金光教玉水教会
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教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 「まだ二時間ある」



 初代大先生は、二十四歳のときに奉公先が倒産し自身の身の振り方についてお伺(うかが)いしようとご本部に参ります。

 塩干物の仲買業界では、湯川安太郎青年の敏腕ぶりは知られていたので、独立しても他の店に招かれても十分にやっていけました。ところが、金光様から返ってきたのは「小売りをせよ」とのお言葉でした。扱う品物は同じでも、これまで培ってきた手腕や実績が通用しない。そして元手も顧客もないので、手当たり次第戸別訪問するしかないという厳しい道でした。しかもそのお言葉を下げられた三代金光様は、わずか十三歳の少年です。
 それでも初代大先生は苦しみながら「神さまのお言葉」と金光様の仰せに従います。

 商売初日、すでに神さまからのお知らせをいただけるようになっていた大先生は「花街(いろまち)(歓楽街)へゆけ」とのお指図の通りに行商を始めます。しかし売れません。世間的にいえば無謀というようなお取次のお言葉に従い、いちいちお指図をいただいて、神さまの仰せ通りにしているのに、売れない。すでに夕方、通りがかりの時計をみると四時でした。

 自棄になっても不思議はありません。それでも初代大先生は「まだ二時間ある、その間に」と思えたのでした。そしてそれを境にバタバタッと商品が売れたのでした。のちに初代大先生は「私の信心ができていたのではない。神さまの力でそう思わせていただいたのだ」とおっしゃっています。

 ○「行けるとこまで行こう」
 一昨年のことになりますが、私は四月のご本部大祭の前、体が痛みだしたことがありました。鈍痛が間を置いて起きるのです。しかも場所がうつる。痛い所へお神酒さんを頂いて、御用を通しておかげを蒙(こうむ)ろうと決めて気にしないように努めていました。
 ところが、そのうちに痛んで夜も眠られなくなってきました。家族も心配しますので、病院に行きました。血液検査やレントゲンを撮ってみても原因がわからないといわれます。「痛いので痛み止めだけでも」と申しても、「原因がわからないので、薬は出せません」ということで手ぶらで帰ってきました。

 これは、いよいよ神さまに治していただこう、となるはずですが、逆に後ろ向きの「なんで治らへんねん」というような気持ちが頭をもたげてきたりしました。そうこうしているうちにご本部大祭当日、彌壽善先生がご大祭の祭員に選ばれて前日から御用に出向かれたので、朝六時のご祈念先唱を仕えました。声が出ないのです。かすれるのではなくて出ない。「いきがみこんこうだいじん、おんとりつぎ」。ここまで唱えるのがやっと。これはあかんわ、とても行けん。まして装束を着けた御用などとてもとても、と悲観的な気持ちに陥ってしまいました。

 ところがそのあと、お結界に座ると気持ちが変わりました。「ご霊地のお徳をいただこう。行けるまで行こう。たとえお装束を着けられなくても、地下休憩所で横になって拝むようなことになっても、行こう」。こう心にきめました。初代大先生の商売初日、あの四時の折の心境でしょうか。神さまが思わせてくださったとしか言いようがありません。
 新幹線のなかで,オッと思いました。痛みの間隔が開き始めたのでした。その後、金光に着いて着物に着がえ、お広前でご祈念するころには何と痛みが消えてしまったのでした。

 三日間ほど寝ていなかったのですが、眠いどころか、ありがたくありがたく参列させてもらいました。
「二時間ある、その間におかげいただこう」の信心を放さずに参りたいと願っています。



<2019年2月掲載>
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