金光教玉水教会
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金光教玉水教会の創始者、初代教会長湯川安太郎師は、商売の行き詰まりから、「神様がご主人、自分は奉公人」との行き方を悟られ、三代教主金光攝胤さまの、御用に専念するようにとのお御言葉を神命と受け止め、明治38年、家業を知人に譲り、金五円と僅かのお米のみで、土佐堀裏町にて布教を始められ、翌、明治39年に「金光教玉水教会」が正式に発足しました。

まことの信心を説き、まことの助かりを祈って、お取次に寝食を忘れてつとめられた湯川安太郎師を、玉水の大先生」と敬い親しみ、心のよりどころとする信奉者は日を追って増え続けました。
湯川安太郎師は、昭和19年2月1日に74歳で亡くなられ、その後は、霊神となられて教会のご霊殿に祀られ、信奉者は三代金光様よりいただかれた、湯川美志道輝真柱大人(ゆかわうましみちてるみはしらうし)の御名を唱えて拝んでおります。

初代大先生ご帰幽の後は、湯川茂・二代大先生が玉水教会長に就任されました(43歳のとき)。
第二次世界大戦末期の昭和19・20年は空襲による戦災のはてに終戦となり、経済的にも精神的にも不安と混乱の多い世相が続きました。
二代教会長は、そのような時代においても初代の時代と変わらず、信奉者たちの上に神様のおかげが現れることを願い、寝食を忘れてお取次にご祈念に精進なされました。

湯川茂師は、大正11年に金光教教師補任、玉水教会副教会長に就任されて以来、お取次・ご祈念に苦労を重ねられること六十余年にわたりました。
80歳を過ぎられてからの晩年、病床にあっても一筋に祈りの日々を過ごし、昭和63年(1988)に87歳の長寿を以て帰幽されました。

湯川泰雄・三代教会長は、二代大先生のご長男であり、昭和34年に金光教教師となられ、翌35年に副教会長に就任以来お結界でお取次をお勤め下さり、特に二代大先生が晩年に、ご静養の身になられてからは、
諸般の事に教会長の代行実務を執られ、又関西金光学園理事長として学校教育の御用にあたられ、四十年間にわたりご神勤下されて、平成11年12月13日に70歳をもってご帰幽になりました。

その間には二代・三代から四代へと、信心と神徳の伝承が行われてきたわけです。
現在は、初代・二代・三代のご神徳を受け継がれている四代教会長・湯川正夫親先生が、日夜お取次を下さってます。
 
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