祈念をしてほしいとの事である。主治医は、「奇跡だ」との一声!!……

手記No 0164お陰への一本道男性男性 65歳 掲載号 2009/6/13 No.13

ごま粒のようなお陰をいただいたことで、少しおこがましいが、お陰の一本道が最近分かりつつある。それは何よりも「お礼」の大切さである。例えばお金に困った時は、何よりも手元にあるお金をトコトンお礼を申し上げ、かつ今まで困っていなかった時のことを数え上げ、できるだけ具体的に細かくお礼を申し上げる。お願いはしなくても神様は心の中をお見通しであるから、それより私達はお礼に力を注ぐことが大切ではなかろうか。健康問題、身体の故障で悩んだ場合、今も故障していない箇所をお礼申上げたり、また故障するまでの過去を一つひとつお礼申し上げることではないだろうか。お陰の一本道に真のお礼が早道であることが間違いなさそうだ。

手記No 0163信心を振り返って男性男性 82歳 掲載号 2009/6/13 No.13

初代大先生ご在世の時お聞きしたお話。ある時、ご旅行中に随行の先生に「あの二本の松を見てみよ」と言われた。先生が「良い松ですね」と言われると、初代大先生は「もっとよく見てみよ」と言われ、「なんぼ見ても解りません」と応えられると、「あの一方の松は、日に当たり土もあるが、一方の松は、岩と岩の陰になり生きているだろう。人間もあの様な生活をしておられる人が多い」とお話しされたそうだ。私も母を想い出し、子供を思う一心で、苦しい中にも愚痴言わずに辛抱した過ぎし日の母の姿、又貧乏生活で子供に風呂敷を渡し、米買いに行かせた母の心の痛みを知る。信心も、体の不自由な人、困った人、貧しい人程、真剣な祈りが出来るが、不自由でない人は只々気休めのご祈念になりがちだ。良くも悪くも、お陰は日頃の信心の貯蓄だと思い、一筆させて頂く。

手記No 0162すべてに感謝の中で山野草女性 58歳 掲載号 2009/3/1 No.12

お参りさせて頂くようになり、お火鉢でお話を聞かせて頂き、信話集を読ませて頂くという日々でした。それから私は大変なおかげを頂くことになりました。結婚してなかなか子供に恵まれず、いつもお届をしていたのですが、完全にあきらめていました。それが結婚して21年目に男の子に恵まれたのです。 43歳の高齢初産でした。それも7ヶ月まで妊娠と気づかず、出産にも15分という超安産というおはからいを頂いたのです。本当に感謝をしても感謝しつくせません。でもその出産直後、子供が1歳2ヶ月の時に、主人が他界というドラマが待っていました。…… それは子供が生まれた2日後に、受けに行った会社の定期健康診断で精密検査をしなければいけないと言われ、帰ってきたのが発端でした。そして2ヶ月後に入院となり、その後すぐに病院から私へ、主人に内緒でくるように言われ、余命数ヶ月の宣告を受けたのです。私はただ呆然とするしかありませんでした。 子供は生まれたばかり。いったいこれからどうしたらいいんだろうと言う不安と主人には告知しないで、主人の前では涙を見せず気丈にしていなくてはいけない……! 主人はやっと恵まれた子供とも一緒におれず、親子の団らんは病院の中でした。2〜3日外泊許可が出ても、又すぐ病院へ戻らなければいけない。主人も本当に辛かったと思います。それを見送る私も辛い日々でした。どうして神様はこんな辛い試練をお与えになるんだろうかと、辛い中でも行けるときにはお教会へお参りしてお届けをして、病院へいっておりました。しかし宣告を受けて1年後、主人は帰らぬ人となりました。どうして神様はこんな試練をお与えになるんだろう!! どうして…どうして…と思いますと、しばらく約1年位はお参りする気力もありませんでした。それでも神様は、良い事がおこっても悪い事がおこってもおかげとおっしゃって下さいます。雨風を凌げる家があり又細々とでも生活に困らないようにしていただいているという事が有り難く、お礼申しあげなければいけないという気持ちになり、再びお参りさせていただくようになりました。主人と一緒に子育てできないことは淋しくむなしいものがありますが、たとえ目に見えなくても何時も傍にいてくれる思いでおりますし、本当にすべてに感謝しても感謝しきれないという、気持ちです。その時1才2ヶ月だった子供も中学3年生となり、私の背丈を超え受験を迎える年齢となりました。なにが起きてもおかげとおっしゃて下さいますが、その時その時に起きてくる事から、ままよままよの気持ちで有り難く、受けていかなければと思っております。そう思いますとすべてに感謝しないではおれない今日この頃です。

手記No 0161神様よりのメッセージ浦島太郎男性 67歳 掲載号 2009/3/1 No.12

何人かの人が以前、神様よりのメッセージについて投稿されていた。その中で何事をするにも、よくお願いをして細心の注意をはらってご用をしておれば、必ずヒントはあるとの提案だったと思う。しかし凡夫な私にはそんなメッセージに気づかない(問題にしない)場合がある。昔、伯母に聞いた話であるが、戦時中私が3才の頃、5才と4才年上の姉と兄が学童疎開に預けられ、父は徴兵、乳飲み子の弟と私を抱え、母は大変だったらしい。そんな時私もこの伯母宅に預けられ、親元を離れての生活。泣きもせず近所でも評判のよい子(?)だったらしい。しかし、ある夜中目を覚まし、伯母を起こしグズッたらしい。今夜に限ってどうしてと、大変困らせたという。その時かすかにコトッという音がしたのでそちらに行ってみると、今まさに燃え上がる寸前だったらしい。消し壺の火の不始末だったという。火の始末を終えお詫びを申し部屋に戻ると、私は何事も無かったようによい子に戻り眠っていたという。神様は何も解らない幼い私を使いメッセージをくださったのでしょうネ! それとかすかな音に気づいた伯母にも……!!

手記No 0160認知症の親に学ぶデァ・ベア男性 62歳 掲載号 2009/3/1 No.12

少し前から認知症を発症した親は、過去の知識はあるが直近のことはほとんど頭に留まらない。しかし足腰に支障なく、また昔からの経験は記憶として残っているため、今のところ迷子や事故に遭遇することなく一人でお教会に参拝している。周囲の方々のお世話になっていることもあるからだが、本人は毎日が楽しいという。私としても本当にありがたいことである。ただし、充電したナビ付携帯電話を常に外出する本人に持たせ、いつでも所在を把握できる態勢にしておく配慮は必須。それ以外は全て神様にお任せである。そうは言っても私自身ストレスがかかることがあるが、それもささやかな恩返しのための修行の場であると考えている。今この瞬間を楽しく感謝して生きる親にエールを送りたい。

手記No 0159信心に想う遊 峰男性 82歳 掲載号 2009/3/1 No.12

少し前から認知症を発症した親は、過去の知識はあるが直近のことはほとんど頭に留まらない。しかし足腰に支障なく、また昔からの経験は記憶として残っているため、今のところ迷子や事故に遭遇することなく一人でお教会に参拝している。周囲の方々のお世話になっていることもあるからだが、本人は毎日が楽しいという。私としても本当にありがたいことである。ただし、充電したナビ付携帯電話を常に外出する本人に持たせ、いつでも所在を把握できる態勢にしておく配慮は必須。それ以外は全て神様にお任せである。そうは言っても私自身ストレスがかかることがあるが、それもささやかな恩返しのための修行の場であると考えている。今この瞬間を楽しく感謝して生きる親にエールを送りたい。

手記No 0158「メグリ」新生児女性 56歳 掲載号 2009/3/1 No.12

「メグリ」を私は自分自身のものと捉えている。産まれようと嫁ごうと、メグリ深き家に入るのは、自分の前世・前々世からの魂の代々のメグリによって、入るべき流れのところへ入ったにすぎない。犯罪者の子として生まれようが、貧乏な家に生まれようが、そこに生まれる理由が先に自分の中にあるはず。「メグリ深い家に生まれたから」とか「先祖がメグリをつんでるから」と親先祖のせいにする前に、例え現世では素晴らしい人であっても、「そういう所へ縁付かねばならぬ、生まれ変わり死に変わりして積み重ねてきた自分の知らぬ自分」が原点である。つれ合いを悪く言う人も多いが、どんな良夫良妻であろうと、右手が左手の悪口を言うようなものであり、子供を嘆く人は、親としてどんなに素晴らしい人であっても、そういう子供を持たねばならぬ自分自身として、おかげをいただかねばならないと思う。全ては自分自身が問題であり、だからこそ自分次第でおかげをいただけるはずである。その為なら「メグリ深い」という自覚は大切なものと思う。

手記No 0157ご神縁あってのお手引きご用そよ風女性 84歳 掲載号 2009/3/1 No.12

私は今、子孫のために、私の知らぬ「あらゆる病気全快根切れ」のおかげを頂けております。玉水教会にご縁頂けての幸せです。苦痛や体の自由のきかぬ時、「子孫がこんな目をしては可哀そう」と祈りに一段と力が入ります。お取り次ぎのおかげで時には「お手代わり」かと分からぬ乍らお礼申しています。ご恩ある「神様、大先生」を子孫に伝えられぬめぐり深き身故「子供が恩知らずになりませんよう」歴代大先生、親先生にひたすら祈りの日々。参拝させて頂けるお礼と子孫がご神縁頂ける日を楽しみに、只々お導きを願う。神知らぬ人、考えた事もない人が殆どの世です。一人でも多くの人がご神縁頂き、この玉水教会にお引き寄せ頂けるようにと、参拝のタクシーの中でもお手引きのご用に使って頂ける日々。お礼の稽古真っ直中です。

手記No 0156“おんぶの子守”と親子の愛情人生の扉男性 54歳 掲載号 2009/3/1 No.12

最近の若いお母さんの子守風景は、赤ちゃんと向き合った「抱っこ」スタイルが多く見られます。昔のように「背負って子守」(おんぶ)するお母さんが少なくなった様に思います。近年、親子関係で不幸な事件が増えているのは、ここに原因の一つがあるように感じます。それは、赤ちゃんが物心付く前から“親と対立した目線”で育ち、親子間に肌の温もりが伝わらない子育てスタイルが自然と親子関係を希薄にしていると感じます。「親子の肌の温もりがしっかりと伝わる背中に密着した“おんぶの子守”が子育ての原点だと思います」。……赤ちゃんが育つ過程で“親と対立した感情”が先に身に付く「抱っこ」スタイルに、少し疑問を感じます。……幼児期に親の背中越しの目線を体でしっかり感じ取り、心の中に親と同じ方向を見る感性がしっかり育まれていれば、“反抗期”になっても、親子は心の中でお互いを理解し合えるはず。親子間の「不幸な事件」を無くす為に“おんぶの子守”が昔のように復活することを望んでおります。 信心は家庭に不和の無きことがもとなり、と教えられておりますが、実生活で活用したいものです。(私の感じるまま書かせて頂き失礼しました)

手記No 0155海のもくずわたるちゃん男性 62歳 掲載号 2009/3/1 No.12

少年の頃、海水浴に行った時、人が死ねばどうなるのだろうか?……と考えたことがある。海水浴で海の汚れを見て、死ねば海のもくずになってしまう、とそんなことを考えた事があり、そんな想いにふけったものです。まことに神様のこしらえられたこの世がそんなものであろうか?……今この体を構成している水分や物質はもともとあちこちに散らばっていた海のもくずの様なものであったかもしれない。しかし神はそのもくず一つ一つを集められてこの偉大な人体を創られたと想われる。有り難いではないか、人の体も新しい生命(子孫)を創り出し自身が死して何も残らないとしても、出来るだけ何らかの功績は遺したいものですネ!

手記No 0154苦しみや悲しみを忘れて八重桜女性 87歳 掲載号 2009/3/1 No.12

報道によりますと100年に一度という世界的な大不況が目前にやってきていると言う事、朝から晩まで事例を挙げて報道されておりますが、お正月の玉水教会は正に春の暖かさに包まれ、楽園の如く幸せ一杯でした。これも一重に昼夜を問わず信者の幸せを祈り続けて下さる歴代大先生のお徳によって、私たちが頂いている神様のおかげの現れだと思わせて頂きました。そこには辛い話も悲しい話もなく、幸せを信じる笑顔ばかりでした。願わくば此の楽しそうな笑顔が一年中続きます様に、そして本年の年越し大祓を笑って頂かせて頂ける様にお願いせずにはおれませんでした。勢を揃えて神様にお願いさせて頂きたいと思っております。

手記No 0153「ふれあいの広場」のおかげ八重桜女性 87歳 掲載号 2008/12/13 No.11

'07の新春「ふれあいの広場」が誕生して早2年になろうとしています。毎回発行されますのを心待ちに致しております。私のようにお参りさせて頂きましても、お話を余り聴かせて頂く機会もなく信心友達と言える人もあまりない者にとって、あゆみと共にお話を聴かせて頂ける本当に楽しみの一つであります。一つの事例についての解釈の仕方、また心の持ち方、本当に勉強になります。初代大先生のお話を聴いて助かる道とみ教え下さいました事が「ふれあいの広場」の色々なお話によってこれは私に対する神様のみ教えなのだと思わせて頂くことが沢山あります。有り難うございます。

手記No 0152入信のきっかけ山野草女性 58歳 掲載号 2008/12/13 No.11

私は22歳の時に結婚して九州の田舎より大阪に出てまいりました。その時にお参りのきっかけとなりましたのは、結婚して間もなく、主人の洋服を買わせて頂いておりましたお店の方と親しくお話をさせて頂くようになってからです。様子を見ておりましても、お話をしておりましても、本当に教えられ感心させられる事ばかりでした。そうこうしております内に、妹の結婚問題で大変な事が起こって参りまして、その方にお話し致しましたら、お参りさせて頂いている所があるからと連れて行って下さったのが金光教であり玉水教会でした。その時お結界に二代大先生が座っておられ、事情をお話しすると身を乗り出す様にしてカッと目を開き、「わかりました」とおっしゃって頂き、それからトントンと問題が解決致しまして、すぐに良縁のおかげを頂き、二人の子供にも恵まれ大変幸せに暮らしております。その時私が求めていたのはこれだと思い、お参りさせて頂くようになりました。

手記No 0151お礼と感謝の日々元へいたいさん男性 83歳 掲載号 2008/12/13 No.11

健康のおかげを頂き誠に有り難く感謝致しております毎日です。終戦を旧満州で迎えました時、敵兵20人余りに銃剣で取り囲まれ殺される処を助かったこと、またシベリア抑留中に交通事故に遭いその時3人が死亡、紙一重の処で助かるおかげを頂きました。シベリア抑留4年有余、冬は零下55℃迄になり零下35℃と少しやわらぐと作業に出るのですが、防寒服は整っておりませんし、食事は悪く少量で、体は衰弱し歩行するのが困難な状態でした。以上のような体験をさせて頂いた経験から、自分一人の力で生きているのではなく、神様のお加護により生かされて生きていることがわかるようになりました。余生を教会への足運びのおかげを頂き、お礼と感謝の日々を送らせて頂く毎日です。

手記No 0150暑き草刈り聖徳太子男性 73歳 掲載号 2008/12/13 No.11

炎天下、気温36℃午後1時自動車運転免許教習所走行コースに散在するグリーンベルト(芝生)上の草刈り中、ふと路上を眺めると炎のように、かげろうが見えた。麦わら帽子をかぶっているが汗が頭から顔面に滝の如く吹き出してくる。思わずつぶやいた。「冷たい氷のかち割りドレッサーを頭から乗っけたいなー」と。次に出た言葉、「何の因果でこんなに苦しい辛い仕事をしなければならないのだ!」草刈り作業が終わり冷たい水をのみながら眺め渡すと青々と芝目が輝いて綺麗に見えた。俺がやったんダ! と苦しかった後の達成感と喜びがひとしお湧いてきた。またこの年になっての急な失業。ハローワークに行っても年がじゃまをして仕事がない。お願いをして昔の上司の所に遊びに行くと、降って湧いたような再々就職話も追い打ちをかける。何でこんなに苦しい!……が、有り難いことである。

手記No 0149妻の病気を通して妻を思う夫男性 85歳 掲載号 2008/12/13 No.11

妻が平成19年9月5日、急に体調に異変があり入院致しました。私はお参りしてお取次を頂く時間がなく電話でお取次頂き「速やかに病気全快のおかげを頂きますよう」お届けしました。書生さんが「ハイわかりました」とお取次をして下さり、その時私の心の中でおかげ頂けたと感じました。ところが平成20年5月20日再入院することになりました。水分と栄養不足とのことでした。私としては足らぬ所を足して頂けると感じました。付添をしながらひまを見てはお参りしてお願いをしておりましたら、1ヶ月で退院いたしました。家族一同これからも健康のおかげを頂けるよう願っております。

手記No 0148御本部参拝車中でプチとペコ男性 58歳 掲載号 2008/12/13 No.11

「今月も何か学ばせて下さい」とお願いしておりましたら、私の席の前に認知症の姑さんを介護なさっておられる方と神様は同席させて下さいました。私は認知症の母に、「音読するように、又計算ドリルをするように、薬飲み忘れないように」と本で得た情報を元に、全然やる気のない母にイライラしながら説得していました。でも認知症の人は、そうすると頭が混乱したり、やる気が失せたり逆効果。それより、今までこうして自分を育て上げてくれたことに想いを向け、そのお礼の気持ちを、優しい言葉に込めて、彼女が安心出来る状態を創ることが一番と、心から納得出来るお話を聞かせて頂くことが出来ました。こちらが願っていたら、神様は、何時も自分に必要な方に出会わせて下さることを最近益々確信できるようになりました。

手記No 0147目に見えるおかげ遊峰男性 82歳 掲載号 2008/12/13 No.11

二代大先生ご在世中、お結界の先生に出産のお取次でもっともらしく此の子を通して妻と親に信心を教えて下さいとお願いを続けた。実はお腹で体が横になり、頭も右に寄り左に寄りし続け、豊中市民病院に2ヶ月程通院するも、正常に成らず、生まれる寸前に首にへその緒が2重巻になったが出産は正常。母が医者にお礼に行くと、「今まで当病院で何千何万人出産したが不思議でなりません。誰か何か信心されて居られるのでは」とこの出産を通して言われた。又私もこの子を通して願い通りのおかげを頂いた。その後学校も公立校を順調に、就職も日本航空6次試験に6千人中45名の難関を突破しておかげを頂く。この事も日常の生活も歴代大先生、親先生のご祈念の賜と深くお礼の日々です。

