金光教玉水教会
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教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 金乃神がもらいうけ


 教祖さまは四十二歳のとき(安政二年一八五五年)大病にかかる中で、はじめて神さまのはたらきにふれ、全快しました。そこから神さまに導かれて改めて信心を進めていかれ、四十五歳のときには、「天照皇大神からのもらいうけ」と称(しよう)されているできごとがありました。

 全世界を司る金乃神さまが、日本の総氏神である天照皇大神に、教祖さまを頂けないかと申し入れたのでした。はじめ「はい、あげましょう」と了承した天照皇大神でしたが、「戌の年(教祖さまのこと)のような氏子はほかにありません」と渋りだし、金乃神が「一旦やろうと言われたのに」と押して願い、問答の末、金乃神さまがもらいうけることになったという事蹟です。

 金乃神さまは、このずっと以前から教祖さまに注目していました。さまざまな試練に耐え信心を深めて行く教祖さまに対し、神さまの目的の人助けに是非働いてもらおうと天照皇大神にかけあい、ご自分のもとにおかれたのでした。

 私はこの事にふれると初代大先生のことを考えます。初代大先生もまた神さまから、この氏子この氏子と引き回しを受け、人助けの働きをするよう方向づけられたように思えるからです。

○九年の辛苦の末
 二十歳の大病を機に、この道の神さまと出会い、熱心に信心するようになった湯川安太郎青年でしたが、その後もけっして平坦な道ではありませんでした。

 二十四歳のときには奉公先の貴田商店が倒産してしまいます。安太郎青年は負債の整理に飛び回る中、「あなたがうちに来てくれるなら」とあちこちから言われて、その誘いに応じるか仲買商として独立するか悩みます。そこでご本部にお参りして三代金光様にお伺いすると、「小売りをせよ」との、選択枝に全くなかった青天の霹靂(へきれき)の言葉を頂いてしまいます。

 というのも、それまで塩干物の仲買人として安太郎青年は相当の実績をあげていました。葉書一枚送るだけで大きな商いを動かしていたのです。それが利の薄い小売り、しかも資本もないのですから店も構えられません。行商です。これまでとなら雲泥の差、屈辱的といっても言い過ぎではありません。それを「金光様のお言葉は神さまのお言葉」と呑みこみ小売りをはじめます。

 では、お言葉に従ったらうまくいったのかといえば、そうではありませんでした。商売一日目の「二十四銭三厘の教え」は皆さんもご存知のことでしょう。大の男が何百遍も頭を下げ、ようやく得たわずかなお金、それは安太郎青年の経験してきた世界とまったく違うものでした。その後も安太郎青年は、集金支払いに苦しみ頼母子(たのもし)に苦しみするうち、神さまの導きのもと世渡りの機微を経験し、三十三歳のときに「神さまはご主人、自分は奉公人」の信境に達します。もともと苦労するのはわかりきっている小売りの道になぜ三代金光様は安太郎青年を踏み込ませたのか。今になってわかります。
 将来の人助けのための布石だったのです。この九年の体験が宝となり、初代大先生のお取次のもとになりました。まさに天照皇大神からの教祖さまのもらい受けのように、三代金光様のお言葉は働きました。

 丁寧にみていくと、初代大先生の生き方は教祖さまと重なります。それは初代大先生が教祖さまの踏みしめられた跡を着実に歩んでいかれたからで当然です。

 ですから初代大先生の教えは、金光教の王道です。私たちは教祖さま、初代大先生と作られた道をしっかり歩いて行きさえすればいいのです。



 <2022年11月掲載>
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