金光教玉水教会
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教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 おかげの受けはじめ


『銀座だより』に目を通していまして、初代教会長・湯川誠一先生の「おかげの受けはじめ」という言葉が目に留まりました。(九月号「心の宝石箱」)

 誠一先生は、布教後すぐに関東大震災に遭(あ)ったのも「おかげの受けはじめ」、戦災に遭ったのも「おかげの受けはじめ」とおっしゃっています。

 ちなみに、教祖さまが実弟・香取繁右衛門(かんどりしげえもん)さんのお広前について、金神さまから建築入用を頼まれ、それをのちに「神の頼みはじめ」と押さえられたご事蹟があります。

 しかし、誠一先生の「おかげの受けはじめ」という言葉は「神の頼みはじめ」のような具体的な物事の起点を指す言葉ではないようです。それぞれのおかげのもとを考えていくというような意味合いのようです。

 そしてその「おかげの受けはじめ」はえてして、遭遇したときはとてもおかげとは思えないようなことだとおっしゃっているようです。大正十二年一月に布教を開始し、その年の九月に大震災に遭いました。先生は、つや奥様と逃げまどい、まるで大地震に遭うために東京に来たようでした。ところが、その地震のために普通ではなかなか入りこめない銀座の地に布教の足がかりをえることができたのでした。

 さらに戦災では建物ふくめ一切を焼かれてしまいました。先生ご夫妻、私の父・三代大先生など家族、修行生らは全員無事で、一年後には仮広前を建設できました。

 つまり当初は辛い苦い経験でも、信心していくとそれがのちの大きなおかげにつながっていく――おかげの受けはじめとはそうしたものなのです。

 だから信心している者は、どうすればいいか。「心のなかに喜びをもって信心していくこと。天地の親神さまはそこを喜んでくださる」と続けておられます。

 ○「のちのちのおかげじゃ」
 苦い思い出といえば、私には入学試験で不合格になった思い出があります。とくに小学六年のとき私立中学を受けて落ちたときは辛かった記憶があります。

 そこに受かればエスカレーターで進学できるからといわれ、私なりに励んだつもりでした。
 不合格のお届けにご本部にお参りした母に、四代金光様が、「のちのちのおかげである」とお言葉を下げられました。

 母は素直に喜んで、二代大先生や三代大先生に報告し私にも言い聞かせてくれました。

落ちたのがどうしておかげだ、と私はとても納得などできませんでしたが。 母が喜びの心をもってくれたのは振り返ればありがたいことでした。私にとって「おかげの受けはじめ」になりましたから。

 今お取次のご用をいただく身になって、受験のお届けを受けるたびに、あの時の辛さ苦さが私の信心の肥やしになってくれていることを感じます。
 
初代大先生は信心はじめのころ、
「信心するものは喜べというなら、喜べるようなおかげをください、そうすればなんぼでも喜びます」と神さまに物申しました。すると高熱を発して床に伏すことになり、神さまに懸命に願って熱を下げていただいて、ようよう治まりました。そして御礼申しつつ、ご自身が口にした文句の浅はかさに気づき懸命にお詫(わ)びされました。
 私たちもどんな状況にいたっても喜びを忘れないという信心を求めていく、やがて大きなおかげの受けはじめになる、という金光教の信心の道を一歩一歩進んで参りましょう。


 <2022年10月掲載>
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