手記No 0146「神様の思い」新生児女性 56歳 掲載号 2008/12/13 No.11

ネコを2匹飼っている。お風呂が嫌いで、大声で鳴き身をよじって逃げるので、そこそこ洗うのがやっとだが、出てからはゴロゴロと喉を鳴らして気持ち良さそうに寝そべっている。この間ノミをみつけ、ふと浴槽を見て「これにザブンと漬けて思いっきり洗ったら本人(ネコ)も気持ちいいやろなあ」と思ったが、気絶でもしない限りそうはさせてくれない。「人間も同じやなあ。神様が、ああしてやったら後々楽になるからと手をかけてくださっても、その思いが分からず、泣いて逃げ回るんやなあ」と思う。手を怪我して臭い汁が出ているので注射していただくと大声で鳴き、暴れる。薬を飲ませるのも大変だ。こちらにはネコがこの事によって良くなると解っているのだが、ネコにはただの難でしかない。慣れているかゆみや痛みの方が楽なのだ。人間も出産の苦しみや歯の治療は、良くなる為の限られた期間の苦痛であると解っているので耐えられるが、理由もわからず、いつまで続くか分からない難にうろたえるのは、同じやなあと、ネコをみて思う。

手記No 0145人生はお導きの手の中にそよ風女性 84歳 掲載号 2008/12/13 No.11

父と死別して67年、父娘のご縁にお礼申し喜びの報告をさせて頂き、父が私の小二の頃より全累家のご先祖を拝ませて頂き、先祖の助かりを願っていました。その信心を心身に付けさせて頂けたおかげで、玉水教会にもご縁頂けました。異母姉や近所の方が「逆境にあり乍ら、よくそんな優しい清らかな心が持てたネ!」と驚かれ、又第一養母と生き別れ後39年ぶりに再会して「良くその年で(43才)そこ迄の信心が出来てますネ!」と喜んで頂けたのもひとえに父母の陰の祈りのおかげと思います。私の人生は友から小説以上よ、小説に書けばとよく言われました。第一養母は私との生き別れから苦しみの中、信心にご縁頂き、後に大きなおかげを頂ける迄になり、人の命の助かりにも、おかげ頂かれました。人生は全て神様のお計らい、尊いかぎりです。

手記No 0144酒に教えられた信心わたるちゃん男性 62歳 掲載号 2008/12/13 No.11

飲酒歴20年になるだろうか、酒好きの私は酒でずい分失敗もしました。しかし酒も神様が人に与えられたもの、何で悪いのかという気もしないではないが。そんな折仕事が終った後、人がワンカップ酒をくれた時、神様に「神の愛、神のみ霊、いやしの御酒となりたまいて、我心身をいやしたまへ」と祈っておりました。その時思った事、今日一日仕事をしたお礼に神様がこの神酒をくださったのである。ほろ酔い気分の中にそんな神様の情愛を感じておりました。今日働いたお礼に神様が飲ませてくださった癒しのお酒、有り難いと思いました。但しご神意に反した程度を越えた飲酒は自分の責任であって、神様の責任ではないとも感じました。酒好きな方の参考になればと投稿しました。

手記No 0143紙を買う人、紙を売る人わたるちゃん男性 62歳 掲載号 2008/12/13 No.11

紙を売っている? 小学校の遠足で大阪市内を歩いていた時の想い出に、証券を貼る看板を見て腹が立ったのを覚えている。先生が怒っている私の顔を見て笑っていた。都会という所は紙を売っているのか! そんな考えが頭をもたげ腹が立ったのである。最近実際に高齢の方が債券や同じ儲け話にだまされて本当に大金が紙くず同然になった話などを聞く。教典に「バクチは重々の罪」とあったと思う。気の毒だが騙される側もうまい話に乗ったのではあるまいか? 私が大儲けの話とか賭博をしなくなったのは、賭博で勝った金も負けたその人の恨みの金である。また自らが負けた金も賭博に勝った人の懐にころげている。いるものは神様に頂こう。

手記No 0142三代大先生の懐かしい想い出たんぽぽ女性 62歳 掲載号 2008/12/13 No.11

二十年位前の事だったでしょうか。金光第一高等学校(現金光大阪高等学校)創設の頃でした。ある日、三代大先生より「学校の帳簿整理に来ませんか」とのお言葉を頂きました。そこで早速、高槻の同校へ通うことになりました。最初のうちは慣れないこともあり戸惑っておりましたが、皆様に助けて頂き無事整理を終えることが出来ました。その時やれやれ良かったなとしか思っておりませんでした。しかし今改めて大先生がどれほど深くお祈り添え下さっていたかということを、しみじみ思わせて頂き、有り難くお礼申さずにおれません。

手記No 0140気付かせて頂く百会男性 57歳 掲載号 2008/9/1 No.10

私達は、天地の親神様から時々刻々メッセージを頂いております。何気ない日々の生活の上にも、事が起きた時にも、神様の「声なき声」に「気付かせて頂く」ところに、お道の信心の神髄があると思わせて頂きます。又、「気付かせて頂く」ことに信心させて頂いている意味があり、気付かせて頂く時にこそ、信心させて頂いております私達の心に神が生まれ、おかげの鍵とも言うべき「願い、お詫び、改まり」が実践でき、おかげへと道が繋がるのではないでしょうか。私自身、一つでも神様のメッセージに「気付かせて頂く信心」をさせて頂きたいと思います。

手記No 0139なにが有り難い?デァ・ベア男性 61歳 掲載号 2008/9/1 No.10

信心の進化ステップの自己診断のひとつとしてお楽しみ下さい。 ?おかげがあったから有り難い?解説例:おかげをいただいたことはもちろん有り難い。同時に、「神に向かう心」を強くさせて頂いたと気付いたことが有り難い。 ?なにごともないのが有り難い?解説例:なにごともない状態にもかかわらず「神に向かう心」をさらに強くする努力をさせていただいていると気付いたことが有り難い。 ?辛抱が有り難い? 解説例:辛抱して目標成就に向けて、「神に向かう心」を強くさせていただいていると気付いたことが有り難い。つまり、神に向かう心(すべてに礼をいう心で神様に一心に縋りつく心)を強くさせていただくのに、毎日どう骨折ったらよいかが信心のポイントとなります。難しいことですが、皆で頑張りましょう。

手記No 0138難はみかげと助かりの喜びしだれ桜女性 56歳 掲載号 2008/9/1 No.10

玉水教会のお徳の中で取次助けて頂いております。我々は仕事に行きづまり難儀な事ばかりで辛くとも、それがおかげの真っ只中であって、その難儀を乗り切らせて頂くことで成長し信心を進めさせて頂けます。なかなか真っ只中にいるとそうは思えませんが間違いなくその前方には灯明があります。また希望を失いかけても、真の祈り、つまり人の助かりを祈らせて頂くことで自分を保たせて頂けます。初代大先生は「心配は神様に渡せ」と言って下さり、過去の事も過ぎた事を苦にするなと。そして、「未来は悪いことを思うな、先を楽しめ」とも。こんなに生きることに自信を持たせて頂けるほど有り難いことはありません。どうぞ安心して豊かな気持ちになって頂きたいと思います。

手記No 0137またとなき幸への道そよ風女性 84歳 掲載号 2008/9/1 No.10

昭和19年2月1日は、命が危なかった私が親のため、親族のため命乞いをして他人にも不思議がられ乍ら、命頂けた私の記念日。お道に御縁頂けたのが、昭和16年10月10日の就職の日。大きな運命の転換日は何時も大事なお日柄。信心の道は金光教と自覚しているが、「金光様」と祈ることなく、只々「玉水の先生」で、形もととのわぬ身が次々と頂けぬようなおかげを頂かせていただき、自分の事より他人の事を先に願えのみ教えをその頃は知りませんでしたが、振り返るとその通りでした。親と姉一家の事ばかり。昭和22年帰阪後「大先生? 湯川? どこの地名?」そんな私が先祖の助かり、運命の切替えを体験させて頂き、お火鉢の教えが真と分かる。ただ一重にお導きお取次ぎあればこそです。一人でも多くの人が助かり、真のお礼をさせて頂き、三つの親様(魂・教え・肉親)に喜んで頂きたい。縁なき人にも是非この道をと。

手記No 0136神様は無駄事はさせなさらんそよ風女性 84歳 掲載号 2008/9/1 No.10

ある御本部参拝の日、2時間も早く駅へ着き、時間待ちしていてふと気が付けばもう発車時刻。JRで西へは一度も行ったことのない私は大あわて、やっとの思いで本部の控所へ。後年お墓を授かり、改式前で数軒の合祀の故、教会と御本部にお礼とお届けをして、清めのお水も頂き義経の三段飛びではないが、御本部、下津井、香川県の本島と、休日の始発から終電車迄の一日を走り回り、行きずりの人の車に便乗のおかげで御用が一日で出来「ああ、あの時の乗り遅れはこの日の為の予行演習のお導きだった」と気づき、改めて心からお礼申し上げる。便乗させて下さった方が、四国で年一度の観音様のお祭りのお下がりをとお分け下さり、帰宅後開けると紅白のお餅二つ重ね。神様とみたま様のお喜びと感じる。三代大先生の「良い悪いは一切無い」とのお教えは、このことかと。

手記No 0135お盆に想うこと八重桜女性 87歳 掲載号 2008/9/1 No.10

毎年この時期になりますと、誰彼なしに決まって「お宅は神様やからよろしいなァ、お盆が来ても何もしなくてよい」とよく言われます。私はそれに対して何も反論は致しませんし、適切な説明もいたしませんが、仏式ではお盆というきまりに、親先祖を丁重にお祭りをする。「信徒はそれをしなくてもよい、その様な行事は従来からない」という世間一般のおもいはおかしいと思います。仏式であれ神式であれ、要するに大切なのはそれぞれの心だと思います。ご神前がいくら立派でも、いやいやのお祭りでは、みたま様はきっとお嘆きだろうと思います。たとえ菓子箱の古いのをお供えしたとしても、心を込めてお祭りさせて頂けたら、それはそれなりに神様もみたま様もお喜びになるのではないかと、いつも心を神様とみたま様に向けて思っております。

手記No 0134三代大先生の想い出とお礼八重桜女性 87歳 掲載号 2008/9/1 No.10

今日はご本部参拝で教会もいつになく静かでした。私はご本部参拝の度に思い出すことが多々ありますが、中でもある年の二月のご本部参拝の時、三代大先生のお供をさせて頂き、教祖様の奥城へお参りさせて頂いた時、列の一番端で冷たい風が顔に当たり顔面神経痛になりました。それを大先生にお届けをさせて頂きましたところ、ハイハイとお聞き届け頂き、一ヶ月程で全快のおかげを頂きました。思い起こせばその他にも沢山のお届けをお聞き届け下さいました。その三代大先生が私共のお届けを聞いて下さり、世間が未だあまり福祉のことを言わない頃に、すでに大学までお造りになり、大変なご苦労だったと思います。

手記No 0133恐ろしい幻術師の自分わたるちゃん男性 62歳 掲載号 2008/9/1 No.10

私の少年時代は、「神のこと、生きていくこと」にあれこれ悩んだものでした。何故悩むのかと考えたとき、それは賢いから悩むんだと気が付いた。初代大先生が『わが信心のあゆみ』の中で、何が自分を苦しめたのかについて、「自分の腕であった」と言っておられる。教祖様も「我が心の鬼が我が身を攻めるぞ」と言っておられる。仏教で言われる「無明」、つまりありもせぬあれこれを考えだして悩む、要するに心という巧妙な幻術師が自分にあれこれと幻術をかけて自分を苦しめている。悩みは賢い自分を働かせるが、しかしその賢さを自己を苦しめるためではなく、喜びへ向ければ幸せになれるのである。悩むのは賢いからである。その賢さを喜びと感謝へ向けたいと思う。

手記No 0132信心にテクニックの応用?わたるちゃん男性 62歳 掲載号 2008/9/1 No.10

当「ふれあいの広場」に「信心のコツ」という投稿がありましたが、神信心にコツやテクニックを応用するのは如何かと。確かに商売のコツや投資にテクニックを応用して金儲けをした人もあろう。甘いことを言って人をだまして大儲けした人もあろう。神は言葉巧みなコツある人、上手なテクニッシャンの動きに左右されるのであろうか?昔勤めていた水道屋の親方が言っていましたが、水道の仕事を始めてから3年間は水道の仕事をさせてくれず、物運びばかりだったと。これを信心に替えて言えば、信心始めは只教会へ通うだけだった…と、その只教会へ通うだけが尊いのである。神のお誘いであり、おかげである。そのささやかな通い続けると言う心掛けがやがて大きなおかげへと育つ。

手記No 0131ゆたかな心聖徳太子男性 73歳 掲載号 2008/9/1 No.10

大阪造幣局、通り抜けの桜。花見に行く為、地下鉄東梅田プラットホームでふと見渡すと電車乗降口場所に、乗客が二列に整然と綺麗に並んでいる。電車到着、降りる人が終了してから押し合うことなく全員乗車した。心のゆとりのある行動に私は感動した。その時、イギリスのエリザベス女王のエピソードを思い出した。晩餐会にメイドがフィンガーボウルに水をたたえて、来席者に配った。招待されたある外国人が両手で持ちフィンガーボウルの水を飲んでしまった。すると女王も自ら水を飲んだ。食事前手指を洗う水であった。招待客に恥をかかせない配慮をした女王の心のゆたかさである。この二つの事例から信心する者の心構えを学んだような気がします。

手記No 0130すべてに礼をいう心デァ・ベア男性 61歳 掲載号 2008/9/1 No.10

2年前に右目が、さらに1年前に左目に異常が発生した。そしてある日、お取次で「年齢を考え、一度人間ドッグへいくように」とのお言葉。病気のとりこになる性格の私は、精密検査申し込みを決心してから検査終了まで心配をひきずり通した。診察の結果は異常なし。直ちに御礼申し上げた。しかし同時に、心配を打ち消すことができなかったことを心から詫びた。実はその前日までに、「ここまで神様が私を励ましておられるのか」と思わされることが頻繁にあったにもかかわらず心配が消えなかったためでもある。しかし、しばらくして気付かせられた。結果が良かったことは勿論有り難いが、これまでの不都合な2年間がなかったら、「すべてに礼をいう心」の大切さに気付かされることにならなかったのではないか…。これからも、「就寝前のお礼のお祈り」と「お神酒の目薬」を続けることとする。

手記No 0129三代大先生の想い出浦島太郎男性 66歳 掲載号 2008/7/1 No.9

昔、青年会入会当初、三代大先生(当時若先生)のお宅応接室で集会をよく開かせて頂いた。その中で私は、高いところは苦手で高いところに上っての御用は他の人にお願いしておりますとの発言を何度かしたことがある。ある年のお正月、教会の塀に取り付けた幕が風のため部分的にはずれ、それを私が一人で脚立に上り直していると、誰かが脚立を支え手伝ってくれている気配を感じた。下を見ることも出来ず、有り難うという投げかけに無言の返事(支え続け)。作業を終え下に降りると三代大先生であった。有り難うとのお言葉、その背後に二代大先生のお姿。お出かけから帰られたところだったようだ。予期せぬお手伝いにとまどいと有り難さを感じた。

手記No 0128ありし日の三代大先生八重桜女性 88歳 掲載号 2008/7/1 No.9

今から十数年前、三代大先生はお元気で毎朝のご祈念の時、お結界にお出ましでいつも神様にご祈念して下さいました。当時私は夫が難病におかされ神様しか頼るものはなく、毎日毎日それこそ同じお願いをしていました。でも寿命がなくその後夫は他界致しました。三代大先生は大勢の信者さんのお願いの中でも私のお届けをよく覚えていて下さいまして、次のご霊祭の時に難病で亡くなった御霊様と御祈念下さいました。お優しいお心の三代大先生がその後間もなくご心労が重なり亡くなられました。皆様にとっても三代大先生のお国替えはどれ程無念だったことでしょう。いつも想像しますと涙が出て参ります。でも遺されましたスローガンの「まことの信心・まことのおかげ」は私共の心から消えることはありません。ご冥福をお祈りいたしております。

手記No 0127命を繋ぐ糸デァ・ベア男性 61歳 掲載号 2008/7/1 No.9

二代大先生ご帰幽直後の1988年2月体調を崩し、転勤先のなじみのない病院へ急遽入院した。担当医の診断のまずさの中、大きな不安を抱え電話でお届けした。彌壽善先生から「今の病院でおかげをいただこう。大阪の方に向かってお祈りしておけば大丈夫」とのお言葉を頂いた。そんな状況直後のある夜、三代大先生と生死をさまよう私が、ピンと張った細い糸で繋がっているのを感じた。意識が混沌とする中で、今お祈りして頂いている有り難さと祈りの凄さを感じた。その1?2日後、どういう経緯か担当医が急遽交代し適切な治療が開始され、転院することなく無事完治。二代大先生、三代大先生、彌壽善先生の総力で私の命が繋がった。しかし、こうした有り難い出来事にもかかわらず、本当のお礼に気づかせていただくことになるのはずっと後となる。誠に申し訳ないことである。

手記No 0126遺言あやめ女性 88歳 掲載号 2008/7/1 No.9

母と妹と三人家族。戦後間もなく丈夫な母が突然胃癌と言われ次第に苦しい闘病生活に入りました。最期の時、母自ら神棚に灯明を上げ、これからは金光様を離さぬようにと言い残して息絶えましたが、その時は切なる親心もわからず只悲しくて涙に明けくれました。年月を重ねて、あれは母の遺言だったとよくよく分からせて頂き、熱心なお参りも出来ませんが、金光様一筋に迷う事なく、あれもこれも気づかなかったお蔭を沢山頂いた事振り返って有り難く思っております。昨年は米寿のお祝いも頂き益々元気一杯一人暮らしを楽しんでおります。神の杖をつけば安心。まこと今は何も思う事なくお礼の毎日です。

