金光教玉水教会
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教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 ああ、大奥様



 大奥様、三代大先生夫人 湯川眞理子姫が6月7日午前4時50分ご帰幽になりました。湯川眞理子姫は、昭和8年12月10日にお生まれになりました。お父さまが南方で戦死されたので、お祖父(じい)さまの白石匡(ただす)先生に育てられました。白石先生は『湯川安太郎信話』の編(へん)纂(さん)をはじめ初代大先生の信心を理論的に整えたばかりでなく、ご本部の教学研究や教師育成に尽くされた功績のある方です。

 大奥様は、三代大先生と昭和32年に結婚されて現大先生はじめ一男四女のお子様を育てあげられました。教会の御用については、三代大先生のお側(そば)での事どものほか、婦人会の相談役、スカウト活動、出社や所員の先生方、台所の御用に携わる人たちへの心配り、そして御神米調整に至るまで、多岐にわたって担われました。

 どのようなときでも、竹林の青竹が吹く風をしなやかにかわして佇(たたず)むように、大所帯のかじ取りを淡々となされて明るく進んでいく奥様でした。
 仲睦(むつ)まじかった三代大先生がご帰幽されると、婦人会、スカウトの御用を徐々に現大先生夫妻にわたされ、後ろ祈念に尽くされました。家庭では大勢のお孫さんひ孫さんに囲まれ、お好きな音楽に親しむ日々を送りました。

 その一方で朝昼晩のお広前でのご祈念を欠かすことなく、霊殿前方左脇の定位置で長いご祈念を捧げられておられたお姿を思い起こす方も多いことでしょう。

 動かないけれど扇の要のように大切な役前、初代、二代大奥様に連なる「玉水の大奥様」の大きな信心をなさっておられました。

 これからもご霊神となって、信奉者みなさんの上を大きな祈りで包んでくださることと信じます。

大先生ご挨拶(6月11日、告別式にて)
 本日は、母の葬儀にご会葬いただきありがとうございます。三代教会長夫人 湯川眞理子、というと他人行儀ですので、母と呼ばせていただきます。

 母は一昨年、間質性肺炎という病に侵されていることが判明しました。それでも普段と変わらず孫ひ孫たちに囲まれ好きな音楽、ピアノやヘルマンハープをたしなむという楽しい日常をおくっておりました。
 昨年秋入院し病気が進行していることがわかりました。教会で余生をおくりたいということで帰ってまいりまして、家族、私の姉妹たちで見守っておりました。
 六月六日いよいよ体調が悪くなり苦しそうにしておりました。辛抱強い母が「苦しい」と申すのです。夜中まで続き、私も見ていられなくなって「もう頑張らんでいいよ。大先生のところに行っていいよ」と声をかけました。
 そうしましたら、あれだけしんどそうにしていたのに穏やかになりました。そこで子どもたち孫たちがそろうことができました。
 私は傍らで看取ろうと思いまして、ずっと母の手を握っておりました。すると「ご祈念してや」と申します。「大丈夫、そばでご祈念してるよ」。しばらくするとまた声をかけてきます。「ご祈念してや」。「ご祈念してるよ」と私が答えます。
 しばらくして「ご祈念してきて」。母がそう申しました。「ああ、お広前でご祈念して、ということだな」と気づきまして母の許(もと)を離れて、お広前に参りましてご祈念させていただきました。
 ご祈念と申しましても、神さまに母の生涯をとにかく御礼申させていただきました。
 一時間ほどしますと娘が呼びにまいりまして、母の許に行きますとほとんど息をしていない状態でした。
 私が手を握ってから三度ほど呼吸をして息を引き取りました。穏やかな顔をしておりました。その顔を見てこんなおかげがいただけるのやな、と思いました。
    ○
 母は父三代教会長が亡くなったあとは、朝・昼・晩の定時のご祈念にかかさずお広前に出てご祈念をいただいておりました。
 私がお結界から母の姿を見ると、母もこちらをチラッと見ます。ああ私のことを祈ってくれているのだなあ、としみじみ思ったことであります。
 母は両親の味を知ること薄く、祖父に育てられ、教会子弟でない身で教会に嫁いだのでいろいろ苦労があったことと思います。しかしその苦労が信心となりおかげとなりました。改めて信心のありがたさを感じたことでした。




<2019年7月掲載>
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