金光教玉水教会
contents
教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 百日信行



 九月四日にはじまった三代大先生二十年祭の百日信行もひと月ほどたちました。大きいお祭りの前には百日信行をさせていただいております。なぜ百日なのかという疑問を持たれるかたもおられるでしょう。

 これは教祖さまの百日修行にちなんだ取り組みであるからです。
 教祖さまは若いとき、神さまの仰せのままにさまざまなことを修行として取り組まれました。
 しかし、やがて教祖さまの修行は「表行(わぎよう)よりも心(しん)行(ぎよう)をせよ」のみ教えのように体でする修行よりも心を中心にした修行へと変わっていきました。

 難波教会の近藤藤守先生が、ひと修行しなければと思って「しばらく山へ入って修行させていただきとうございます」と申し上げると「それは結構である。しかし何もわざわざそんな不自由な山へ行かなくても、心の中に山をこしらえて、そのなかで修行をしたら、それでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんな不自由なことがあっても不足を言うようなことはないであろう」とご理解くださったのでした。 

 百日修行についても、お子さま(萩雄さま)に「百日の行をせよ」と仰せられ「どんなことをするのですか」と尋ねると「心でするのである」と答えられたのでした。

 百日修行で教祖さまが具体的にどんな修行をされたかはこれ以上のことはわかっていません。
 百日修行は毎日「金光大神賛仰詞」で奉唱しているように教祖さまが神(かん)上(あ)がる直前までの百日間になさったのと、明治九年に
なさったということがわかっています。

 ○「百日修行 楽しめ」
 教祖さまが神さまからのお知らせを記したご手記『お知らせ事覚帳』中の明治九年の記述に「十一月十五日早々お知らせ 百日修行楽しみ」とあります。神さまからのお言葉なので「百日修行を楽しめ」と読めます。

 修行を楽しめとはちょっと意外な感がいたします。しかし私はなるほど、と思いました。
 私にもそういう経験があるからです。
 金光教学院で学んでいるころ、私はいつも早朝の金光さまのお出ましを拝していました。日中の学行や信行に差し支えないように、奨励もしないが禁止もしないというのが学院の先生方の方針でしたので、三時起きする仲間はそう多くはありませんでした。私も誘われて始めたものの、はじめのうちはそう気がのっていませんでした。

 ところが、続けているうちにだんだんありがたくなってきます。雨でも降ろうものなら「ありがたい、今日は雨だ!」と気持ちは盛り上がります。真っ暗な中を、傘さして袴(はかま)の裾(すそ)をからげて行くのですから大変なのですが、そこがありがたい。また悪天候の中を金光さまが何でもないような顔されて淡々と行かれるその姿がもう本当にありがたい。「ああ自分は修行してるなあ」と気持ちが高揚してきたものでした。まさに修行を楽しんだのです。

 初代大先生も布教当初、教会修行をしていないのだから何か修行をと思い「なんでも手近なところから不自由を修行としてさせていただこう、辛抱はようせん、進んで不自由させていだこう」と決め「言いたいことがあっても言うたら自由気ままだから不自由させていただこう」というようにして「今日は五つ、不自由さしていただいた」「今日は六つ」というようにひとりで喜んでいた、とおっしゃっています。修行を楽しんでおられます。
 百日の修行を通して信心を大きく培ってまいりましょう。





<2019年10月掲載>
TOP
  Copyright(C) Konko Church of Tamamizu All Rights Reserved.