手記No 0125信心に向かう親の辛抱JUN男性   掲載号 2008/7/1 No.9

Aさんは信心のある家庭に育ち特に苦労なく成長。結婚して二人の子供に恵まれましたが、その子たちは、勉強熱心な今で言うよい子ではなく、思春期には親に何かと反発するという問題を抱えることになりました。辛い経験に直面したAさんは、お教会で毎日のように事細かなことまでお取次頂き、そのとおりにするよう努力したそうです。そのポイントは、「子供への注意は最小限とし、見守りきること」であったとされます。Aさんによると、「単なる辛抱ではなく、子供が人間として立派になることを願う親としての辛抱が信心の道ですね。私は今も子供に育てられています。もちろん、子供に対する辛抱のない身勝手な叱責をしないように、親が反省しないと…」とのことです。

手記No 0123人付き合いTease女性   掲載号 2008/7/1 No.9

毎日、幸せに過ごしていたと思っていたのに、ふっと気が付くと自分の嫌なところが目につき出し、試練を与えられたと…。人に相談された時は、聞かせて戴いた話をして分かってもらえても、自分のこととなると冷静さをなくして、嫌な面が出てきて直そうと思うとよりひどくなり、余裕がありません。後でこれも修行と思うのに時間がかかり、お詫びの日々です。気づかせてもらったお礼と嫌なところのお詫びのかぎりです。気を抜くと元の木阿弥です。信心するのに友達はいらないと、良く聞かされます。友達って心から信頼できる人? その時、その場楽しく話せる人? 人の足を引っ張る人? 血を分けた身内でも「土足で入るな」と言われたことがあり、人との関わりは難しいものです。人と歯車が噛み合わないのも惨めな思いがします。本音で話せる人がいればすっきりするでしょうに、自分の我の強さが災いするのか、聞く耳をもたない自分。何を信心しているのかと疑いたくなる…。それでも神様は生かし助けてくださるのですね。

手記No 0122ご神縁頂ければこそそよ風女性 84歳 掲載号 2008/7/1 No.9

袖すり合うのも多少の縁で、会う人に「生命は誰から?」「神仏には?」との問いに十中八九の人が「無関心」と返答。その時しみじみとご神縁頂け、改式までも頂けた有り難さに歴代大先生、親先生のお蔭と感謝。子孫までにも神縁を、そして真のお礼をと願わずにはおれません。神を知らぬ人多き世の中、恵み厚き玉水あればこそ。信心は自分で出来るものではありません。日々のお導きお取次を頂けてこそさせて頂けるのです。私は始め「こんこんさんへ」との誘いに、お稲荷さんと思って断りました。後日大先生の祈りの下に引き寄せられてご縁頂きましたが、お手引きなしの勝手信心で、後から考えると「良くあんな風に思わせて頂けた事」と。只々、日々諸先生のお取次のお蔭です。今は一人でも多くの人にご神縁頂けますよう、祈り・お手引き・御用の稽古中。

手記No 0121お結界あればこそそよ風女性 84歳 掲載号 2008/7/1 No.9

S26年頃、バスに弱く、和歌山墓参は参加出来ず電車での一人参りで堀止停とのバスを頼りに、お結界お届けを杖に参拝。いいかげんな方向に進み、この辺で曲がったらと思いのままに前進。進むうちに墓地の中。どこかも判らずキョロキョロしながらふと右向けばそこが大先生の墓前。迷いもせず無事着けた。この不思議はお結界お届けさせて頂けたからこそと、お礼参拝させて頂きました。また後年ご本部団体参拝が出来ず、後日お届けしての参拝に、二代様、三代様の前の坂道で『いつも先生のお伴で参るのに』と思った途端ありありと二代大先生の笑顔が浮かび二度三度と左右を行き来し『ああ一人でなくやはりお伴をさせて下さっている』と実感し、お届けの確かさ、大切さを知りました。

手記No 0120見えぬ世界の実感わたるちゃん男性 62歳 掲載号 2008/7/1 No.9

一般人にとって霊の世界とか神や仏の世界というのは、何か霧や雲の如くはっきりしないあやふやのものと思われがちでありますが、実はこの現世よりも確かなもの、人間の肉眼で見える世界こそ霊の影の世界であり、この世は神の霊の力によって具現されている影の世界だとも言い得ると思う。初代大先生の「我が信心のあゆみ」のなかに、肉眼で見える世界を現像界、霊の世界を実体界と申されておりますが、まことに私もそう思う。家内がお国替えの後、私が家内を毎日拝むくせが自然とついたのは何を意味するか?教会に自然と参拝するのは何を意味するのか? そこに神や霊の世界との見えぬ関わりを思う。皆様も見えぬ神や霊を大切に、関わりを深められる幸せをお祈りいたします。

手記No 0119玉水200年に向かっての勢祈念昔青年会員男性 83歳 掲載号 2008/7/1 No.9

玉水200年に向かって月に一度でも信徒会の勢祈念をさせて頂けたらと思い、その日を19日と決めお結界に願い出、お許しを得て委員長会議に提案。当日出席の全委員長の賛同を得て実施される事に決まりました。19日は二代大先生のご命日。二代大先生は氏子の難儀を助けるため深夜よりの御祈念、早朝よりのお結界お取次等々、寝食を忘れ命がけでお祈り下さり、氏子一同おおみかげをこうむって参りました。そして日々に大変なご苦労をおかけした事は恐れ多く勿体ないことであります。この大先生のお祈り、お徳を頂いての勢祈念が最高と思ったからですが、19日のご祈念は、二代大先生20年祭で打ち切られ、200年300年に継ぐ事が出来ず、私の祈り・思いの至らなかったことを反省しています。

手記No 0143浦島太郎男性 67歳 掲載号 2008/9/1 No.10

玉水200年に向かってスタートを切った信徒会の勢祈念が二代大先生の月命日19日から三代大先生の月命日13日に変更になったことを提案者として残念に想い、祈りの足らなかったこと、思いの至らなかったことを反省しておられます。振り返れば19日の勢祈念には二代大先生をお慕いする人の参拝で少し遅くお参りをすると座る場所もないくらい大勢のお参りでした。しかし13日に変わったからと言ってもその人数は少なくなることはなく、むしろ増えているぐらいではないでしょうか?昔青年会員様は二代大先生にお世話になったことを強調されておられますが、私の場合は二代大先生にもお世話になりましたが、三代大先生の方がより印象強く心に残っております。また毎月1日の月例祭はそれ以上だとも思います。いまや初代大先生に直接お取次頂かれた方は何人いらっしゃるでしょうか? にもかかわらずその神髄は受け継がれております。玉水200年に向けて勢を揃えて信心を進める上で、そこに至るまでいくつもの節(強化期間)があり、その対応が求められます。それが二代大先生の20年祭であり、三代大先生の10年祭であると思います。今までなかった信徒会の勢祈念を大切に推し進め、すばらしい玉水200年に向け邁進したいですネ!!

手記No 0118神様にお礼を言える信心しだれ桜女性 56歳 掲載号 2008/7/1 No.9

玉水教会は、初代大先生から人が助かることを祈り続けて下さり、歴代大先生のお蔭で今日があります。今現在、悩み苦しむ人々が一生懸命に生きておられます。金光教は天地の神様に歴代大先生がお取次下さり、その並々ならぬご祈念によって私達は助けられています。人は何事も頑張ったらできると思っておりますが、それは恵まれてこそ出来ているので、先ず感謝することが沢山あるはずなんです。それが目前の苦しみの為に気付かずにおりますが、そのお礼を申すことが大切だと思うのです。苦しみはお蔭の受け始めであり、まことのお蔭を信じてお参りして下さい。私は金光教のお蔭で人生に夢を持てます。人々が夢や希望を持って楽しく生きられることが、神様の願っておられることだと思います。

手記No 0117ご神縁頂いております女性 60歳 掲載号 2008/7/1 No.9

私は、今は亡き母に連れられて、玉水教会にお参りさせて頂くようになって50年も過ぎていることに、改めて気付きました。母の口癖は、「金光様を放したらアカン」でした。何気ない会話でも、最後は必ず、金光様のお蔭話になるのです。金光様を信心していると、1+1=2ではない。若い頃はその話が嫌で、又かと思っていましたが、今は素直に受け入れる事が出来ます。母は私に神徳を遺してくれました。2年前に人間ドックで肺ガンを見つけてくれた病院は、母がお世話になったところで、手術を受けた所は、父がお世話になった病院でした。これは偶然ではないと思います。父が、母が、金光様からのメッセージを伝えてくれたのだと思います。そして二人の娘達も、遠方に嫁いでおりますが、帰ったら必ず、お教会でお取次を頂きます。母は自分がこんなに幸せなのは、金光様のお蔭!だと言っておりましたが、今私が、そう感じています。抽象的ですが、今思うと、あれもお蔭!これもお蔭!ということが一杯あります。こうして文章に書いていると改めて「ありがたいなぁ」と実感し

手記No 104思いでの初会さざれ石女性 88歳 掲載号 2008/3/9 No.7

とうとう私にもお教会から米寿御祝のご丁重な招待状が届きました。遠い先のことだと思っておりましたが、本当に感激ひとしおでございました。昔、母が初代大先生に、相続人のお願いを致しましたところ、男の子は授かるが、この子(私)の命はないよとおっしゃったそうです。後から生まれてきたかも知れない姉弟の命を貰って今まで健康で生かして頂いたことは、本当に有り難く思っております。初会には母の写真と共にお参りさせて頂きました。お心づくしの記念品やお写真と共に、平成20年1月3日は忘れることの出来ない生涯の佳き日になりましたことを、改めて感謝申し上げます。有り難うございます。

手記No 103就職出来た喜び聖徳太子男性 72歳 掲載号 2008/3/9 No.7

健康にも恵まれ仕事をしたいという思いは旺盛です。ボケ防止の為にも働くことは良いというのが私の持論です。70歳の5月末迄駐車場の管理員をしていました。持ち主が駐車場を売却したので、翌月から就職活動を多方面にわたりしましたが、年齢制限でアウト。困り果てた時、神様にお願いしました。帰路自然に以前勤めていた会社へと足が向かっていました。常務と何気ない世間話の中で仕事の話にも及び、9月3日から勤務して下さいと即決でした。何気ない会話の中からお陰を頂き、感謝の気持ちを忘れず頑張っております。

手記No 102言いにくい事を言いますが!匿名     掲載号 2008/3/9 No.7

えらい言いにくいことを言うて済みませんが、どなたか教えて頂けませんか。ここで信心させてもらって六年目ですが、お願いしていることがなかなか思うようになりません。それどころかかえってなお悪くなったように思います。それでこれはよっぽど私のどこかがわるいのやろうかと考えても、どこがどう悪いかわりません。神さまはいらっしゃるとは思いますが、これだけお願いして聞いていただけないのなら、ひょっとしてこのまま一生終わるのと違うのやろかと思うことがあり、よけいに悩んでいます。こんな時、どうしたらよいのか、どなたか教えてくださいませんか。恥ずかしいので誰にも聞けません。

手記No 124手記番号0102への返信八重桜女性 88歳 掲載号 2008/7/1 No.9

投稿を読ませて頂きますと、頭から「6年も信心させて頂いて」と言われるが、そもそもそれが不足ではないですか? 神様を信心させて頂いたら必ず見返りに銀行でお金を引き出す如くお蔭がくるのでしょうか。初代大先生の「我が信心のあゆみ」を読ませて頂きましても、長い年月のご苦労の末やっと思うがままのお蔭を頂かれたのです。ましてや罪深い私共、信心をさせて頂いている者には大難は小難へのお振り替えと思わせて頂き、段々信心が知らぬ間に向上していき、何年も経ってあれもお蔭これもお蔭と思わせて頂けるようになるのと違いますか。私はそのように思わせて頂き、今も毎日の稽古をしています。

手記No 107手記番号0102への返信デァ・ベア男性 61歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

人間は一人で生きていけない非力なもので、自分以外の人や物の世話になって生きています。ですから、相手の立場に立って自分の行いを考えてみることが大切です。ところが、自分の欠点は分りにくいため、自ら改まることは難しいという問題があります。このため、信心の4つの目的を実生活の中で意識して落としこむことや、こと細かなお届け、お話を聴く、本を読む、お教会でお役にたつ等ということを通して、神様に心を向け、神様の思いに合わせる訓練をすることが必要です。こうしたことを通して、不完全な自分にもかかわらず、これまで生かされている有り難さに気付かせて頂きやすい状況に心をおくことがポイントだと思います。ただし、悩みは神様にお渡ししましょう。こうした努力が「まことの信心、まことのおかげ」に繋がるのではないでしょうか。紙面でお返事することは私もなんとか出来ますが、実際はなかなか骨が折れますし根気がいることです。二代大先生二十年祭を機に、みんなで焦らず頑張りましょう。私も頑張ります

手記No 108手記番号0102への返信八重桜女性 87歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

教えに、難はみかげというではないか、と教えて下さっております。難があった時、すぐにその様に思わせて頂けるでしょうか? その事についてお礼を申せる人は本当に偉い人だと思います。私など何度もつらい目に会ったりしましても、大難を小難へのお振替と即座にお礼を申せたこともなく、時間がたってのお礼とお願いです。我ながら何年お参りさせて頂いているのと言いたくなります。信心を自分ではさせて頂いているつもりでも、中身はペケばかりで丸はない様です。 遅まきながら今後一生懸命神様に心を向けて、毎日を間違いの無いように信心生活をさせて頂きたいと思っております。

手記No 109手記番号0102への返信八重桜女性 87歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

世の中、何事によらず、事をするうえにコツということがあります。でも信心をさせて頂いて、お陰を神様から頂けるのにコツというものがあるのでしょうか?教会への参拝の道中又は信徒会の集まりの時、あの人は上手にお陰を頂かれる、とか、またお陰をおとされたという話を耳にいたします。仮にその様な事例があったといたしましても、何の努力もなしでその様に神様のお陰を頂けるものなのでしょうか。私はお陰を頂けるコツなんて、どこの神様にお参りしてもコツだけでお陰など頂けるものではないとおもいます。いつも教えて頂いている、一心に願ってお陰は我が心にあり。これ以外にお陰を頂けるものはないのとちがうかな思わせられます。一心こそ神様への心の思いのお届けのコツ。

手記No 110手記番号0102への返信まだお陰なし信者男性 68歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

同じような悩みのお人さんがおられるのやなあと、ちょっと気が楽になりました。私の一番の悩みは自分のどこが悪くて神さまからおかげがもらえないのかが、もうひとつよくわからんことです。悪いところを探せばきりがおません。とてもこれでええと思えることなんか絶対ないと思います。それでお詫びを申すんですが、神さまはなんにもおっしゃらんので結局なんにもわかりません。ただ苦しい目や痛い目にあっているなあというだけが確かです。こんな頼りにならんものはないのですが、しかし辛抱をしているうちに今まで気がつかんかったことが少し見えてくることもありました。それは自分の情けない格好です。もうちょっとましやと思うてたのが、この程度やったのかとがっかりしました。その分えらそうにしてた頭がちょっとだけ低くなったかもしれません。それにこのような人さんのお話を聞くようにもなりました。これでもうすこし神さまがおかげをくれはったらなあと正直なところ思います。

手記No 111手記番号0102への返信同感している男男性 58歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

一読して身に沁みる手記ですね。誰もが出会ったことのある体験ではないでしょうか。正直なところ、私などにとてもお答えできるような事ではないです。その代わりこれまで頂いた神話集15・16集を読んで、そこからの引用文の一部と、その頁を付けてお返事にさせていただきます。「神の願いは、目先ではなく末々までの助かりである」……15集、131頁。「すべては神のお計らい。願い通し、委ね通すこと」……15集、142頁。「教会への慣れが、願いの真剣さを失わせる」……15集、168頁。「自分の姿が見え始めたら、お詫びができ、お願いも変わる」……15集、220頁。「願いも届かず、さらに災難が重なる時こそ、信心を大きくする好機」……16集、145頁。「5年、10年くらいの信心では、神のご真意がわからぬが、願い通せよ」……16集、197頁。「まことの願いなら、最後まで願いきれ」……16集、204頁。

手記No 112手記番号0102への返信わたるちゃん男性 62歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

これ程信心しているのに、何でおかげも無く、いまわしいことが起こってくるのか……。誰しも信心途上で味わうことだと思う。あなたのどこが悪いのかではありません、あなたは立派な神の氏子であります。例えば、経験のない大工さんが最初からいい家を建てられない、しかし長い年月、親方の技を見習っている中に、ああこうするんやなと、分かってくるようなもので、長く信心を積んでいる中に、だんだん分かってくるものです。私も神や仏のことで少年の頃は悩んだことがありました。しかし悩める人はある意味では「賢いから悩む」とも思います。神さまから与えられたすばらしい貴方という存在、大切にして下さい。そのうち素晴らしい人生が待っています。

手記No 113手記番号0102への返信そよ風女性 84歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

元々日本は神国、神は親、私達は内の子(氏子)です。神は人格はなく天地万物をまる生かしで、宇宙を司どり恵みを与えて、全てを生かすお働きをされ、御礼・お詫び・お願いと導いて下さってます。叶う願いとは、成就すると皆が共に喜べるならばOK、与えられても自分達だけが助かり、他の人々が迷惑や悲しみ難儀の伴う願いは成就なし。神の願いが分かれば、日々全てが人の幸せの為の恵みであると分かるはず。3年3年又3年、10年の信心が続いたら、吾乍らに我が心を喜んで祀れとは、我が心に神の分霊で宿って下さっているのが分かるからでしょう。貴方は第二のステップが済み、10年を目指しての旅、何事も御礼の申せる面より見つめて稽古すれば、末のため良き様お導き下さっているのが分かるはず。難はお徳に変わる。難と徳は正比例。

手記No 114手記番号0102への返信私もお仲間女性 64歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

