金光教玉水教会
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教風 大先生の講話
玉水教会月刊誌「あゆみ」に
毎月連載されています
巻頭の「教風」より転載しています。

 百日信行、始まりました


 あるときのこと、初代大先生が和裁で生計を立てている女性に「もっとお参りを」と勧めました。
 すると「時間がありません。私は日に十三時間ほども働きづめでやっとお粥(かゆ)がすすれる状態ですから」とこたえました。

 初代大先生は「あんたくらい時間の余っている人はないと思うが。先月も一週間寝た。先々月も一週間寝た」「あれは病気です」
「病気で寝ている時間を日割りすると二時間半以上になる。それだけあったらお参りできるやろ。病気にならん先にお参りして寝んですむおかげをこうむるんや。そないに勘定して毎日お参りさせてもらいなさい。だまされたと思うてやってごらん」

 話がわかるとその女性は日参を始めました。
 翌月は患わない。病気のお願いもない。そのうちに、「先生、もっと早う教えてくださればよかったのに。ちょっとも寝んようになりました」「それでよろしい」「それにこの頃は貯蓄もできるようになりました」「ありがたいことやなあ」「毎日お参りするようになって、持ってきてくれる仕事が違うてきまして、ちょっとこの帯、ちょっとこの羽織と、楽してお金の頂ける仕事が増えて、貯蓄ができるようになりました。ありがとうございます」

 初代大先生は「これは私が信者のとき、お参りの上で実際に経験しておるから言わせてもらえますんじゃ」と結んでおられます。

 教祖さまもお参りにかかる手間や暇は神さまがちゃんと取り返させてくださると教えられています。さらに教祖さまは「痛い時はお願い参り。痛くないときは信心参り」とお参りの実践について分けておられます。この女性も始めは病気を治してください、というお願い参りだけであったのが、日参するようになって信心参りになり、お話もたっぷり聞くようになって信心の稽古(けいこ)が進んだことでしょう。つまりこのおかげ話は日参したらおかげになったという簡単な話ではなく、お参りの質が変わったことに気が付かなくてはならない話であると思います。

 ○信奉者先唱によるご祈念が始まりました
 初代大先生八十年祭まで百日となり、先月の二十四日から朝昼の定時のご祈念後に、百日信行として信奉者先唱によるご祈念が始まりました。

 どうぞこういう機会をとらえて信心の稽古に取り組んでいただきたい。百日間と区切った中で、問題があるから参る、というだけではなく信心参りをしていただきたい。お結界でお取次をあおぐ、広前脇のテーブルでお話をいただく、そうしてご祈念していくと問題にヒントを頂いたり、何かの道に気づいたりと、きっとおかげがあるはずです。「お参りという足をしっかり運んで信心の地固めを」というのは玉水教会の信心の根幹です。
 このSNSの時代、若い人は足を運ぶということにピンとこないかもしれません。
 しかし大事なことを人に頼むときには、LlNEやメールで「お願いします」と打ってそれだけということはないでしょう。やはりお願いする人のところに出向いて頭を下げて「ぜひお願いします」と頼みますよね。

 それと同じで神さまに頼むのですから、このお広前まで足を運んで神さまにお願いするのが丁寧な運びかたではないでしょうか。
 八十年祭にむかってしっかり信心の稽古に励んで信心を進めさせていただきましょう。



 <2023年11月掲載>
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