金光教玉水教会
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初代教会長 湯川安太郎


美志道輝真柱大人 小伝(1)


初代大先生五年祭『志乃びくさ』

(昭和二十五年四月二十日発行)より

出生と幼時


 明治三年一月三日、師は和歌山市西北郊湊村御膳松にて出生。明治八年十月、六才にして父上に死別、残されたのは母君を中心に師と姉君一人、妹君二人。特に昔は財乏しくして女世帯は立行き難しと、師と姉君は夫々別に他家に預けられ母君は二女を伴って実家え寄寓せられることになりました。

中尾家に寄寓


 明治九年、七才。和歌浦出島に魚問屋を営む中尾家母君の叔母の許に引き取られる事となりました。懐かしの我家、我母、姉妹と別れて他家へ赴くという日の早朝、人知れず田に出て稲を刈って居られ、子供とは思えぬ位、仕事がはかどっていたそうです。

師は生れつき聡明であったようで、幼時よく遊びに行かれた寺の尼さんから「あんたのお父さんは千年暦と云われたが、あんたは万年暦ぢゃ」と云われていたそうです。中尾家には、後に師の夫人となられた、ひで様も中尾家の外孫であって、その兄妹と共に引き取られて育って居られました。

 十三才より生魚を売り捌くセリ台に立たれた、小学校への通学も早く打ち切ってしまわれたのですが、其間小学校で猟犬が死を以って養いの恩に報じたという話を聞き、恩という事を信条として其後の行き方を明確にせられました。

 中尾家は老舗でありましたが、衰運の一路を辿って居り、幼い乍ら師は粉骨砕身の努カを傾倒されたのですが、遂に、中尾家の営業を他店に合し、そこから利益の配当を受ける様処置をし、自分は外に出て同家の為に稼ぐ決心をせられました。

奉公と入信


 明治二十三年、二十一才にして上阪、西区靭の塩干物問屋貴田商店に奉公されました。店主は一向に家業不熱心、米相場や茶屋遊びが好きで、初めから見込みのない報われぬことでしたが、滅私奉公の信条を貫いて一生懸命に忠勤、しかし結局入店後三年程で廃業の止むなきに至りました。

 明治二十三年六月頃より体調悪しく、遂に十二月の暮れには九死の重態となり「自分には親がある、親のためどうしても生きて行かねばならぬ」しかし医薬も最早頼りにならず、さりとてありふれた世間並の神佛信心では心が進まず、その時ふと思いついた「天地金乃神」の名。それは健康な時、行きずりに他家の軒に吊した提灯に書いてあったのですが、初めから天地という名に心ひかれていたので、此の神様に一心に拝んで、さしもの長病、重患が直ちに癒えました。

その後思いがけなくも貴田氏夫人が前から金光教信者であったことが判り、伴われて大阪教会に参拝、天地の大徳に生かされる我身なる事を教えられ、以来、深く金光教の教えに信仰を寄せられる事になりました。

 貴田氏の店での、忠勤振り、師の商才が人々の注目をひかぬはずはなく、店がつぶれて自然解放の身となられた時には、破格の条件を以って己が店へ招こうとする申込が殺到、養子にと懇望されもしたが一切拒絶、安易な生活につくことは師の本性に合わなかったのでありましよう。

そこで金光教本部広前に参拝、三代金光様にお伺いすると「小売をせよ」とのこと。従来問屋畑に育ち、相当信用も広まって来たものを小売とはあまりに情無く、身を堕すことに感じられたが「天地の命なり」と観じてここに意を決しられました。

独立営業


 明治二十七年、二十五才にして独立自営、乾物の小売行商を開業。開業に際して、財布の底をはたいた三銭五厘。それで篭とゴザを買われたのが元入れの全部でした。双六で云えば三度振出しに戻ったわけで。相変らずの孤軍奮闘ですが、今度は神様という大きな味方がついていました。茨の道は未だ続いているのですが、神様の試練として有り難く踏みしめて行かれる処が、これ迄と大変な変り方でした。

 明治二十八年、二十六才。幼少年時代を中尾家で共に過されたひで様と結婚。これも中尾家の一族を自分の近親につないでいつ迄も援助を続けて行きたいとの誠意、報恩の念から出た事であります。そして西区靭松江橋際に居住。
 明治二十九年十一月、二十七才の時、長男誕生。和賀之助と三代金光様より命名を受けられたるも翌年十一月帰幽。「若き時コレを助けよ」との金光様の思召であったと心付かれ、自己がめぐり深きものであるとの自覚を深め、ますます信心に心をこらして行かれました。

明治三十一年八月、長女ツヤ様誕生。(先代銀座教会長湯川誠一大人夫人)
明治三十三年十二月、次男茂様誕生。(二代玉水教会長)

 その後二男二女をもうけられたが皆幼にして失われ、尚商売も順調にはかどらず、茨の道はいよいよ険しく。師は益々自身のめぐりの深さを悟り、心構えや生活が御神意に適うよう、つぶさに努力改りに精進されました。頭の中だけで解るというのでは満足出来ず、日々の生活現場でこちらがこう出れば御神意がどう現れるかを一々実験して道を進められました。

「……商売繁盛とお願い申しても一向に成績が上らない。神様から勉強が足りないと教えられ、一年間、一心に勉強……真実が足りぬと教えられ、またそれを一年間骨折って見ました。……今度は始末が悪いと教えられ……成程と気付かせて頂いて……金銭はもとより、物も時間も人間も……大切に有り難くと、こうしておよそ六年間程神様に教えて頂いてやっと身体に覚えさせて頂き、商売も立ち行くようになって来ました」と師御自身も物語って居られる如く、反省に反省を重ねつつ信仰の道を進めて行かれました。

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