拝見して一目でお仲間がいらっしゃったと思いました。私もこれまで長い間、どれだけ足し算をしたり引き算をしたりして、なんであれだけご祈念したのに、これだけお献備させてもらったのに、この神様は少しもお陰をくださらないのか。このままでは無駄ばかりしていることにならないかと、悩みました。それが最近ちょっと考えがかわってきたのです。「ふれあいの広場」を読まして頂いて、はじめて他人様の正直なお悩みを聞かせて頂いて、そこに今まで見えなかった丸っきりの自分の姿を見せて頂いたのです。そして不足や疑いばかりでどれほどこれまでお陰を下さっていたか、さっぱり気が付いていませんでした。偉そうなことを言うようで恥ずかしかったのですが、思い切って書かせてもらいました。

手記No 101「和賀心」デヤ・ベア男性 60歳 掲載号 2008/3/9 No.7

年末、教祖奥城を参拝する機会を得たが、何度お祈りをしても納得できない。その後ふと、三霊神祭案内書に記載してあった4代金光様の「生きる力の贈りもの」の抜粋、「・・・お願いはお礼をもとに・・・」は、私でも空で言える「天地書附」にある「和賀心」であるのだと、心の襞に飛び込んできた。理屈でなく心で受けとめた。奥城で自分が納得できなかったのは「和賀心」の欠如が原因と思う。そんな気持ちでお礼をお祈りしていると、何度言っても気付かない私に対する教祖や歴代大先生のご苦労が申し訳なく、泣けてくる。自分中心主義のこの社会と「穏やかですべてに礼をいう心」を生めるのは、祈りとお届け以外にはないと思う。自分では何もできないことを胆に命じよう。

手記No 100人生の終わりに一番大事な事そよ風女性 84歳 掲載号 2008/3/9 No.7

高女卒業の時、「金金様」(コンコン)にとの誘いに、「お稲荷さん信心する気ありません」と「そうですか」で立ち消え。昭和16年父死去。養育費での生活が打ち切りとなり、必要に迫られ役所勤務。短い昼食後の散歩時に「ここは何屋?」。看板読めず、ある日、人の出入りの多さと柏手の音で「ハハン神様か」。幾つ叩く、好きなだけ叩いて祈る。お火鉢気になり乍ら近寄れず、勇気出してやっと傍へ。「人が死ぬときは、その家にとって大きな節目」。今迄お世話になった事を知らず、重ねていた御無礼のお詫び、御霊様の安心と後々の立行きをすぐに祈りお届けなさいと。初めて聴かされた話で人生の終わりの大事なことを教えられ、『なんと行き届いた教え!! 本当に人を助ける神様やな』と得心。以後のお手引きなしの勝手信心も、大先生の祈りに引き寄せられての入信でした。

手記No 99平凡の中に神を思うわたるちゃん男性 61歳 掲載号 2008/3/9 No.7

奇をてらうと言うことがある。人は何か奇跡的な事とか変わったことに関心を引かれ心奪われることが多い。たしか禅関係の本で、あまり奇跡とか心霊的な奇術なようなものにこだわるべきでないと言うような事を読んだことがある。私は過去に宴会を予定した時、神前で「次回の宴会は何名でしょうか」と伺ったところ、神様より25名とお知らせがあったような気がして、先方の宴席へはその数の食事を申し込み(この時点では申し込み15名)そのとおりになった事がありました。しかし人が奇跡とか神秘とかをほめるのは(全部ではないが)おおむねあらぬ欲望から出ている事が多いのではないかと思う。平凡な日常生活の中にこそ。神の恩を思い感謝して生きることこそ奇跡と思う。

手記No 98年が明ければ米寿八重桜女性 87歳 掲載号 2008/3/9 No.7

これまで毎年お教会での新年の行事で、米寿の御祝を共に慶ばせて頂き、それは人様の事のように思っておりました。先日年賀の行事通知を頂きまして、毎日無事に今日まで生きさせて頂き、お礼の思いで一杯です。それは毎日信者の為に祈り続けて下さいました初代から現親先生のお祈り無くしては、現在の幸せは無かったと感謝しております。大難を小難に、小難を無難にお振り替え下され、今日こうして両親よりも妹よりも長生きさせて頂き、また今日の生きにくい世を何事もなく生かさせて頂き、ここに米寿を迎えさせて頂きましたこと、お礼申し上げます。よくも不足の多い私如き者をお許し下さいまして、心からお礼申しあげます。

手記No 97自分の役割を果たすことデァ・ベア男性 60歳 掲載号 2008/3/9 No.7

遠縁の年老いた人から、ご主人の訃報を受けた。話を聞くと、自宅で静養中体調が急変。掛かりつけの病院に断られ、やむなく馴染みのない病院に入院。ところが、病室も都合よい所にしてもらえるなど色々配慮を受けたあと、3ヶ月後のある日の早朝、自分や遠方からたまたま見舞いに来ていた娘さんに看取られ、静かに亡くなったとのこと。臨終に立ち会えなかった看護責任者が詫びられたことや、娘さんから「お母さん、色々経験してきてね」との労いの言葉を受け、ありがたいとも付け加えられた。私はそれらの話を聴いて、本当に嬉しかった。なぜならその家族のことを、ささやかではあるが祈らせてもらっていたし、私自身この話に感動したからである。今年の年初、私は「これからは恩返しを心がける」と決心したが、自分自身思い悩むことも多々ある。しかし今回、遠縁の人の話を通じて、「自分の役割を果たす」ことの大切さを改めて気づかされた。

手記No 96母の葬儀にそよ風女性 84歳 掲載号 2008/3/9 No.7

母の葬儀に真っ白な木の香り高き霊柩車。「日本一」、「日本一」と参列者ひそひそ話。どんな徳人か会いたかったと運転手。何でこんな車をと疑問を持った。業者が隣人であるからだろうか。しかしそうでもなかったようだ。偶然の徳人扱い、恐縮の極み。葬儀の夜、貴女のお陰であんなに立派な葬儀をと、生前信心に縁無き母が夢の中へ。母は・・小町、私は不細工。「せめて心だけは清らかに」と幼少よりの願い。日々誰を恨むこともなく、卑下する事もなく来れたのも、一重に歴代大先生のお導き、お取り次ぎあればこそ。ご神縁頂ける幸せ。お礼信心のお導きを!

手記No 95初代大先生の教え八重桜女性 87歳 掲載号 2008/3/9 No.7

初代大先生は誰にでも解り良く沢山の教えをお残し下さいました。その一つに「自分のしていることが間違いないと思う心が、間違いである」と教えて下さっています。ずばりそのもの。人間誰しもうぬぼれや思い上がりを持っております。それが自身のものか知れませんが、今改めて初代大先生のみ教えを頂く時、反省の多い事ばかりです。これらの教えの一つ一つを繰り返し繰り返し心に刻ませて頂いて、今後少しでも、人を悪く思うことも自分自身落ち込むこともない様、お参りさせていただいているだけのお陰を頂けるよう切に願っております。地位も名誉もいらないけれど、さすが玉水の信者さんだけの事がある、と思われたいと望んでいます。

手記No 94入信のきっかけ針千本女性 58歳 掲載号 2008/3/9 No.7

私は祖母、両親から金光教の信心を継承いたしましたので、「入信のきっかけ」というものがございません。しかしそうでない方々は「一体、どのようなきっかけで金光教にご縁を頂かれたのかなあ」とよく思うのです。是非、この広場でそのドラマを聞かせて頂けたらと思います。

手記No 115手記番号094への返信エリ・コウ女性 55歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

私の入信のきっかけは、親しくおつき合い頂いているある御夫妻のお姿を見せて頂いてのことでした。ご夫妻とも非常によくできた方で、お互いの存在を認め合い助け合って物事を進められておられ、私共も信頼し尊敬をしておつき合いをして頂いております。ある時さりげなくご主人が言われた一言でした。この人(奥様)の信心も素晴らしいですよ!! 私はこの一言が心に残りました。こんな時、私共家族に悩みがあり、神様に助けを求めていたところでした。この奥様にお願いし、連れて行ってもらったのが金光教であり、玉水教会でした。教会の門を初めてくぐった時、絶対ここで助けてもらえると思い、今もその心にいただいた強い気持ちを忘れず、信徒会にも入れて頂き、日々足信心をさせて頂いております。

手記No 116手記番号094への返信わたるちゃん男性 61歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

友人もなく孤独で寂しい少年の頃、私は一水道工事人として現場で働いていたのです。玉水教会の前を通って勤めていた会社へ通っていた頃を思い出しました。そんな孤独な私が大阪ふれあい会を発足させ、多くの会員さんに囲まれ頑張っております。今思えばその頃から金光様と御縁があったのかと思いを偲ばせております。ふと立ち寄った古書店で偶然見つけた初代大先生の「我が信心のあゆみ」は感動的でした。孤独で友人もなく、仕事にも今ひとつ熱がはいらなかった時でした。どんなに勇気付けられたことでしょうか。仕事にもハナを咲かせピリオドを付け、そして今ではサークル活動に活躍しております。一配管工のあの時の私が……孤独な人に手を差し伸べられる神様、只々感謝あるのみです。

手記No 93お国参りについて針千本女性 58歳 掲載号 2008/3/9 No.7

 お国参りに思うのですが、「お国参りはお礼参りで、お願いはしないものだ」と教えられたことがあるが、本当なのでしょうか? 私はお願い事がたくさんありますので、お礼よりもついお願いの方に力が入ってしまいます。皆様はどうなさっておられるのでしょうか?

手記No 105手記No.0093への返信デァ・ベア男性 61歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

天地書附にあります「おかげは和賀心にあり」は、「おかげは穏やかですべてに礼をいう心にあり」だと思います。そうすると、ご本部だけでなくどちらの教会においてもまずお礼だと思います。毎日の生活にかかわるひとつひとつがお礼の対象であって、「お礼を土台にしたお願いでなければ、おかげもちがう」と言われるのは、このことではないでしょうか。「そうはいっても……」とのご意見、解りますが、ご自身がこれまでに遭遇された問題を乗り越えてこられたからこそ、現在の自分があると考えますと、お願いよりもお礼がし易くなるのではないでしょうか。もちろん、ご本部でもそうですね。一度お試し頂ければ幸いです。次にお願いですが、私はご本部でお願いすることは決して間違いではないと思います。ご本部に近い方は毎日朝晩ご本部でお祈りし、お願いされているかもしれません。しかし現実に私達は、毎日岡山まで日帰りすることはできません。だから、国内外あちらこちらにお教会があり、そこでお祈り・お取次ぎをいただく、ありがたい場が我々に与えられていると考えれば、疑問の解消に役立つのではないでしょうか?

手記No 106手記No.0093への返信そよ風女性 84歳 掲載号 2008/5/1 No.8.

親様には喜びの報告を。願い事は不足のことを言うので心配をかける故、お国参りは喜びのお土産を持って御礼参拝が大切と思う。玉水教会があってこその私達だから、何としても親先生、彌壽善先生のお供をさせて頂いてのお国参り。御縁頂いた“大きな喜び”を心に、皆勤12年を頂く中で杖ナシでは歩けなくタクシーでお教会へ、そして蟻の歩み乍ら杖と共にお結界へ。体の無茶使いをお詫び申しつつ、2、3日は杖無しで、蟻の如く一歩二歩と同じ状態ながらご本部参拝へ。友に「御広前からだけ」と言い乍らも、心は何としても奥城にも、三代様、四代様にもと向かう。矢張りお詫びし乍ら無事参拝させて頂ける。主人の国替え後はその不参加の分もと、3年間団体参拝の他に毎月お届けの上参拝。「いつもはお供で」と思った途端、二代大先生の笑顔が目に浮かぶ、立ち止まると左右へ二度三度と。「お届けあればこそ」の御礼参拝でなければ、歴代大先生の教えの忘れ物では……?

手記No 1こちらには無関係のものゴルファー女性 30歳 掲載号 2007/1/3 No.1

こちらには無関係のものですが、どうすればよいのかがわからず、教えていただきたくまいりました。母(60才)が大腸ガンの手術を受けたのですが、リンパ腺と子宮に転位していて、医師から「あと半年の命だが、摘出するか、しないか決めてくれ」と言われました。父(65才)は「して下さい」と申しましたが、その父も今年の三月に胃ガンで全摘手術を受けたばかりです。 これから病後の父と、その世話に明け暮れてきた母にゆっくりしてもらい、親孝行をしたいと思っていたやさきだったので、目の前が真っ暗です。どうすればよいのでしょうか。どうか教えて下さい。私は三十才になるプロゴルファーです。

手記No 2手記No.0001への返信浦島太郎男性 65歳 掲載号 2007/1/3 No.1

女子プロゴルファー様へこの世に一人しかいらっしゃらないお父様、お母様を思う心、美しく拝見いたしました。私も会社勤めを卒業し、これから社会に何か恩返しをと思っていた4年前突然肝臓ガンの疑いありとの診断を受けました。何の自覚症状もない私は「何を言うかしっかり診ろ」と反論しましたが、大病院へ行くと間違いないとのこと。私も目の前が真っ暗になりました。今まで医者に殆どかかった事がなく元気だった私は、「ガン=死」と思っていたのです。しかし私には年老いた母がいる。遠く異国の地で出産・育児と頑張っている長女にも話せない。しかし自分には病気を治す何の手だてもない。そんなとき思い出されたのが「祈れ薬れ」という教えでした。つまり神様に病気全快を願い、医者の言う事を信ずるのです。それしかないと確信しました。9時間にわたる大手術。幸いにも転移していなかったようだが又でるよと言われ、今年すでに三度の手当を受けています。その度に「祈れ薬れ」の願いです。

手記No 19手記No.0001への返信Y.K.男性 77歳 掲載号 2007/4/20 No.2

没落したお店を二代大先生にお取り次ぎ頂き、独立開業のおかげを頂きました。苦労を重ねてきた母にその姿を見て頂くおかげを頂いたことは誠にありがたいことです。もし母におかげを頂いた現実を見て頂け無かったら一生悔いが残ったことと思います。そこを二代大先生にご心配を頂きおかげを頂きました。そのご祈念のご様子は別の機会に申し上げます。 独立開業から4ヶ月ようやく落ち着いて、年が明けて今年は親孝行をするぞと思っておりました矢先、母のぐあいが悪く診察の結果胃ガンで数ヶ月の命と告げられ、あなたの思いと同じく大変なショックでしたが、悔いの残らないよう、お広前にてお通夜(私の場合午前二時まで)のご祈念を一ヶ月させて頂きました。独立開業を見て頂いたお礼と延命のお願いをさせて頂きました。お墓は木の墓標でしたが、母の終わりの住家としては申し訳ないと石碑を建立、一年祭と合わせて建碑式をさせて頂きましたが、当時で25万、開業間もなく余裕はありませんでしたが、親へ尽くす思いを神様は必ずお聞き下さいます。親孝行のあり方はあなたがお決めになることです。悔いの残らぬようおかげを頂いて下さい。お母さんはあなたがトーナメントプロとしての活躍を期待し祈っておられます。がんばれ

手記No 3手記No.0002への返信ゴルファー女性 30歳 掲載号 2007/1/3 No.1

突然の取り乱したメールに、優しくご返信いただき、有難うございました。 私には初めての衝撃で、おろおろするばかりでしたが、少し落ち着いてきました。 決して私どもだけの出来事ではないのですね。ただ知らなかっただけで、いろいろな苦難に黙って耐えていらっしゃる方々がおられるのですね。 いま目の前に居てくれる父と母に、一生懸命親孝行をいたします。 有難うございました。心からお礼申し上げます。 どうか匿名のご無礼をお許しください。

手記No 4歩ける喜び薩摩隼人男性 82歳 掲載号 2007/1/3 No.1

それは三年前の十一月の朝だった。電話が鳴ったので受話器を取ろうとしたが、手が動かないのだ。体温が次第に下がり、意識が薄れる。すぐに救急車で運ばれ、緊急入院したらしいが、もう意識がなかった。硬膜下血腫で、危なかったそうだ。手術後十日目にまた出血して再手術、翌年には全頭切開する三度目の大手術を受け、その後は一人で歩けなくなった。落ち込んでいたら、担当医の一人だった吉村先生が「佐藤さん、今晩きてあげるから、歩く練習をしましょう」と思いがけなく言ってくださり、それから毎晩私の病室で手を取って特別訓練をしてくださった。一日のお仕事の疲れを押しての先生の本当に温かいお気持ち。お陰でまた歩けるようになった幸せ。いくらお礼を申しあげても足りない。

手記No 5どなたか教えて下さい!鈍行列車     掲載号 2007/1/3 No.1

いっぺん誰かに聞いてみたいとずっと前から思っていたのですが、お広前の正面に長い間かけてあった「まことの信心 まことのおかげ」の額のことですが、まことの信心と、そうでない信心と、どこがどう違うのか、わかりやすく教えていただけませんか! お陰も、まことのお陰とそうでないのと、どこでわかりますか! ええ年して今頃何ゆうてるねんと笑われそうで、名前は堪忍してください。すみませんがよろしくお願いします。

手記No 20手記No.0005への返信普通の信者男性 62歳 掲載号 2007/4/20 No.2

信心には、頭の信心と心の信心があります。頭の信心で一番よく動くのは口で、心の信心は身も心も働かせます。頭の信心はよく不足と文句を言い、心の信心はお詫びとお礼を言います。頭の信心は願い通りのおかげを求め、心の信心は何が本当のおかげかを学びます。頭の信心は自分の都合が悪いと知らんふりをしますが、心の信心はありのままの自分を神様に向けます。頭の信心は他人を容赦なく批判しますが、心の信心は他人と自分を区別せずに詫び祈ります。頭が一番頼りにしているのは自分自身で、その頭が頼りにならないことをイヤというほど思い知らされてから、やっとまことの信心が始まるようです。

手記No 43手記No.0020への返信鈍行列車   60歳 掲載号 2007/6/9 No.3

早速にご返信をいただいて、有り難うございました。だいぶん耳が痛うなりました。ついでにと言うとえらい恐れ多いことですが、もう一つだけご教授をお頼みします。頭と心を字を見てたらその違いはよう分かりますが、いざそれが自分のこととなったら、どこがどう違うのか、どうやったら頭から心にいけるんか、さっぱりわかりません。いちいちなんでもよう聞きよる奴やとしかられそうですが、この「鈍行列車」にもようわかるようにぜひお願い申します。

