金光教玉水教会
contents
教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 過ちの元をただす



『天地(あめつち、金光教報』十一月号に初代大先生のお話が載っています。お取次に関わる教話ですが、そのなかに、ばくち打ちへの初代大先生の教導の話があります(『信話』四集)。玉水教会の信者さんなら一度は聞いたことのある話でしょう。ちょっとさらっておきますと、

 ばくち打ちが参ってきます。初代大先生はばくち打ちに対して「ばくちに勝つようにお願いしよう」といいます。ばくちに勝ちたい一心で、ばくち打ちは懸命にお参りします。「私もお願いする。ただしお話を聞くように」とのお言葉を守っていたばくち打ちが、ある日「おかげいただきました」とお届けします。「ばくちをやめ仲仕の請負をしてます」「それはありがたい。いやばくちをやめんようなら、一遍牢屋へ入れてあげようと思っていたんや」「そんな無茶な」。

 初代大先生ならではのお取次です。ばくちに勝つように、というようなことは、おそらく言えないどころか思い付きもしないでしょう。

 ばくちに勝つ、という目の前のおかげにつられてばくち打ちが参る。お話を聞くという、初代大先生との約束をしているうちに、自らの生き方の過ちに気づき改まっていく。その裏には、初代大先生の真剣なご祈念があったわけです。

 考えてみれば、おかげの味を知り、神さまの願いに気づき改まっていく、というのは「おかげを授け、理解申してきかせ、」立ち行く、という金光教のお取次の正当な手続きをきちんと踏んでいます。

 実は最近私は、この「過ちをしてその元に気づき改まりにつとめる」ということにぶつかり、取り組んでいます。少し教師としては恥ずかしい話ですけれど……。

 ○ご本部大祭の習礼で
 今秋のご本部・生神金光大神大祭でお役があたりました。はじめはお役の詳細がわからず、以前「典礼補(てんれいほ)」をつとめたので今度は「典礼」かな、と考えていました。典礼というのは、祭主の金光様を先導して参向し、号令をかけてお祭りを取り仕切るお役です。

 ところが通知が届いてみると「祭詞後取(しどり)」というお役でした。後取というのは、祭主に祭詞や玉串をお渡しするお役です。参向(さんこう)や退下(たいげ)のときは、祭主のすぐ後ろを歩きます。概ね女性の教師が勤める場合が多いお役です。

 祭詞後取には苦い思い出がありました。お祭りの儀式の作法というのは、厳格な規定があります。「どっちの足から進んで」、というように。

 私が初めて祭詞後取をつとめたのは、父三代大先生と宅祭に参ったときでした。祭主以外のすべての役をつとめなければならないので、とても緊張していました。ところが祭詞を渡す段になったとき、どうしても大先生が受け取ってくださらないのです。

 訳がわからずパニックになりました。あとで理由を伺うと、作法が間違っていたからでした。捧持(ほうじ)してきた祭詞をぐるっと回しててっぺんの方からお渡しする作法なのに、逆に手元の方からお渡ししてしまったのです。鮮烈な思い出で、以後肝に銘じてきたはずでした。それなのに今回の習礼の折に、同じ過ちをおかしてしまい指摘されました。もう我ながら、呆然(ぼうぜん)です。

 で、考えてみました。そうだ、お役があたったとき、「なんだ後取か」、と思ったな。お祭りを仕える、儀式に臨むということには人一倍気を遣い、心をこめてきたつもりでした。ところがこれです。その気の緩みが出てしまったのでしょう。おかした過ちの元を探り、気づいて改まっていく。それを実行しようとお詫びしながら取り組んでおります。






<2017年12月掲載>
TOP
  Copyright(C) Konko Church of Tamamizu All Rights Reserved.