金光教玉水教会
contents
教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 天地のご恩



 四月二十日に天地金乃神大祭をお迎えします。初代大先生は、私どもの信心の上で「恩を知って、恩に報いる」ことがとても大切だと教えてくださっていますが、天地のご恩、親神様のご恩についても、その恩を知り、それに報いることが大切です。


 では、天地のご恩とは具体的にどのようなものなのでしょう。実は、普段「当たり前」と思っていることの多くにご恩があるのです。
 例えば、この天地の中で生成される空気。これがなかったら、私たち人間は生きていけません。水も毎日たくさん使わせてもらいますが、水がなくても人間は生きていけません。天地の親神様は、私たちが生きるためにすべてのものを恵み、与えてくださっていると言っていいくらいです。

 それがとれほどの恵みなのか。空気を例にすると、体重五十キロの人の場合、一日に約二十キロの空気を吸うそうです。五百ミリのペットボトルに換算すると約二万本分。もし天地に代金を払うとなったら、一本一円としても毎日二万円を払わなければなりません。当然ながら私どもは、何も天地に払っていません。

 空気だけでなく、水や石油やガスも、生活の中に供給されなければ、私どもは生きていけません。浄化したり、加工をする業者にはお金を払っても、資源を生んでくれた天地には、一円たりとも払っていません。全部そうなんです。

 このご恩。理屈ではわかっていても、心と体がなかなかわかってくれないので、朝、蛇口から水が出て来ても、いちいち「ありがとうございます」と感謝する心になれているかというと、なかなかそうなれない時が多いのです。

 阪神淡路大震災の時、いくつかの避難所へ炊き出しに行かせてもらいました。とても感謝してくださった方もありますが、何度も炊き出しを受けたことがある所では、そうでないこともありました。人は、親切に慣れてしまうと、それが当たり前になってしまって、ご恩というものへの感謝の気持ちが薄らぐようです。自分が被災したら、一体どういう心になるのか、ふと、考えさせられました。

 支援物資の仕分けを手伝ったスカウトから、海外から届いた大きな箱の中に、たくさん中古の靴が入っていたことを聞きました。仕分け作業はしなかったそうですが、どうなったのでしょう。「使ってくださる。喜んでくださる」と思って海外の方がわざわざ送ってくださったご恩を踏みにじるようなことになったのではないか、と気になりました。自分も含め、裕福さに慣れてしまった社会の一員として、知らず知らずのうちに天地のお働きに大変なご無礼を重ねているのではないか、と思わされたことでした。

 『信話』十四集の中で「天地の恩に報いるのと逆に、自分勝手をして天地の働きをないがしろにすると、そのご無礼やお粗末が積み重なって〝めぐり〟となり、自分や周囲に難儀となって現れる」と初代大先生はおっしゃってます。『前々のめぐりあわせで難を受けおる』というみ教えがあります。めぐりと言うと、私たちは先祖のせいにしがちですが、実は私ども自身も、知ってか知らずか、難儀の元になるご無礼やお粗末をしていることが多いのです。

 そこで、「何かご無礼があったらどうぞ気づかしてください」と常に神様にお願いし、気づかしてもらっておわびし、改まっていく。おわびをしつつ、感謝も忘れない。それが、天地のご恩に対して、私どもが報いていかなければならない大切な中身だと思います。

 ともどもに報恩のご信心をさせていただき、日々のおかげをこうむってまいりたいと思います。




<2019年4月掲載>
TOP
  Copyright(C) Konko Church of Tamamizu All Rights Reserved.