手記No 63手記No.0043への返信普通の信者男性 62歳 掲載号 2007/9/1 No.4

「簡単にわかりやすく教えてくれ」とおっしゃるのが「頭の信心」で、毎日の生活の中で信仰の実体験を自分自身で一つ一つ積み重ねながら反省していくのが「心の信心」だと思います。それをなんとか手っ取り早く簡単にというのは、残念ながら無理だと思います。「まことの信心とは?」と尋ねたら、十人が十通りの答えをするのと違いますか。ですから自分の生活の場で自分の信心の苗を植え、信話集を繰り返し読ませていただき、「広場」での色々な方のお話にも耳を傾けて、そこから得たものを肥料にし、寒暑風雪に耐えて日々大切に育てれば、やがて「私の信心」と言える本当の実が成るのでしょう。少しでも「まことの信心」に近づけるよう、これからもご一緒にあゆんで参りましょう。

手記No 21手記No.0005への返信匿 名女性 68歳 掲載号 2007/4/20 No.2

信心を始めるきっかけは、初めは大抵何か願いがあるからだと思います。もしその願いどうりになったら、おかげ頂いたと思うし、そうでないと、信心がまだ足らんと思うか、この神さまはあかんと見切る人もあると思います。いずれにしてもここでは、自分の願いが一番大事で、それ以外のことが本人さんにはまだ見えていないのと違いますか。それが思いがけない病気や事故災難に出会ったら、その願いよりはこれまで毎日元気で無事に暮らせていたことの方がどれほど有り難いかと私は気づかされました。そしたらまずそのお礼を申し上げずにはおれず、知らず知らずのこれまでの自分勝手な思いのお詫びも申さずにはおれませんでした。心からお詫びとお礼を申し上げてそれからお願い申し上げるようになったので、やっとまことの信心のお道へ入らせていただいたのやなあと思います。

手記No 6二代大先生の思い出二宮金次郎男性 66歳 掲載号 2007/1/3 No.1

30年余りも前のこと、父が突然たおれて寝たきりになった。それで従業員30人ばかりの会社を引き継いで5年後、自分の不注意から夜逃げをしなければならないほど借金を背負うことになり、生まれて初めて自分でお結界に並んだ。正座したままの長い順番待ちも足のしびれもよく覚えていない。その年の決算書は経理担当者の手書きを古い湿式コピー器でコピーしたもので大変読みにくいものだった。二代大先生は私でも見づらかったその決算書を虫眼鏡を使って横目で一枚一枚丁寧に最後まで御覧になりご祈念をしてくださった。その間約20分、書生の広田先生が大先生の後ろで両手をついて「お時間でございます!お早くお入り願います!」と大声で繰り返しておられ、私の後にまだ大勢の信者さんが並んでおられ気が気ではなく汗びっしょりになっていた。後になって大先生はその日も殆どお休みになっておられなかったとの事、眼が緑内障でかなりご不自由であった事を知った。涙がいつまでもとまらなかった。

手記No 10匿名の方へアリストテレス男性 65歳 掲載号 2007/1/3 No.1

お話しを読ませて頂き、私の信心始めの頃を思い出しました。学生だった私は好い成績を取りたい一心で試験前にだけお結界へお願いに行く、ただそれだけの事でした。卒業する頃、私の青年会入会を大先生にお願い申し上げたから出席するようにと父から言われました。五、六回集会にも出席しましたが、とても私には馴染める様なものではありませんでした。夜の集会で仕事疲れと空腹、堅い信心の話ばかりでたちまち睡魔に襲われるのが常で、もうこんな集会はこりごり、お願いして入れてもらったがお断りをしなければと、長蛇の列に並びました。あと五人か六人という番になった時、大先生が大変怖い顔で私を見られた様な気がして、そのまま帰ってしまいました。そんな事が何回かありましたが、とうとう退会もせず、仲間にも引っ張られて青年会、道輝会へと歩んできました。今では退会どころか明日、あさってにつながることを考えています。

手記No 7二代大先生の思い出日本丸男性 71歳 掲載号 2007/1/3 No.1

若いころは自分の力を過信して、万一難儀なことに出くわしても神仏に頼ることなく、自分の力で解決しようと意気がっていましたが、それも年を重ねて結婚もし子供も出来て、進学、いじめ、就職、結婚と難しい問題が続くと、自分の力だけでは到底解決出来ないことに気付き、家内やその両親を介して、その都度、二代大先生のお教えを頂いて乗り越えさせて頂きました。優しくにこやかなお顔の時、また首を傾けられ厳しいお顔の時と、私たちの心配事に優しく解り易くお教え頂けた様に思います。他では得られないだろう大きな喜びと安心感、そして勇気を私たちに与えて頂きました。

手記No 810月の御本部参拝北斗七星男性 59歳 掲載号 2007/1/3 No.1

10月の御本部参拝で嬉しかったことが二つあります。「生神金光大神大祭」の式典が本部広前祭場で執りおこなわれました。嬉しかった一つは、このお祭りを頂きながら非常に一体感を感じたことです。こんな一体感を感じたことは久しぶりです。エコードルチェの皆さんも参加された合唱が厳かに開式を感じさせ、祭場に参拝された人々すべてを祭典のなかに溶け込ませ、神前拝詞、取次唱詞奉唱が祭場に木魂しました。ありがたき祭詞を教主金光様が奉上され、最後に「親神のよざしのままに」を斉唱。流れるような感謝と喜びの祭典であったと思います。もう一つは、御本部参拝の出発時のご祈念で、座席に座ったままご祈念してもよくなったことです。小さなことですが、年配の方が多くなった昨今、連結の多い出発時は大きな揺れが多く、危ないと感じていましたので、ありがたいことです。

手記No 9あゆみのおかげ八重桜女性 86歳 掲載号 2007/1/3 No.1

私が6歳頃、両親が入信させていただいたのはまだ前の古い教会の時でした。以来歴代大先生のご祈念とその目に見えないお陰をたくさん頂いてきました。その中でこれだけは是非お聞かせしたいお話しがあります。それは親の代からの信者さんで10年以上も神様をほっておかれた方がありました。ある時信徒会の活動でその方のお宅へも毎月新聞とあゆみを配らせていただくことにしました。二年が過ぎたある日、その方が来られ「今日から主人がお参りさせていただきますので、新聞もあゆみも自分で頂いて来ます」と言われ、ご自身も信徒会に入会されました。ただこれだけの話ですが、あゆみにどれほどご祈念をこめていただいたかと本当に有り難く感動いたしました。親先生、諸先生方のご祈念にお礼申しあげます。

手記No 11結界取次北斗七星男性 59歳 掲載号 2007/1/3 No.1

結界取次ぎは金光教では、大切な手続きの一つです。しかし若い方や入信されて間もない方はお結界で先生にすらすらお届けできますか! 出来る方は、大変な局面にあり一心に助かりたいと思っておられる方でしょう。多くの方は、私もそうですが、取次ぎして頂きたいことの一部しか話す事が出来ません。又話すことが周囲に聞こえないかと気にもなります。最近は、「取次ぎ頂きたい事」を紙に書いていきます。こうしますと、何をどのように取次ぎ頂きたいか考えることも整理も家で出来ます。その中で特に強くお願いしたいことやお礼を言う事のみ、話せば済みます。話すのが苦手という方は、こんな工夫もされてはいかがでしょう。急な海外出張時には、電子メールやホームページの書き込みで取次ぎを願い、帰国後に改めてお結界へいかれてはどうですか。「今月今日」P52 お結界取次ぎを見ながら書きました。いい本です。

手記No 23手記No.0011への返信生駒山のおばあ女性 70歳 掲載号 2007/4/20 No.2

お届けをする前、心中で神様に「どうぞ、ちゃんとお届け出来ます様に」と祈り、その内容を全部お願いします。何事も自分ですると思わず、どうどお付き添い下さいとご祈念しつつ並びます。お届けが終われば、さがって来て、「これこれお届け致しました。どうぞおかげにしてください」と、ご祈念してそこで初めてお届けが終わったんだと思います。思いつきのついでのお届けにならない様、内容をよく確認して,その上でおかげを頂き、お礼を忘れない様にしてゆくべきです。お届けをした事柄は、自分も勿論ご祈念しなければ相済みません。先生が身をけずって、昼夜を分かたずご祈念下さると言うことを、忘れてはならないと思います。

手記No 12健康のお陰大阪城男性 83歳 掲載号 2007/1/3 No.1

赤ん坊というと、普通は丸々と肥えて、手足に輪が入っているようなものを思うのですが、私は産まれた時もガリガリで、叔父が「この子育つかしらん」と言っていたほどです。商業学校へ入って二年生の時に肋膜を、四年生の時には肺結核を患いましたが、それでも学校は一年遅れただけで卒業出来ました。暫くは家で静養していました。戦時には赤紙がきましたが即日帰郷でした。就職して数年後には夜も塾でそろばんを教えるようになり、定年の年になってもまだ勤務を続けた後、辞めて塾一本でやってきました。傘寿をとっくに過ぎた今も教えています。これもひとえに歴代諸先生、とりわけ二代大先生のご祈念のお陰と、有り難く思わせていただいております。

手記No 15二代大先生の思い出S.I男性 62歳 掲載号 2007/4/20 No.2

皆様は、二代大先生にお取り次ぎを頂いておられますが、私は小学校の頃から体が弱く、1年近く学校を休む状態でした。祖父に連れられカブスカウトに入隊、教会で青年会・道輝会とお引き寄せ頂きましたが、就職は自分勝手に決め、その尻ぬぐいのお願いは父母に任せっきり。結婚に関しても同様で、自分自身で父母の病気のお取り次ぎ頂いた時は、二代大先生が御病気で、若先生(三代大先生)にお願いし、63年大先生お国替えの時には母も入院中で、私が病院に報告に行ったときの母親の思いはいかばかりだったかと思います。 二代大先生ご葬儀の当日祭・50日祭で大役をつつがなくお陰頂けた事で、大先生御取り次ぎのように出来なかった事へのおわびと御礼になれば有り難いことです。祖父のように、これからも教会・信徒会・道輝会のお役に立たさせて頂けますよう、初代・二代・三代大先生に願うばかりです。

手記No 16二代大先生の思い出M.N.男性 67歳 掲載号 2007/4/20 No.2

お結界取り次ぎのお姿が、眼をつむれば今も思い出します。当時思えば毎日同じ状態が続いていたと思います。私も何度かお結界に並んだ時、大先生に会える前にお入りにならないか、そればかり気になって、並んでいても所員の先生がいつ出てこられるか心配したものです。自分勝手に、怖い先生と感じたり、にっこり笑ってくださったと喜んだりしたことを思い出します。

手記No 17母の遺産大阪城男性 83歳 掲載号 2007/4/20 No.2

母が亡くなったとき、母の貯金通帳のお金を兄弟5人で分けました。私はそのお金を頭金としてお墓を建て、後はローンで毎月払っていこうと思っていましたら、兄弟たちが「自分の分も使ってくれ」と言ってきましたので、ローンにすることなく全額即金で支払いました。それまでうちにお墓はなく、父の親許のお墓に詣り、又そこへ納骨させて頂いておりましたが、父はともかく、母は肩身がせまいと思っていました。後日お教会で大先生(二代)に申し上げました。大先生は何もおしゃいませんでしたが、内心では「よくやった」と思っておられただろうと自負しております。

手記No 18御役立ち信心北斗七星男性 59歳 掲載号 2007/4/20 No.2

私は、玉水100年に向けて、「勝手信心」から「御役立ち信心」へという願いを立て、それまでの自分の信心を整理し、信徒会等で話をさせて頂きました。 それまでは「仕事を頑張ることが信心」と勝手解釈し、仕事は一生懸命しましたが、まさに自分の腕を、頭を頼りにして、御祈念がなおざりになり、参拝・御用の回数が減るということになっていました。30代には、胃潰瘍で40日間入院し、気づかせて頂くところですが、仕事が気になって、信心の仕方が間違っているということに気がつきませんでした。私は、15歳の時に肝臓病を患い40日入院し、そのときに竹中先生に「これで、一生信心出来ますね」とお話を頂き、まさに20代の信心になりました。しかし、玉水100年祭の前後から、私の周囲に困ったことが、いろいろ起こり始めて、やっと信心の仕方の間違いに思い当たり、「御役立ち信心」にもう一度向かおうと思い至ったわけです。

手記No 22末安心のおかげあやめ女性 86歳 掲載号 2007/4/20 No.2

ワォー!私に米寿祝いのご通知がきた。人ごとのようで実感が涌かないけど、涙が出るほど有り難うございました。戦後はずっと人生の底辺で神様にどんなにお願いしてもどうにもなりませんでしたが、振り返れば暖かい人の心に包まれた歳月は、おかげだったと思います。そして元気に今日を迎えられ、現在末安心のおかげを頂いたと感謝でいっぱいです。頼る人もない私には初代大先生が父のようで、おまいりしたときはお写真と心の対話、なんだかこの頃は喜んでくださっているようです。後日立派な記念写真を頂き有り難うございました。「米寿まだ上に歳あり明けの春」「一日一日丁寧に生かさせて頂く」、帰途に頂いた言葉をこれからの私のモットーにしたいと思います。

手記No 24命に強運が湊 喜兵衛男性 81歳 掲載号 2007/4/20 No.2

3年前A病院女医より狭心症の疑いありと言われ、早速循環器専門B病院にてカテーテル検査の結果、心筋梗塞一歩手前と診断された。お教会に電話でお届けのうえ即ステント治療を受ける。医師よりグッドタイミングと言われ、何よりのこと。 2年前、突然体調不具合になり、A病院長より脳梗塞と診断された(2度目)。ご神米を頂き、病床をお広前にして、ご祈念したら、リハビリの必要もなく無事退院出来た。医院長から、「今回は恐ろしい結果が予想されていた」と知らされた。A医院女医から、「あなたは命に強運がありますね……」とのこと。いずれも恐ろしい大病のところお助け頂きましたのも、神様におすがりさせて頂き、親先生のご祈念御取り次ぎを賜ればこそです。有り難きこと、もったいなきことの至りです。

手記No 25二代大先生の思い出T.O女性 70歳 掲載号 2007/4/20 No.2

二代大先生の思い出はいろいろございますが、その中でも結婚の折り、母についてしぶしぶお結界に行きましたら、大先生は直ぐ「きめとき」と申されました。当時私はこわいもの知らず。「大先生。私、お道に行きたいのです」と申しますと、「信心のないところへ行くのも神様の御用やで」と申されました。尚も「大先生、背が低いんです」と申しましたら、「最後はあんたがきめるんやで」と申されました。結局その話は断りました。がその後いろいろあり又その話がまとまり、その上もう一つ縁談が来ていると銀座の親奥様に言われましたが、こちらの話を先におとどけしましたので、奥の話は断りました。その折りお結界で大先生が、「早うきめ、早くやで」と申されたとか母が申しておりました。今日まで47年間「神量らいは奇すしくて人の思いぞ及ばざる」。今頃つくずくおもいます。

手記No 26No.1 二代大先生の思い出湊 喜兵衛男性 81歳 掲載号 2007/4/20 No.2

玉水の学生会に入らせて頂き、吉田宏様(後の生田教会二代教会長)に親しくご教導頂き、私も次第に神様へ心を向けさせて頂きました頃、戦局極めて悪く、昭和19年即戦力将校養成のため、特別甲種幹部生募集がありました。二代大先生は、募集要項を御覧になりながら、優しく「受けさせて頂きなさい」とのお言葉。合格し久留米の予備士官学校に入学。卒業後、有明兵団牛深の弧島守備独立中隊の小隊長として赴いたが、直ぐ終戦になり、翌月復員し、9月1日付にて宮内省より正八位に叙すの位記受けました。赤紙で行った同僚は、原隊姫路部隊より満州から過酷なシベリヤに抑留され、数年後の復員になりました。「何事も無理に思わないで、天地金乃神にすがればよい」。ただ有り難くもったいない限りのことです。

手記No 27No.2 二代大先生の思い出湊 喜兵衛男性 81歳 掲載号 2007/4/20 No.2

昭和23年、財閥系M信託会社より就職案内がありましたが、日本経済は破滅的打撃を受け、物価も急騰、極めて不安定の時期のうえ、長期金融機関の信託会社にとっては、主要顧客の没落に加えて財閥解体による制約を受け厳しい窮状でした。二代大先生は優しく笑みをもって静かに、「行かせてもらいなさい。但し4年間やめてはいかん」とのお言葉。何の迷いもなく入社しました。信託会社を救ったのは、昭和27年6月(入社後丁度4年)誕生した貸付信託制度でした。以後これを基盤に急成長、大発展を遂げ、私も32年間健康でお勤めのお陰を頂きました。有り難く勿体なきこと。神の仰せで、都合が悪いようでも後になってあれもお陰、これもお陰ということが分かる信心の大切さをつくずく痛感させられました。

手記No 28神話集CDを聞きながら北斗七星男性 59歳 掲載号 2007/4/20 No.2

定年間近になって、こんな信心で恥ずかしいですが、「聞くは一時の恥、聞かざるは末代の恥」とありますので投稿します。 神話集CDを聞きながら、今わからないことがあります。「神様は主人、自分は奉公人」という初代大先生のみ教えを、サラリーマンは如何に実践させていただいたらいいのだろうかということです。自分で店を構えて商売をしておられる方にはわかりよいみ教えですが、サラリーマンである私には、いま一つ実践の仕方がピンと来ていません。どう理解させていただいたらいいのか、定年まで残り少ない時間ですが、何かをつかんで定年を迎えたいと思っております。読まれた方のご理解をお教え頂ければ幸いです。

