金光教玉水教会
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教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 天地の子



 信話集には、初代大先生ご自身の信仰体験や教導のほかに初代大先生がお聞きになって、これは、と思われたお話も載っています。

 難波教会の信者さんのお菊さん親子の話もそうしたお話のひとつです。
 二十三歳の髪結いお菊さんは六十三歳の母と二人暮らしでした。ところがお菊さんは瀕死(ひんし)の床についてしまい、お母さんは傍(かたわ)らで泣くばかりでした。隣の人がみかねてお母さんに「いろいろお参りしたというが、まだ金光様には参ってないやろ。行ってみなはれ。

私がみていてあげる」と勧めてくれ、お母さんは教会にお参りします。
 先生から、天地の恩徳、天地の親さまの思(おぼ)し召しのありがたさを聞くうちに、娘を失うかもという涙に暮れていた母さんは、天地の親さまがおられるという心強さにありがた涙を流すように変わりました。

 家に帰ると、お菊さんは昏睡(こんすい)状態。私は助けていただいたが、娘があっちへ行って親の名がわからんようでは困る。せめて親の名だけでも教えてやりたいとお願いしていると、お菊さんが目を覚まし「水を飲みたい」と言うので水を飲ませ、「おなかがすいた」と言うのでおかゆを頂かせました。そこで「お菊、私には親があるねん。お名を天地金乃神さまと申し上げる。死んだら親の許へ帰るのじゃ。心配することいらん」「お母さん、よくわかりました。明日死ぬようなことあっても心配しません。大丈夫です」

 それからお菊さんは快方に向かい、おかげを頂いて達者になり、結婚をし子どももできたということです。

 初代大先生は「いっぺん話を聞いて、いっぺんに信じてしもうた。何とうまいこと信じたものですなあ。これがホンマです」と讃嘆されています。
 ○青空を見上げて
 私も、天地に生かされている天地の子なのだなあ、と実感したことがあります。四年前、初代大先生七十年祭の時のことです。

 大切なお祭りを目前にして修行生たちが次々風邪で寝込みました。「気が緩んでいるからだ」と私は苦々しく思いました。「私は風邪などひかない。この大事なときに神さまがひかせなさらん」と。ところが一月三十一日体調が悪くなりました。
 打ち合わせをしていて朦朧(もうろう)としてきます。これは習礼は無理やな。彌壽善先生に代わってもらおうと考え、携帯で電話しますが彌壽善先生も家内も出ません。では銀座の先生に、とかけても出てくれません。修行生やほかの人に言うと「大先生が倒れた」と騒ぎになるので言えません。――これは神さまが習礼に出よ、ということかとお広前に行き、なんとかつとめました。

 翌朝も咳と鼻水が止まりません。この日は午前中に墓前祭、午後からお広前で七十年祭の第一日目、という日程でした。瓜破(うりわり)霊園に出かけ、車中からご祈念するつもりで心を向けるものの「なんでこんな日に」と愚痴ばかりで祈りになりません。

 ふと外をみると参拝者がコートを着ていないではありませんか。気温が上がるとは聞いてましたが、驚いて窓をあけると二月とは思えないさわやかな心地よい風がはいってきました。

「雪が降っても当たり前なのに、なんとありがたい」空を見上げると、青空がひろがっています。じっと見ていて気がつけば、私はもう咳もしておらず、鼻水も出ません。「これでお祭りがさせてもらえる」と、まず思いました。

 そして天地の親さまがお繰り合わせをしてくだされたのだと、段々思い至ってきました。七十年祭のあの日のことを思い出すと、天地の子なのだという実感がよみがえります。





<2018年10月掲載>
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