金光教玉水教会
contents
教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 祈りにつつまれて


 六月七日は三代教会長夫人・湯川眞理子姫、私の母の三年のお日柄日でした。五月二十七日に三年祭を仕えました。

 五月二十七日は初代教会長夫人・湯川ひで息足志道照姫の亡くなられた日で、毎年、湯川家の霊神祭日として、出社教会や親族に参拝いただいて宅祭を仕えています。今年はそれに併せて、母の三年祭も執り行ったわけです。さらに故サンディエゴ教会長・湯川憲一大人二十年祭も併せて執り行いました。

 もう三年になるかと思い、いやまだ三年かとも思います。
 母は肺がかたくなって呼吸がしにくくなる病気を患っていました。しかし進行はゆっくりでしたので、普段は元気にしておりました。それでも呼吸のたびに無理がかかるらしく、心臓などに負担がかかっていたようで、心臓が苦しいと、入院したりすることもありました。


 退院すれば普通に過ごしていましたが、徐々に体が弱ってきて、二〇一九年の春になると酸素吸入器が手放せなくなりました。食も細くなり夜も介護の方に付き添ってもらうようになりました。

 四月のご大祭のころには医師から「何があっても…」と宣告されました。それでも頑張ってくれて六月になりました。
 六月六日の夜には姉や妹も枕元につめて「頑張ってエ、頑張ってエ」とはげましておりました。母は苦しそうな様子ながら懸命に呼吸していました。そのうちに私は「もう頑張らんでもええよ。神さまにお任せすればええよ」とふと申しました。すると苦しそうだった母の様子がおちつき、楽になったようでした。

 母も穏やかになったので、私はお広前に出てご神前でご祈念をはじめました。午前二時すぎだったように思います。お結界へのお届けをご祈念してから、母との思い出のあれこれを思い出しては神さまに御礼を申しておりました。

 娘がいよいよかも知れないと呼びにきて、また母のもとに参りました。四時半頃お国替えになったと記憶しております。

 あとで聞きますと、私がお広前に参ってから、家族たちも、ご祈念しよう、ということになり一人二人を残して奥のご神前で勢祈念にかかっていたそうです。皆の神前拝詞が聞こえてくると、母も一緒に唱えていたとのことでした。まさに祈りにつつまれてお国替えをするというおおみかげをいただいたのでした。


○父、三代大先生にならって
 子どものころを思いだすと、母だけが私の面倒をみてくれていたような気がします。成績が悪くて鬼の形相でにらまれ、とっくりお説教されたこともあります。

 父、三代大先生は何にも言いませんでした。「勉強をしろ」とも「信心しろ」とも一言もありませんでした。それは無関心ではなく、父なりに自分の経験や考えをもってのことだった、と私は思います。

 私も子どもを頂いて父と同様にさせていただきました。そのぶん神さまにはお願いいたしました。その中身は「子どもたちと一緒に御用させてください」ということです。

 おかげをいただき母の三年祭に、学院修行を終えた長女、次女、そして次女の婿までのお参りが叶いました。ありがたいことです。

 これからも子どもたちが御用の道を歩もうとするのを、祈りにつつまれて逝った母、三代大奥様が支えてくださるだろうと確信しております。



 <2022年7月掲載>
TOP
  Copyright(C) Konko Church of Tamamizu All Rights Reserved.