手記No 39手記No.0028への返信デャ・べァ−男性 60歳 掲載号 2007/6/9 No.3

企業に勤務する人達が「奉公人」であったら、その人達の上司が「ご主人」ではないのかと疑問が湧くとの尤もなご意見です。そうであれば、上司は人事異動で変わりますし、相性の善し悪しが部下を評価することにもなりかねませんから、「ご主人」が変わったり、「ご主人」に嫌われたりすることになります。個人で仕事をしている場も同様で、いろいろなお客さんが「ご主人」になってしまいます。しかし、私達が求めているこのお道の「ご主人」は「神様」です。つまり、上司やお客様との係わりは、実意をもって自らの役割を果たす人間にならさせていただくという目標を、日々の生活の中に落とし込むことが大切だと真に気付かせていただき、それを実行する骨折りのプロセスではないでしょうか。言うは簡単ですがこうした大変な難問に、実は私も日々悪戦苦闘しています。全てについて、自分で気づくのではなく「気づかせていただく」状況に身をおくことがキーワードのように最近思っています。

手記No 40手記No.0028への返信お悩みが例えば     掲載号 2007/6/9 No.3

お悩みが例えば、神様か会社の上司かどちらに従えば、というのなら、ごもっともですね。 上司の指図に背いて、自分の信念を押し通すことは大変ですね。心に副わぬ仕事をせねばならないこともありますが、その時は「お詫びと祈りと願い」ではないでしょうか。仕事の上では上司でも、やはりあなたと同じ神の氏子ですから、その上司のことも合わせて、「お詫びと祈りと願い」をさせていただかれたらどうでしょうか。この世に生きている限り会社員でも自営業でも、思い通りにならないことばかりです。それでも、人のために出来ることは大切に一生懸命させていただき、そこから先はただ一人のご主人である神様へ「お詫びと祈りと願い」をさせていただくしかないとおもいます。それを「おかげ、わがが心にあり」と教えてくださっているのではないでしょうか。

手記No 29二代大先生の温顔薩摩隼人男性 82歳 掲載号 2007/4/20 No.2

昭和21年(1946年)2月に、兵役を解除されて復員したとき、「教会は焼けていないよ。残っているよ」と聞かされたので、直ちに帰国の報告にお参りをした。お結界におられた二代大先生は体を乗り出すようにして、「おお帰ってきたか。よかったなぁ」と喜んでくださったときのお顔を忘れることが出来ない。それから2年後に、およびだしがあり(当時は、電話がないので)「子供のために少年少女会を創りたいので」と、活動のご用をいただいたのである。ある日のプログラムに、当時は阿倍野にあった初代大先生の奥城にお参りすることを組んだとき、「大丈夫か。気をつけてな」とのお言葉があり、全員が無事に帰って、お礼を申しあげたら、ニコニコとあたたかな眼差しで喜ばれ、嬉しくなったことなど……。種を蒔かれた少年少女会が「大きに50年」を迎えたとき、もしおられたら、どんなに喜ばれただろうかと、大先生の優しいおだやかなお顔が浮かんでくる。

手記No 30信徒会総会で大牢府男性 52歳 掲載号 2007/4/20 No.2

先日は、信徒会総会での会計報告有り難うございました。この度の情報公開は透明性のある開かれた信徒会に向けての大きな一歩であると存じます。信徒会活動に関して多額の補助を教会にご負担頂いておりますのは誠に申し訳なく相済まないことと存じます。早急に信徒会会計の健全化が図られる必要があると存じます。@会費の改定A一人複数の納入可とするB金光新聞の実費負担など、いろいろな案が考えられますが、一番ご理解・ご承諾頂きやすいのは金光新聞の実費負担ではないかと考えます。信徒会の活動費用は信徒会にお世話になっております私ども会員自身で担わせて頂くという原点に立ち返り、これ以上のご負担をお教会におかけしないためにも、早急に信徒の総意をまとめて改訂策を実施頂ければと存じます。他の会員の皆様の意見は如何なものでしょうか。この「ふれあいの広場」を通して出来るだけ多くの方のご意見をお聞き出来ますことを願っております。

手記No 58手記No.0030への返信M.H.女性 77歳 掲載号 2007/9/1 No.4

地区の信徒会でも話題になっていました。会費の件ですが、長年会費の額も変わらずに今日に至っている現状で、お教会にご負担を頂いている事は大変相済まないと思います。この際、会費の改定(一人複数)をされては如何でしょうか。おっしゃているご意見に賛成です。よろしくお願いします。

手記No 31一度石の設置は? わたるちゃん男性 61歳 掲載号 2007/4/20 No.2

神社に百度石と言う事がありますが、その百度と言う言葉を聞いて尻込みする人もあるのでわないか……。私は読書をしても途中でやめたことが殆どでしたが、その私が40巻の本を読了したのは、自分に「一日一行でも善いから」と自分に言い聞かせたことでした。「一日一行でよい」。この言葉が40巻の本を読了させた威力であります。 教会に一度よりも二度、二度より百度、千度より一万度……切りがありません。数量を追いかけるそんな人生よりも、少ない数でも中身のある人生が大切なのではあるまいか。海洋を乗り切ったとか、偉大なることをしたとかよりも、私に言わせれば、幼子が水におぼれた蟻を助けた事の方が何倍もすばらしいと思う。お百度石の代わりに一度石も又如何なことかと思う。

手記No 32信心の目覚め八重桜女性 86歳 掲載号 2007/4/20 No.2

私は子供の頃から、「初代大先生は、神様や」と言われつづけて、大きくなりました。その私が小学6年生の4月、父が大病を患い生まれて初めて母の言いつけで、その神様である大先生に、父の病気のお願いに参りました。大先生はじっと眼を閉じておられ、やがて「三日でなおるで」と仰せになり、「帰ってお母ちゃんにそない言や」と言われ、本当に父は三日でお陰を頂きました。子供心に「すごいな……」と思いました。その後何年かたって、あゆみの記事に、「ある時、子供が二人、親の病気のお願いに来た。何故その時、この子供達の将来をお願いしてやらなかったのか」と、当時の書生さんに言われたという記事を見て、これは私のことだと思って、子供心に改めて大先生有り難うございますと申し上げました。今、私は幸せです。ご恩は忘れません。

手記No 33二代大先生の思いで秋冬の旅人男性 77歳 掲載号 2007/6/9 No.3

初代大先生は、み教えの中で「信心すれば、あたかも木に餅がなるように、願うお陰がすぐ頂けると思う人が多いが、この道はそう簡単に木に餅はならない。五年十年と真の信心を求め続け、信心稽古の努力を積み重ねて初めて、真のお陰を受けることが出来るのだ」と話された。 二代大先生はそこのところを「辛抱しいや、信心は辛抱が大切やで、辛抱して神様にお願い申して助けて頂くんやで」と私達を励まされた。 昭和二十年の敗戦当時は、戦争で夫を亡くし、乳飲み子を抱えた寡婦たち、家財を焼かれ商売の目途(めど)を失った人々、両親を失い戦災孤児になって路傍をさ迷う痛ましい子供達、闇市に頼って今日の食べ物をやっと手に入れるという、真に暗い絶望の日々だった。 明日への希望を失い、今日一日をどう生きるかが精一杯の時代に、二代大先生は時には父親代わりとして、時には人生相談の相手として、時には厳しい道の指導者として、ご自身の命をかけて、皆の願いを真正面からひしと受け止められ、願う氏子を励まし、その助かりを一心に祈り続けてくださった。 二代大先生の昼夜を分かたぬ真摯なご祈念は、一生を通して変わることなく、文字どおり世のため人の為に辛抱を体現され、神人一如の理(ことわり)を貫かれた、無私のご生涯であった。

手記No 34玉水様にお参りしてB型のお姉さん女性 61歳 掲載号 2007/6/9 No.3

今年の4月6日で主人が亡くなって7年になります。今年の7年祭は見送って玉水様の御大祭へお参りしようと思い、今日4月20日に広島よりお参りさしていただきました。神前拝詞を唱えだした途端、涙が出て止まらなくなりました。先ず主人の事を思い出したのと、玉水様にお参りが出来て有り難く勿体ないという感謝の気持ちからでした。お祭りが済んでからの親先生のお話しもとても有り難くて、大阪まで来させて頂いたかいがかいあったと、広島へ帰ってまいりました。これからもなお一層の信心をさせて頂こうと思います。本当に有り難うございました。

手記No 35二代大先生の思いで八重桜女性 86歳 掲載号 2007/6/9 No.3

毎回、心に思いつくままに、教会のありし日の事を、一人でも多くの信者さんに聞いて頂けたらと、投稿させて頂きます。朝参りで一番印象に残っているのは、二代大先生の真剣な御信行のお姿です。もう30年ほど前になりますが、お届けやお礼をされる方々が始発電車で参ってこられ、我先にとお結界へ並ばれます。その列の長さがお結界からお賽銭箱の近くまでになり、途中で所員の先生が「奥に御用がございますので、 お入り下さい」と大先生にお願いされても知らん顔で、私共のお届けを聞き続けて下さいました。これぞ信者にとって、現人神(あらひとがみ)であらせられ、お亡くなりになられた後も、あいよかけよの生神様のお姿を、いつまでも私共一人ひとりの心に焼き付けてくださいました。二代大先生、有り難うございました。

手記No 36月例祭に思う生駒山のおばあ女性 70歳 掲載号 2007/6/9 No.3

毎月三回、月例祭を頂きますが、雅楽の調べと共に先生方がお出ましになっても、いつまでもザワザワと話し声がしているのを、お感じになった事ありません!以前はもっと厳粛な気持ちで、シーンと静まり返っていたように思います。お教会のためにお祭りをされているのではなく、我々信者が日頃のお礼を申すお祭りに、出社の先生方が参列して下さるのだと思います。婦人会の班会では、いつもこのお話しをしております。地区の信徒会でも話し合って頂きたいと思います。

手記No 37おかげのおかえし湊 喜兵衛男性 81歳 掲載号 2007/6/9 No.3

お陰を頂いて、有り難いというだけでなく、人にそれを伝えることが神へのお礼で、神はそれを喜ばれると示されています。私は、頂いたおかげは、なるべく書き綴るようにしております。嫁いできて、ご神縁を蒙らせて頂いた嫁達には、先ず読んでもらい、孫達にはいずれ伝えさせて頂きます。地区信徒会では出来るだけ伝えさせて頂いたつもりです。書き綴らせて頂くことは、人に伝えるだけでなく、自分の中でも信心を確かなものにしていく上で、よろしいようです。またお手引きの上でも、お役に立つと思います。お陰を伝える上でも、この「広場」は絶好の場所だと思います。お陰をいただいてこられた沢山のお話しを、次々とこの「広場」にお伝え頂ければと思います。さすれば神様はさらに次のお陰をお授けくださるでしょう。

手記No 38おそれいります、三代大先生湊 喜兵衛男性 81歳 掲載号 2007/6/9 No.3

お結界にお出ましでなくとも、後ほど「御祈念帳」で私共の願い事をご祈念、御取次ぎ下さるとはいえ、お徳の高い先生方がお出ましの時は、有り難く、安心させていただきます。その上、先生方は私共の願い事のその後についても心にかけてくださっているのは、まことに勿体ないことです。ある人と意見が対立した時も、あれはその後、どうなりましたかと三代大先生からお尋ねがありました。私は早速自分の考えを数頁の紙に書いてお届けしますと、一頁もお読みにならず、「読まなくても分かっている。これでは解決にならん。別の観点から検討しなはれ」と厳しいお顔をされました。それで別の角度から見直して相手の人に見せると、「お任せします」と言ってくれました。それで改めてお伺いさせて頂いたら、「やはりそうでしたか」と、お顔を和らげて下さった。それから間もなく、ご心労が重なり病床に伏せられたと聞き、ご回復を祈りました。

手記No 41心配と信心子供二人と暮らして     掲載号 2007/6/9 No.3

子供二人と暮らしております。お教会にお参りしてお届けもさしてもらってますが、一人でご祈念をしてますとあれもこれも心配のほうがふえるばかりでご祈念がなかなかできません。仕事(ビルの清掃)をしている時が何も考えなくてすんで一番楽です。心配が始まると胸が痛くなって病気にならないかとまた心配になります。こんな時にはどうしたらよいのでしょうか。一人でわかりませんのでどうかお教えください。名前はお許しください。

手記No 54手記No.0041への返信デャ・べァ−男性 60歳 掲載号 2007/9/1 No.4

「仕事をしている時が何も考えなくて気が楽」であるとありますが、「気が楽」になるのは「一心」に仕事をしているからです。一方、お祈りとなると心配が湧いて「一心」になれないのは、一言で言うと神様がおられることに疑問があるからです。とはいえ、心配が消えないのですから、お取次ぎくださる姿が見える先生に、箸のこけたことでもお届けしお力を頂くことです。お結界とはそういうところです。同時に、周囲にこれまでお世話になった人が何人かはおられるでしょうから、お祈りの内容に、ご自身だけでなく、その人達へのお礼を入れ、その対象を徐々に広げてゆくことです。自分以外の人たちへの祈りがきっと心配を減らすことになるでしょう。

手記No 55手記No.0041への返信針千本女性 57歳 掲載号 2007/9/1 No.4

お気持ちは大変よくわかります。このことで悩んでいる方は多いと思います。私も例外ではありません。心配があるから私達は信心をさせて頂いているとも言えるのではないでしょうか。だからこそ心配についての教えもたくさんあるのです。例えば「心配はおかげのお断り」、「心配する心で信心せよ」。初代大先生は「我々には心配する力なぞないのだ」と教えられております。まさにそのとうりですね。心配して問題が解決するのなら、なんぼ心配しても損はしません。心配してどうにもなれへんからまた心配するということで、まったく無駄なことをしているわけですね。そこで、私の経験ですが、心配し出したら「生神金光大神様天地金乃神様」と心の中で、または小声で、ひたすら一心に御名を何百回も唱えます。すると心が落ち着きますし、心配していた心が「もう神様にすべてお任せしよう」という気持ちに変わっていきます。そこからおかげの道もひらけてきます。ぜひ実行してください。

手記No 66手記No.0041への返信そよ風女性 84歳 掲載号 2007/9/1 No.4

神様を知らない人は心配が絶えません。神様と御縁頂けば一切心配いりません。それは歴代大先生、親先生の並々ならぬ日々のお取次ぎを頂いているからです。すでにお陰を頂いており、これからも頂いていけますよ。生命も体も全てお恵みを頂いているのです。何事もお預けしてしまうことです。初代大先生はコップの水に例えて教えて下さいました。空っぽのコップには一杯はいる。我で心配した分にはその残りだけしか入らぬと。必要なことは全て与えてくださいます。人は支え合っています。子供さんを頂けて幸せでしょう!。親が子を、子が親をお届けして祈る時、思う以上にお陰を下さいます。子供さんにもお届けを教えてあげて下さい。一生の宝です。仕事先のトイレは御祈念させて頂ける最高の個室で、お気付けも頂きやすいですよ。

手記No 42神様って本当にいらっしゃるのですか?ちょっとお尋ね     掲載号 2007/6/9 No.3

ちょっとお尋ねしたいのですが、常々心に浮かんだりきえたりしている問題がありまして、皆さんのお考えを教えて頂けたらと、と思って書かせてもらいました。正直な ところ、笑われるかもしれませんが、神様って、ほんとうにいらっしゃるんですか。私もいらっしゃると思って手を合わせているんですが、もしおられなかったらなんにもならんのにと、ふと、思ってしまう時があるのです。こんなこと思うこといかんと判っていても、どうしたら本当にいらっしゃることがわかるのですか。よい方法があったら、どうか教えていただけませんか。

手記No 52手記No.0042への返信わたるちゃん男性 61歳 掲載号 2007/9/1 No.4

「神様ってほんとうにいらっしゃるのですか!」の手記はまことに正直な信心始めの心だと思う。頭ごなしということがあります。「これがまことの神や仏だから、何でも疑うことなく祈り信ぜよ」では、まさに信心の暴力であります。教会にお参りしている人の中にも「ほんとうに神様はいらっしゃるのかしらん」と思う人もあるのやないですか。実は私もそうでした。それでいいのです。そこから信心の道に入ればいいと思う。「神や仏にお参りして何になるのか」・・・一つだけたしかに言えることがあります。「あの人は神仏にお参しているひとだ」と言う雰囲気がやがてその人に出来てくることです。その雰囲気が高まると、実感として自然と神や仏の存在が分かります。

手記No 53手記No.0042への返信デャ・べァ−男性 60歳 掲載号 2007/9/1 No.4

同様の気持ちを持っておられる方は意外にいらっしゃると推測します。神様がおられることを遮二無二理屈でわかろうとしても、空気をこの眼で見ることのできないのと一緒で、なかなか困難です。しかし、大事態に遭遇したときに、裸になって神様にすがりつきさえすれば、きっと神様がおられることが解ります。ところが、誰でもそんな苦労をしたいとは思っていませんから、神様がおられることに疑問をもつのは当然です。だから日頃から、いつでも神様にすがりつくことができる心になるよう、日々努力をしていかれたらいかがですか。無理をして解ろうとしても自分を苦しめるだけで成果は少ないでしょう。焦らないことです。

手記No 56手記No.0042への返信針千本女性 57歳 掲載号 2007/9/1 No.4

これは本当に一言で説明出来るほど簡単なことではありません。しかし誰の心の中にも多少なりともそういう気持ちがあるのが自然だと思います。その第一の理由は神様の姿形が見えないことにあるのだと思います。では、見えたら信じられるのかといいますとそうでもありません。形があるのはいつかは消滅するので頼りになりません。このことはいろいろの苦労を重ねた人がよくわっかておられることだと思います。私はこの年になって、ようやく「人生において本当は神様しか頼りに出来ない」と言うことがわかりました。何故そう思えるようになったかと言えば、私のいままでの人生の中に起こった様々な現象を考えたとき、神様の働きを抜きにしては起こり得ないことを多々体験してきたからです。そういう積み重ねで「やっぱり神様はおられる」と確信できるようになりました。神様の存在の有無を考えるより、純粋な心でご自身の人生を振り返ってみて下さい。あなたはきっと神様のお働きに気ずかれることでしょう。それが信仰だと思います。そこからまた新しい人生が開かれると思います。

