金光教玉水教会
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教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 神さま中心に



 教祖さまのご理解に「祈れ薬れ」という条(くだり)があります。「祈れ薬れにすればおかげも早いが、薬れ祈れにするからおかげにならぬ」。

 薬をのむときによく神さまにお願いしてのめばおかげが早い。薬をのんでから、そういえばお願いしてなかったと思い出してあとからお願いするようではなかなかおかげいただけない。という御教えだと思います。
 ある人が「でもちゃんとご祈念したんでしょ。薬をのむについて、ご祈念はどちらもしているのにおかげが違う、というのはなんか納得いかない」と言っていました。しかしこれはおかげが違うのです。はっきりしてます。

 玉水教会の大切な御教えである「神さまがご主人、自分は奉公人」を例にとってみましょう。

 のちの初代大先生、湯川安太郎青年は商売をはじめてから寝る間も惜しんで準備にもぬかりなく商売に精をだし、また人一倍参拝に御用にと信心に励んでいました。ところが資金繰りに悩むようになります。資金がショートしそうなので頼母子(たのもし)に入ったのが特にいけなかったようでした。

 頼母子とは庶民の金融です。たとえば十人のメンバーが毎月一万円ずつ持ち寄って融通し合おうと決めたとします。はじめの月は十万円を誰それが、次の月は誰兵衛が十万円を、その次は誰雄が十万円をと順に落としていくというシステムです。はじめに十万円をもらうとあと九ヵ月は毎月1万円払っていかねばなりません。また早くもらおうとしたら利子分もかなり引かれたことでしょう。

 安太郎青年は苦し紛れにいくつもの頼母子にはいり当座は切り抜けたものの、そのあとずっと空(から)がけしていかねばならないという地獄のような状況に陥ります。その苦しみのなかで「これまで自分は神さまを拝んでいるつもりだったが、実は自分の腕を、才覚を拝んでいた」と気づきます。「これからは神さま中心でいこう。神さまに主人になっていただき自分はお仕えしていこう」と改めると、しばらくして商売の車はうなりを生じたように回りだし、借金も返してそのうえ残るようになったのでした。しかし安太郎青年のやっていること自体については、やはり死に物狂いで商売と信心に打ち込んでいるわけで以前と変わりません。有力な資金源ができたわけでも格安な仕入れ先がみつかったわけでもありません。思いだけがかわったのです。

 ○日常のひとつひとつを
 ではどうやったら私たちも神さま中心になれるか、ということです。

 先日、会議でご本部に出向いた折、境内を歩いていて教祖さまのみ教えを読みました。信心とは、朝、親にもの言うようにお礼を言ってその日都合よくいくように願い、よそにいくときは行ってまいりますとお届けし、帰れば無事に行ってきましたとお礼し、寝るときにお御礼して眠る。それで信心になる。というみ教えで、ああこれだなあと心にしみました。日常のひとつひとつのことを丁寧に丁寧に神さま中心になるように心を込めて行っていけば信心になるとおっしゃっているのです。

そういえば、以前四代金光様から「アメリカに行くときにはお結界へいってお届けするだろうが、近所に買物に行くときはどうか」と教えていただいたことがあります。近所への買物など、ささいなことは、これくらいなことと考えて、つい自分中心になってしまいがちなことを戒めてくださったのです。形はどうあれ細かいことでも手を抜かず神さまにお頼りしていく、それを毎日毎日積み上げていくのが信心だと改めていただかせてもらいました。




<2018年12月掲載>
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