金光教玉水教会
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教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 足していただく



 あけましておめでとうございます。
 正月はふだん神社仏閣などに足も踏み入れないような人も初詣をして神仏に手を合わせます。

 金光教の信者さんのように感謝や御礼をする人は少ないでしょう。たいてい漠然と幸せになりますように、とか良い年でありますようにと願うだけでしょう。もっと踏み込んで、病気を治してください、借金が返せますようになどの現世利益を祈る人も多いことでしょう。

 現世利益を祈るのは低級だとよくいわれます。そんなことはないはずです。祈るのはお金とか健康とか、そのことが不安で直視しているのですから、目をそむけているよりずっといいことです。考えれば考えるほど世の中には不安がいっぱいです。生きるということは不安だらけです。
 だから昔から、神仏に安心を求めるのですが金光教はさらに丁寧に身の処し方を教えてくださっています。

○弱いものになれ
 信話集をひもときますと、初代大先生がくわしく説かれています。
 神さまは「お前たちでは力が足りないから、とても世渡りをしていくことができない。だから、力を貸してやろう、足してやろう」と仰せられている。
 なのに私たちは、心配ご無用です。私が心配してなんとかやっていきます、とお断りしている。それは子どもが大きな荷物を持っていると、親が「こっちへお貸し、持ったげる」と言うのを「いいや、私が持つ」と言い張ってへたりこんでしまうみたいなものだ。素直に「はい」と言うて渡せばよいのに。

 そして初代大先生は「弱くなれ、弱くなれ。弱いものになることが信心が強くなった証拠だ」と詳しく教えてくださっています。自分を小さくして神さまに大きく足していただく。

 なるほどよくわかります。私ほど足していただいている金光教教師はない、と自分を引き合いに出してまで説明してくださいます。よく分かる、よく分かるのです。あとは実際に問題にぶつかったとき私たちがどう生かすかです。

 五十代もなかばにさしかかって、年を重ねるということは自分の体力の限界が測れるということかな、と思ったりします。ここまでは行ける。もう少しはだいじょぶだろう。などと思っているといきなり寝込んだりします。
 十二月の初めもそうでした。明日は出社の年祭でどうしても出掛けなければならないという前夜に寒気と震えがきました。布団を重ねて暖かくしても寒くて寒くてなりません。これまでだったら、どうしようどうしよう、と不安に駆られるところですが、今回は、もうしゃあない、どうあっても行かねばならないのだ。なるようにしかならない。ままよ、だ。

 そうして朝を迎えやはり体調はよくないもののなんとか出かけました。悪いなりにお祭りもお仕えでき教話も滞りなくすみました。やれやれありがたい。ここでバタンキュウかな、と覚悟していると段々調子が回復してきてお直会もおいしくいただけ元気にしていただきました。ああ、こういうあやち(仕組み)なのだなと、神様に足していただくことを改めて確認しました。

 初代大先生は、足していただくとは一心に祈る事と教えてくださっています。どうぞ足してください、お力お貸しください、と真剣に願ってまいりましょう。






<2018年1月掲載>
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