手記No 59手記No.0042への返信北斗七星男性 59歳 掲載号 2007/9/1 No.4

「本当に神様はおられるの!」「おられる」と信じることです。歴史上全世界の高名な神学者が研究した結果、誰も証明できていないのではないでしょうか。「信心」とは神様がおられると信じることから始まるのではないでしょうか。教祖様、初代大先生が、天地金乃神様を感じられ、話が出来たからこそ、金光教、そして玉水教会が生まれたのではないでしょうか。そして多くの人が助けられました。このことこそ間接的ですが、神様がいらっしゃる証明ではないでしょうか。すべての信者が、徳を積んで、お国替えになるまでに、信話集第2集P253にあるように、「本当に神様に縋り、神様に会うて物語がしたい」という信心を実現すれば、自分自身で神様の存在を証明できるでしょう。人間自分が出来ないと納得できないものだと思います。

手記No 60手記No.0042への返信単純な信者女性 68歳 掲載号 2007/9/1 No.4

「ちよっとお尋ね」を読ましていただいて、なんとお幸せな方だろうとうらやましくなりました。世の中、広いですね。神様がいなくてもたいしてお困りじゃない方もいらっしゃるのですね。私みたいに箸がこけても神さま神さまと手を合わせるような人間は、この方から見たらどうでしょうかね。でもなぜか生まれてからこれまで一度も神さまがおられるだろうかしらと考えずに来れたことを本当に有り難いと思っています。なぜかと聞かれてもちゃんとしたお返事ができませんが、いつも神前にいる母の背中を見て育ったからではないでしょうか。一心にご祈念させていただくと考えるひまがないので心がしずまりますよ。

手記No 62手記No.0042への返信わたるちゃん男性 61歳 掲載号 2007/9/1 No.4

「本当に神様はおられるの?」について。まめに神様にお参りしていれば「あの人は神仏にお参している人である」という雰囲気が自然と出来上がってくる。そして本人自身にも神様はあるとの「実感」が出来てくる。信心にとって大切なのはこの「実感」と思う。もう一つ神があると納得するものに、その宗教が奇跡的な事をしてみせて、「神がある」と示すこともある。しかし、キリストの教えに「汝、神を試すなかれ」とあるように、その奇跡が手品やからくりではどうするのか。又「御利益があったから信心する、儲かったから信心する」では真の信心といえるのであろうか? やはり神様の存在を知るには、まめにお参りし信心をして、神の存在を自然と「実感」することが大切だと思う。

手記No 67手記No.0042への返信そよ風女性 84歳 掲載号 2007/9/1 No.4

神様はいらっしゃいます。困っている人、難儀な人を見た時、可愛そう、助けずにはおれんと思うでしょう。その心が神心で、私達は皆分霊として持たせて頂いています。心と体は魂とその洋服です。呼吸、血のめぐり、思考力、飲食、消化、排泄、睡眠、何一つとして、自分の力で出来るものではありません、全てお恵みを頂いてこそ、させて頂けるのです。その恵みを下さるお働きを神と申し上げていると私は信じています。時には難も授けられます。助ける為の信心への種。今この真の神の道に御縁頂けて最高の幸せ。改式のお陰も頂き、先祖も助けて頂きました。今、子孫が各自に心の目を開かせて頂き、神にお礼を申せる真の人になるようにと願っています。人しか信心は出来ません。

手記No 75手記No.0042への返信 ノイローゼから神を知るわたるちゃん男性 61歳 掲載号 2007/11/1 No.5

少年の頃深刻なノイローゼに陥ったことがある。今日一日何をして生きたのか分からない、自分とは一体何者なのか?……明日への希望も見えず空しく過ぎる日々、こんなノイローゼが10年程心を巡る(分かりますかこんな心境)。しかし今日一日何をして生きたか分からない日々を養ってくれた何か大きな力を私は感じることが出来た。ノイローゼ中の私の心臓を何かの力が鼓動してくれた。又ノイローゼの中でも、過ぎゆく日々を何かの力がかもし出してくれた。自分以外の大きな力の存在を私は感じることが出来ました。教典に「天に任せ、地にすがれ」と小さな生命を守ってくださる神の愛を称えたいと思います。

手記No 44初代大先生の夢M.K.男性 72歳 掲載号 2007/6/9 No.3

今まで誰にも話さなかったのですが、でも匿名でもよいそうなので、初めて話させていただきます。私は小学三年の頃、母の病気のことで初代大先生にお届けにいったことがあります。それから四十年余りの歳月が過ぎたある夜、突然まざまざと初代大先生のお姿を見たのです。今の家の座敷で、テーブルの向こう側にお座りになって、杯を手にしておられました。私がその時に抱えていた悩みについてお尋ねすると、「誰かに聞いてごらん」とおっしゃったので、「大先生のほかに、誰に聞いたらいいのですか」と申しあげると、少し微笑みながら静かに杯を明けられました。私が台所の家内に「お代わりをお持ちして」と声を掛けると、「もう、いい」と手を振られて、お立ちになりました。夢はそれっきりですが、御霊様はずっといらっしゃるのだ、とその時に知りました。

手記No 45神我を助け給ふ八重桜女性 86歳 掲載号 2007/9/1 No.4

教会へお参りされている方々は皆様共々に明るく楽しそう、と拝見させて頂いていますが、今「ふれあいの広場」を見させて頂き、神様を杖に生きておられる方々の如何にお強いかを思わされます。私は、両親始め身寄りは全部死にまして、只今は一人で生活をしております。私はみなしごハッチなのです。でも教会がありますし、誰彼なしに言葉をかけて下さる信者さんがおられます。でもそれだけで全てが解決というわけには参りません。私は今一人で暮らしており、体も強くありませんので、日参出来かねています。でも神、我を助けたまうです。電話がありますので、お教会や親先生には申し訳ございませんが、電話でお届けさせて頂けます。それで心がとても楽になります。心の安らぎ、体の痛みの回復を頂きます。神様、ご無礼お許しください。親先生、お許し下さいませ。

手記No 46御縁あやめ女性 88歳 掲載号 2007/9/1 No.4

昭和の初め、江戸橋にまだ市電が走っていた頃、玉水教会の玄関でウロウロしていた子供の私が、優しそうな先生にお菓子を頂きました。沢山の人で、子供心にもその熱気に驚いたことを昨日のことのように思い出します。奥の火鉢には初代大先生がおられたのでしょうが、今思えば、それが知らずの御縁を頂いたはじめです。戦争を経て大切な母を亡くし、主人の会社の倒産、死別、そして独りぼっちになりました。暫く阿倍野に落ち着き、近くに玉水教会の熱心な信者さんがおられ、誘われて信徒会にも入会、はや30年近くなります。すっかり周囲は様変わりしましたが、玉水教会の御門は昔のままで想い出につながり、我が家へ帰ったようです。初代大先生の最後のお引き寄せが有り難く身に染みております。

手記No 47あんたは重病人か?わたるちゃん男性 61歳 掲載号 2007/9/1 No.4

私は毎晩5,6回トイレに行くことがある。医者に言わせれば「あんたは重病やから入院せないかん」と言われるかもわからない。私はトイレで小便をする度に「神様、毎々小便のお取払い有り難うございます」とお礼を申しております。神様が一晩中私の体から小便を取り払って下さっている、それがどんなに有り難いことか・・・。只々感謝、感謝の心あるのみです。私は大阪ふれあい会という会を30年近くしていますが、少年の頃、医者から「アカン」と言われたが、おなじアカンのやったら日本中旅行して死のうと思った。しかし旅に出たら病はなおっていました!!神様がよくして下さったすばらしいこの体を、小便おとり払いと共に感謝しています。

手記No 48泥棒もお手上げの防犯態勢湊 喜兵衛男性 81歳 掲載号 2007/9/1 No.4

皆様とご同様、日々ご近所共々盗難、火難その他災難なきこと御祈念。玄関、勝手口の施錠(勝手口は格子戸に磨り硝子を挿め込んだものに金属の爪が下から上へ差し込み式にて締めれば横に引くとも開かず)。玄関、勝手口、窓という窓にはご神米を御祈念して添付。過般真夜中に勝手口で戸のきしむ音がした(泥棒が戸を持ち上げ手前に引き寄せようとする音)。熟睡中のところ神様にお知らせ賜り、忍び足にて確認すると、磨り硝子に泥棒の立つ影。咄嗟に戸をガタつかせ、大声にて「誰だ」と怒鳴ると、泥棒慌てて遁走。後日警察から、捕らえた泥棒が、お宅にも浸入したと自白したが被害は!、とのこと。警察によると、姫路での殺人強盗容疑者の由。神様のお守り、おはたらき、ただただ有り難く勿体なき窮みです。

手記No 49涙なくしては八重桜女性 86歳 掲載号 2007/9/1 No.4

今私はこれまでの御大祭に頂きました御直会の数々を読ませて頂いて居ります。中でも二代大先生の御祭の折りに頂きましたお直会、「教燈」の中の数々のお写真を拝ませて頂きますと、二代大先生御在世中のことが今にしてよみがえって参ります。大勢の人を助けお導きくださいました「アラヒト神」であらせられた二代大先生。涙なくしては読ませて頂けません。よくぞこれまでのお写真を私共にお残し下さいました。若くしてこの世をお去りになりました三代大先生、有り難う存じました。さぞやご無念な事でしたでしょう。涙なくしては拝読させて頂けません。今私は身寄りもなく病気がちですが、お教会がある限り元気が出てきます。神様を杖にと教えられた通り頑張ります。

手記No 50「光が見えた」北斗七星男性 59歳 掲載号 2007/9/1 No.4

デァー・ベアーさん大変有難うございます。「神様ご主人、自分は奉公人」は信心の4つの目的の4番目ですね。「社会の中における、企業の中における、家庭の中における」自分の役割を常に考え求めていく。1求めて気づかせていただいた役割を、実意を持って果たすべく努力をし続ける。2その努力が思いに終わらぬように、毎日の生活の中に落とし込み、日常生活そのものにする。この理解であれば神話集第2集の「背負いの呉服屋さん」の姿もよく理解できます。自分の役割を、しっかり認識され、それを行動に移された。そのことが商売繁盛につながった。サラリーマンであれば、企業の中の自分の役割をしっかり認識し、実意を持って果たしていくことが、奉公人の努めであろう。

手記No 51勤務地のことS.M.男性 84歳 掲載号 2007/9/1 No.4

私が勤務していた会社は、京都の東九条にありましたが、その会社が奈良の王寺に移転することになりました。今までは車で12分で行けたのに、車・近鉄・マイクロバスで1時間半かかります。ずっと以前から夜は家でそろばんを教えていました。二代大先生に「どうしたらよろしいか」とお伺いしましたが、いつまでたってもお言葉がありませんので、今日は駄目かと思って、すごすごと帰宅しました。しかし、会社へは返事をしなければなりませんので、数日して又お参りしましたら、今度は即座に「王寺に行きなさい」とおっしゃいました。お言葉通り王寺に通い、帰ってから塾で教えました。弱い体でこんな無茶な勤務でしたが、体をこわすことはありませんでした。大先生がどれ程心を痛められ、どれ程御祈念して下さったかと思うと、本当にもったいない事でございます。

手記No 57「忙中閑」あり」北斗七星男性 59歳 掲載号 2007/9/1 No.4

定年前になって、自分が本当に頑固者だと教えられた。その結果、周囲(家族)は、身を固めて私の攻撃から各自を守っていた。自分を擁護するならば、「必死で仕事をしていて気が付かなかった」ということでしょうか。還暦まじかになって、やっと気づかせていただいたという気持ちで、素直に改めようというすがすがしい気持ちになれました。素直にごめんなさいと言えました。自分が変わると周囲が変わると言うことを聞いたことがありますが、今までの自分は、自分は変わらず周囲を変えようとばかりしていたのでしょう。「忙中閑あり」。忙しいという字は、心を滅ぼすということ、現代においてはみな忙しい。心を滅ぼさないでおくためには、閑を作ることであり、それはまさに御祈念の時間ではないでしょうか。御祈念しながら、日に三省すれば、忙しくとも、心を滅ぼさずにすむのではないでしょうか。

手記No 61門をくぐりさえすれば・・・八重桜女性 86歳 掲載号 2007/9/1 No.4

毎日毎朝地下鉄の一番に乗ってお参りさせて頂いた頃は楽しかったな……、と毎朝家の神様にお礼申し上げます度に思い出します。足の骨折がもとで朝参りが出来なくなり十年。初代大先生が教会の門をくぐりさえすれば助けてやるとおおせになりました通り、私如き者でも親先生のご祈念を頂き毎日元気で働かせて頂いて居ります。

手記No 64信心継承のこと湊 喜兵衛男性 82歳 掲載号 2007/9/1 No.4

核家族化が進み信心継承の形の変化、家族宗教から個人宗教へと、信心を伝える難しさが問われるご時勢である。信心継承のみ教えは、わが道しるべに信心生活に根ざした伝える側として、熱意をもって、自然体で勤めさせていただくことが特に求められていると思います。 わが家族一同打ち揃い、おかげのなかで、ご神縁を蒙らせて頂き、信心の稽古台にたたせて頂いておりますのも、次の事柄が基盤かと思っております。私は、戦時中玉水の学生会に入らせて頂きました。妻は道広教会で少年少女会に入らせて頂いておりました。息子達はそれぞれ玉水のスカウトに入らせて頂き、男孫達も玉水のスカウトに入らせて頂きお世話になっております。それぞれの活動にあって、次第に心を神様に向かわせて頂き、神様に出会わせて頂く心に預からせて頂きました。有り難いことです。息子達の嫁も、神様中心のわが家にあって、おかげで早々ご神縁に預かり、おひきよせ賜っております。息子達玉水スカウト当時、信心継承につき尋ねましたところ、@親が信心しているからAスカウトに入らせて貰ったこと、の2点を挙げましたことを思い出します。

手記No 65昔お火鉢で教わって そよ風女性 84歳 掲載号 2007/9/1 No.4

初代大先生は教会の敷居を一歩跨げばお陰にしてやると教えて下さっています。お参りしても自分だけで拝んで帰ったのでは市場に行ってそこらを見渡しただけで帰るのと同じ、何のために来たのか分からん、先ず今日のお引き寄せ、昨日のお礼を申し、足らぬところのお詫びを申してお願いをお結界へさせて頂いております。 毎日同じ願いでもそれは日々が新だから心改めて願うことが大事であり、喜びと共に。金光教はお取次ぎを頂き教話を聞いて助かる道であるとも教えられております。お参りのあと話を聞かぬようでは駄目だ。 困ったことや悩みも打ち込んでご祈念していれば、行きずりの人の話や、目に付く活字や、人の歌声にも答えを下さることがあります。ふと思うこと=神からのメッセージ、しっかり気づかせて頂くことだと思います。時々、あの時お気付け頂いてたのにとよく失敗しました。

手記No 68お手引きについて八重桜女性 85歳 掲載号 2007/9/1 No.4

私は子供の頃から親についてお参りさせて頂いておりました。その頃周りの大人の信者さんがよくお手引きと言っておられるのを聞き、お手引きって何や、と親に聞きました。親も子供に分かるような説明は出来ませんでしたが、その後毎日朝参りをさせて頂き、お話を聞かせて頂いたり、お参りの往復で皆様方のお話を聞かせて頂き、おぼろげ乍ら私なりに分かりました。しかしその実行の如何に難しいか、ということでした。自分自身花の咲くようなお陰を頂いておればですが、次々と問題も起こってきました。しかしそれでも神様のお陰、大先生の御祈念でこんにちこうして幸せにさせて頂いております。それをどの様に聞いて頂いて、その方なりに解釈をしていただけるにはと、いつももどかしさで一杯です。

手記No 69忘れられないこと淀川の葺男性 82歳 掲載号 2007/9/1 No.4

ボーイスカウトのキャンプに出掛け、ブッシュ(草むら)を切り拓く作業が始まって間もなく、「隊長、T君がケガをしました」の声……あわてて駆けつけると「隊長、お剣先さんをください」。当時、隊の救急箱にお剣先さんは入れていない。とっさに個人携行の袋から取り出して渡すと、「有り難う」と言って、傷口に当て、ニッコリ笑ったスカウトの姿が忘れられない。 2)隊の集会が終わり、広前でのご祈念の後、記念館への道すがら何気なく「Y君、神様は、何処におられると思うか」と、尋ねたら一瞬と惑った顔をしたが(自分の胸を抑えて)「神様は、ここにおられます」と言い切った姿、これこそ、シンジンの現れかと、指導者として教えられたことである。

手記No 70衣・食・住の願い浦島太郎男性 66歳 掲載号 2007/9/1 No.4

昔初代大先生に衣・食・住のお願いをしなさいという教えを伯母から聞かされた。これは奥が深いで、とも言われた。私なりに考え、生活の基本かなと理解していた。そのお陰で28歳、独身の時、親元近くにマイホームのお陰を頂いた。結婚、2人の娘が小学校の頃ローン完済。もう少し広いところをと改めて願いを持ったとき、市の区画整理地域になったことを知らされた。また第三者への転売もしてくれるなとも言われ、頭金にすることも動くことも出来なくなった。定年もあと1年と迫って来てリフォームを考えていた時、区画整理計画も具体化、しかし、その補償はわずかで、老後にと貯めていた虎の子を足しても新規購入には足らないし、計画は押し寄せてくる。願いが真剣になってきた。そんな時変化が起きたのが、社員持ち株制度の株価であり、タイミング良く買い手が付いたことである。ローンを組むことなく25年間の願いがここに実現し、初代大先生、伯母にお礼の毎日。4LDKの新築マンションへ2人の娘が孫達を連れ遊びに来ても、別室で遊ばせておき、親娘は団らんの一時である。

手記No 71昔お結界で教わってそよ風女性 84歳 掲載号 2007/11/1 No.5

お結界で並ぶ時はお伺いとお願いをしっかりと区別して、整理しておく事が大切であり、待っている間に心でまとめておく稽古がいると思うし、長いお届けの人にはそれだけ大変なことがあるのだろうと助かりを祈らせて頂くくらいの心の広さが必要ではないでしょうか?人生には辛抱せねばならん事がたえずある。今その稽古をさせて頂いていると思って心を円くするように、心に角を立てないこととも教えられております。取次ぎを書いて下さる先生の足元と並んでいる所の絨毯の色が違う。色が変わったらお結界の内と心得て、私語は慎むこと。たとえ上段の先生がお留守であったとしても書いて下さる先生はお手替わりであり。先生を区別してはお陰を落とす。全て大先生のお導きと心得てお届けをさせて頂く態度が重要だと思います。

手記No 72自動車運転免許取得湊 喜兵衛男性 82歳 掲載号 2007/11/1 No.5

私は、現役時、運転の必要もなく、また愛飲家でもあり、運転には全く関心もなく過ごさせて頂いておりましたところ、何となく、運転免許を取得してみようと言う気になり運動も兼ね自動車学校に通い免許取得をしましたのは還暦後のこと。時経ずして、母が次々患うことになり、妻共々病院、医院往診医師の送迎には大いに役立たせて頂きました。また信徒会の御用では、お参りから遠のいておられる信者さんの様子をうかがいに、遠近問わず回らせて頂きました。神様にお縋りさせて頂いておりましたら、神様の有り難い思し召しが蒙れます。有り難いことです。

手記No 73お詫びとお願い 八重桜女性 86歳 掲載号 2007/11/1 No.5

信者さんのくせに、という陰口はよく耳にします。そして私も何度かこれまでに申しました本当に御無礼やとかお陰を落とすとか、私には御無礼は判りますがそれならどうすれば本当に神様にお喜びを頂けるのか、お話を聞かせて頂いても、直ぐに反省の出来るときは上等の方で、散々人の悪口を並べており乍らご神前では神様どうかどうかとお願い申し上げております。本当に過去が白紙に出来ればお詫びばかりしていて神様が過去の御無礼をお許し下さって助けて下さるのかと。大きなお陰を頂かれた方々はどんな風に信心をされているのだろうか。でも行き着くところはいつも神様に一度でも多くお詫びを申し上げて今日よりは明日の幸せのお願いしかないことになります。皆様はどうなさっておられるのでしょうか?

手記No 74「願いを持ち時節を待つ重要性」デヤ・ベヤ男性 60歳 掲載号 2007/11/1 No.5

この夏、観光で米国ワシントン・アーリントン国立墓地を訪れた際のことです。J.F.ケネディの弟・ロバート元米国司法長官の墓地の前には、遺言どおり、ごく浅い深さの水辺を作り、その水辺の表面が僅かに波うつようにしてあります。この遺言には、「国を治める者であろうとも、一人で改革するには限りがある。一つの考えと行動をつうじて、時間と辛抱が必要で波うつ水辺の表面のように、徐々に着実に広げて行くという考え方が大切である。」との故人の思いが込められているそうです。公私にわたり何ひとつ自分の思いどおりにならない毎日の生活の中で、願いをしっかり持ちながら時節を待つことの重要性を実感できたワシントン訪問でした。

手記No 76川の流れのように わたるちゃん男性 61歳 掲載号 2007/11/1 No.5

美空ひばりさんの唄「川の流れのように」ではありませんが、高齢者の会「大阪ふれあい会」を始めまして早30年近くになります。年取ることを嘆く人がありますが、年が過ぎること、年齢が増えると言うことは生きてきた生命の流れの様なものではないかと思います。年齢の増えるのを嘆くのは川の流れを嘆くようなものです。水の流れぬ川とは如何なものでしょうか?年過ぎるのを感謝し年を取るのも感謝しようではありませんか!それでこそ生命も信心も生き生きとしてくると思います。但し、年を取ると言うことと老人になると言うこととは全く関係のないことで、80でも90歳でも若い人は居られると思います。過ぎし日を神に感謝しょうではありませんか!

手記No 77二代大先生の思いでY.K.男性 77歳 掲載号 2007/11/1 No.5

二代大先生をご存じの方はその気品あふれるお姿を瞼に焼き付けられておられることだとぞんじます。南九州にお供をさせて頂き宮崎神宮に参拝させて頂いたとき、礼拝所に向かっておりますと奥の本殿から玉砂利を熊手でこちらに向かって筋目を付けておられた神宮の方が玉垣を開いてご遠方よりよくご参拝になられましたどうぞ本殿の方にお進み下さいと案内されました。私は一番若手でしたので最後尾についておりましたら、次に続いておられる一般の方には、ここからは入れませんと玉垣を閉めてしまわれました。神宮の方は私までがお供の者だということをご存知ないはずで服装も九月の初旬で一般の方と同じような半袖の服装です。そのことを考えますと、お徳の高い大先生を神宮の祭神の神様が大先生を鄭重にお迎えされたとしか思われませんでした。大先生のご高徳は教内だけでなく世間一般に慕われ敬われるお徳の高い二代大先生でしたが、そのようなことを再三見せて頂きました。

手記No 78子孫への宝 そよ風女性 84歳 掲載号 2007/11/1 No.5

父は我が家の全先祖の日拝を、又毎月の墓参りには必ずお供を、別宅住まいの為帰宅時開口一番「仏さん拝んでいるか?」小二の子供心に「嘘は言えぬ」と、ランドセルを置くなり先ず日拝。父の手作りの毛筆の日拝表。お経の本の同字の平仮名辿りつつ。小学6年で第一室戸台風の日、電線のスパークに火花、この風、もう駄目、死を覚悟。般若心経念じつつ「母と家のお守り」を皆は泣き、私は「心中祈念」で平静、低学年の二階建て校舎は倒壊。皆の無事祈念。父の教えに守られて。正に信心は杖を体覚。後年玉水教会に御縁頂き、日々の教えも同じ。頂点からの流れと悟る。父は禅宗、子に渡す宝信心、私も願いつつなかなか出来ずお導き願い稽古中。子がお参りさせて頂く日を楽しみに。何事も歴代諸先生の取次ぎで。時節を待たず苦をする事の教えの下に。

手記No 79母 S.M.男性 84歳 掲載号 2007/11/1 No.5

子供が多かった時代でしたが、母は11人の子供を産んで特別でした。内姉2人は赤ん坊の時に亡くなりましたが、それでも9人の子供を育ててくれました。皆元気でしたが私だけ虚弱でした。そのせいで私が一番心配をかけたと思います。わたしが病気で寝ていた時、よく枕元に来てご神米を頂かせてくれました。その母がある時、お教会から帰ってきて「若先生(二代大先生)がかわいそうにと言ってはったで」と言うことを聞いて、何万人も信者がいるのに私如き者をそれ程思って居て下さったのかと有り難さで一杯でした。今も子供達にそろばんを教えています。これも歴代大先生のおかげは勿論ですが、この母あればこそとしみじみ思っています。

手記No 80めぐりについて 八重桜女性 86歳 掲載号 2007/11/1 No.5

めぐりって本当はどういう事なのかしらどの宗教にもそれぞれ独特の言い方があるようですが日頃何気なく口にしているめぐりについて本当は何なのかといつも思っております。品行方正の方はめぐりをつまないでいられるのか、でも本人は別として先祖からのめぐりってよく言われますし知らず知らずの罪汚れは即めぐりとなるのであろうか、我が身が知らずして過去から現在にたまりにたまっていくのであろうか、自分の毎日毎日が少しでも善であれと願いつつも、知らず知らずのご無礼ばかりです。注意しておりましても人を傷つける事の多い生活を反省しつつ、日々の生活も反省しつつ信心させて頂いておりまして、このような有様では信心なければどんないやな人間になっていたのかと反省させていただいております。

手記No 81二代大先生二十年祭を迎えるに当たりY.K.男性 77歳 掲載号 2007/11/1 No.5

二代大先生二十年祭を迎えるに当たり、改めて二代大先生に頂いた、お陰を一つ一つにお礼を申し上げさせて頂きましょう。しかし、ただお礼を申し上げるだけでは、申し訳ありません。ここから更に信心を進めさせて頂くことを信徒会の集会で話し合うことが大切なことではないでしょうか。二十年祭をお迎えする、私のテーマは「祈誓の実践」で祈誓が出来たのは二代大先生がお亡くなりになられて五十日祭にできました。来年で二十年になります、その間、祈誓を千回位申し上げているかなと単純に計算したら千回どころではありません。祈誓は「します。いたします。」と誓っているのです。それで、一つぐらい「しました。いたしました。」と申し上げられるように努めさせて頂きたいと思っております。

手記No 82年賀の晴れ着Tease女性   掲載号 2007/11/1 No.5

秋風が肌に心地よい季節となり、物思いに耽るこの頃、毎月19日に二代大先生の映像やお話を伺っていてなんと申し訳ない時を過ごしたことかと……。若いときはただお参りをしたいときに参り、言いたいことを言って先生を困らせたことでしょう。「人の道を歩んでや」と言われたことがこの年になって解りかけるなんて……。年賀のご挨拶の時も晴れ着を着ているときは、にこやかに微笑んでくださいますが、ある時いい加減な気持ちで常と変わらない服装でご挨拶したら厳しいお顔でした。「日々がさら」と言われるように気持ちの上で引き締まりがないのがいけなかったのかと後悔したことがあります。大切なことは、新しく綺麗な晴れ着でなく、日々がさらなきもちだったのですね。

手記No 83二代大先生へのお伺い八重桜女性 86歳 掲載号 2007/12/19 No.6

30年程前、私は会社がいやになり、信徒会で話をさせて頂きました処、大先生にお伺いをして決めるべきだと教えられた。その事を二代大先生にお伺いすると、12月迄と仰せになり、9月だったので12月迄気楽な気持ちで出勤しておりましたところ、社長の方に次々と問題が起こり、教会へ一緒にお参りをしてお届けをされるようになりました。私は奇跡が起こった如く感じました。またその私が会社も辞めることなく86歳の今も現役の社員としてお陰を頂いております。信心を知らない一人の人間に、私を介してお引寄せ頂き、亡くなる2ヶ月前までお取次ぎを頂かれました。神様に手を合わせたことのない人に二代大先生は神の存在を教えて下さり、安心立命のお陰をお授け下さいました。私のことと共に、お礼の毎日です。

手記No 84「御神酒を朝晩にな」二宮金次郎男性 67歳 掲載号 2007/12/19 No.6

父が66歳で、私が勤めを辞めて父の仕事を手伝ってから7年目の33歳の時、協同組合の理事長室で、父が突然脳血栓で倒れて病院に運び込まれた。すぐに二代大先生にお願いすると、「頭に御神酒を頂きなさい、朝晩にな」とおっしゃいました。朝参りの帰りに一升ビンを守衛さんに見つからないようにして、父の頭に力いっぱい吹きました。しかし晩には医師や看護士さんが多く、御神酒の持ち込みが禁じられており、吹くことも出来ず、朝だけで済ませておりました。言葉がしゃべれず、左手が少し動くぐらいの重度の障害で、3ヶ月経っても余り変化がないとのことで、自宅に連れて帰りました、それから12年間その状態のまま亡くなりました。その後、大先生に頂いた「朝晩にな」のお言葉がなぜか頭から離れず、これは大変重要な意味のある事ではないかと思うようになりました。つまり朝晩とは始めと終わりが大切で、朝だけでは半分の祈り、半分のお陰になってくるのではないか、残念な事をしたなあ、とおわびをしています。とはいえ、いまだに実行は出来ていませんが、大きな意味で人生の終わりに向かって、せめて信心の継承に努めていきたいと思います。

手記No 85良縁のお願い浦島太郎男性 66歳 掲載号 2007/12/19 No.6

昔、青年会時代の集会で二代大先生に良縁のお願いをしなさい、と教えられた。まだ十代で青年会にも入りたて、ピンと来なかったが願いだけは持った。そしてこんな私にもお陰を頂いた。第一子、第二子と妊娠が判ったとき、新たなる良縁のお願いが始まった。長女は学生時代、将来の海外生活を夢見たらしい。商社に就職、職場結婚のお陰を頂き、海外赴任生活も経験させてもらった。私共も訪問、そして観光と良い体験をさせて頂いた。これも良縁のお陰なんでしょうか?次女は失恋の痛手の時に気の進まぬ数合わせの合コンに引っ張って行かれたらしい。また彼も気の進まぬ合コンだったと後で聴く。眼に見えぬ糸で結ばれ今や家族のため朝早くから夜遅くまで一生懸命頑張っている。この息子の健康のお願いも忘れていない。夫々が一女一男の母になった。この孫達の行方いつまで見せて頂けるか判らないが、しかし良縁のお願いだけは持ち続けたい。いつまでも……

手記No 86「人生が変わった一言」北斗七星男性 59歳 掲載号 2007/12/19 No.6

私が大学4年生の就職の時、私は父が勤務していた会社へ就職をしようと御結界にお伺いに行きました。その時二代大先生から一言、「もっと大きな会社に就職をしなさい」とお言葉を頂きました。特に就職活動をしていませんでしたが、迷うことなく先の会社への就職をやめました。少しして大学院を受験しないかという話になり、合格しませんでしたが、その後すぐに教授から、37年間勤務することになる会社を紹介頂きました。今思い返しますと、父が勤務していた会社は同族会社であり、又色々な人の関係もあり、苦労していたと思います。お伺いし、お言葉を頂いたことで、振り返ってみると、自分の能力以上の仕事をさせて頂き、又満足な仕事が出来たとお礼の気持ちでいっぱいです。本当に私の人生は、一言で変わったと思います。

手記No 87守られて・・・紀ノ川女性 67歳 掲載号 2007/12/19 No.6

40年近く経った今も、ハッキリと見えないお陰ということを思い出されます。二代大先生の頃でありました。それは夢はでありますが、玉水教会大広前、お賽銭箱の辺りに私が座って御神殿の方を見ておりますと、天井近くの宙を泳ぐようにウネウネと大蛇(大人の男性の両腕が廻らない程の太い蛇)が三匹お広前後方から御神殿に向かっていきます。なんと恐ろしい事とあ然としておりましたら、御神殿近くの玉垣手前で、高い大きな天井から突然太い柱が三本ドーンと落ちてきて、大蛇三匹の頭が串刺しになりました。玉水教会のお徳、大先生の御祈念を頂いていることに有り難く、恐れ多い事と思っております。

手記No 88不思議の波に流されてそよ風女性 84歳 掲載号 2007/12/19 No.6

養母と私は生まれ方も生い立ちもネガ一枚。違いは、養母の父は信心なき普通の人、私は父に信心を教わり乍ら特定の何処にも縛られず導きを、何事にも一途になる性格故。不思議の思いに引き寄せられて玉水へ、後は気儘に勝手信心。異母姉の危篤に急ぎ大連へ。渡満前のお結界は一切無知、お届けもなし、日々姉一家の為勢一杯。12月末に発病、入院、「ああ!この子、今日未だ生きているで、どうなってんねんやろ?」が話題の毎日。昭和19年2月1日午後6時、下熱し蘇生。形のお祀りも、お届けもない私が、親の為、家族の為お徳授かる。「玉水の先生」との心中祈念だけで。思い返すと、お導きのお陰で祈りも一心も。信心は素直が一番、盲目的に信じ切って体得する。赤子のように求めよ、との教え。無心の信心を、子への宝、親なれば。

手記No 89神様のおつげについてわたるちゃん男性 61歳 掲載号 2007/12/19 No.6

「神様のお知らせなど聞いたこともない」そういう人もあると思う。初代大先生が信者時代に神様からいろいろと指示をうけて商売をされた話がある。実は我々にも神様の指示は常にあるのである。例えばお腹がすいて何か食べたくなるときがある、これは神様が何か食べなさいという指示であると言える。急にトイレに行きたくなるときがある、神様からの指示である。遠い懐かしい人を思い出して手紙でも書きたくなる、これも神様のお知らせである。只神様は人の言葉を使わず感じや思いによって人に指示を寄せられることが多いと思う。私がこの投書をしたいと思ったのも神様が出しなさいとご指示下さったのだと思う。

手記No 90命がけの信心わたるちゃん男性 61歳 掲載号 2007/12/19 No.6

教会にお参して「神様これこれをよろしくお願いします」と御祈念したのはよいが帰り道「何を御祈念したんだろうか」と忘れてしまうことがある。時には教会で御祈念だけが習慣になっていることがある。初代大先生は商売繁盛をお願いしたからには売り上げが皆無であっても信心を貫けと教えられていたように思う、只人との約束は覚えているのに神様との約束願いがこの有様では神様が消えてしまう。我願いは合わせて神様の願いでもあります。神様がかなわぬはずはありません、只そこに自己利益や打算や深欲さが介すればかなわぬ事もありましょう。教典に「心配する心で信心せよ」「命がけの信心」あなたももう一度ご自身を見直してみませんか。

手記No 91役に立つことTease女性   掲載号 2007/12/19 No.6

人の為に思いやると言うことに欠けているのだろうか!毎朝御神前で今日も人のお役に立たせて下さいと祈っている。ある時学友と話した折帰り際に楽しかった、「たわい無い話に付き合ってくれて、無駄な時間を過ごさしてごめん!」と、満足して帰っていく人達。向こうから来るのを拒むことなく、ただ話を聞かせてもらうだけで自分から手を差し延べる訳でもない。だけど、こちらが教えられることも多い。相手は喜び自分は勉強させてもらっているのだと思う。時には疎ましく思ったときは反省しお詫びする。私の出来ることはこれ位なのかもしれない。

手記No 92御神縁八重桜女性 86歳 掲載号 2007/12/19 No.6

去る11月18日教会では例年通り盛大なバザーが催されました。私にとって本年のバザーは本当に嬉しい一日でした。それは生まれて初めて金光教の教会へお参りしたいという方をご案内出来たと言うことです。神様は全部新興宗教の如くこれまで仏教一筋に来られた方ですが、私がいつも教会へお参りに行くと言っておりますのでご自分から一度参ってみようかなと思われていたご様子のところ丁度バザーがありチャンスだった様です。このことこそ神縁まことに不思議にして今この道に出で会ふを得たりの気持ちで一杯です。願わくばこの後共に神様のお引き寄せを頂かれもっともっと幸せになられることを願っております。