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初代大先生五年祭『志乃びくさ』
(昭和二十五年四月二十日発行)より
安心立命
斯くして追々営業も発展して行きましたが、発展して行くかたわら行き詰って来るものがありました。それは金融の面であります。売掛金が回収出来ず、支払に困り、借金をし、借金を重ね、底知れぬ金融地獄に落ちて行かれました。
「何故こう云う結果になったのであろう」。不幸な出来事の原因を人の運とか、世間の景気不景気に帰してしまわず、自己の一に究明し、改めて行かれる処に、師が事毎に向上し、禍を転じて福となされた所以があるのです。
さて、その猛省された結果、自分の信念は神様を召使いのように利用する信心で、真に神様を尊むことにはなっていなかった。自惚れの強い自分は、矢張り我が智恵、我が才覚思慮分別を以て、我が腕を頼りとして、商売をしていたのである。
その結果このようなはめに落ちたとすれば自分の思惑、自分の腕程危険なものはないと気付かれ、もはや自分には商売を営む甲斐性はない、自分に経営の力がなければ、神様に経営して頂くより他はない。「神様がご主人で自分は奉公人」になるのが当然だ。と、師はこういう結論にたどり着かれるより他に道はなかったのです。
そして師は「商売を神様にお返し致します以上、世帯は商売の付き物でございますから、世帯もあなたにお渡しいたします。私には借金が何千何百円ありますから何卒これもお払い下さい。私はこれから先、祈りということ、あなたと共に勉強すること、経済に意を用いること、親先祖を大切にすること、子供を養育すること、家庭の円満ということ、凡ての思いをあなたの思召しに合せて行くこと、借金の断りを言うこと、以上八つを私の役前として勤めさせて頂き度いと存じます。何卒宜しくお願い申上げます」と、先ず心が金融地獄と生活の重荷から解脱し、次には私慾の為の商売が神様えの御奉公即ち天職えと進化したのであります。
其後三ケ月にて借金を皆済、やがて、今迄欲しくてたまらなかったお金が要らなくなり、入用な時には滞りなく廻って来るようになりました。人間の道が塞がった時が神様の道の拓ける時でした。師は実に商売上に於て無我、安心立命という凡て宗教が目指す最高の峰に到達せられたというべきでありましよう。
金光教祖様によって親子の関係に於いて説かれたものが、師に於いて主人と奉公人の関係として具現されました。御教が復唱されたのでなく、師自身の立場と個性に即してここに生きたのであります。
この安心立命の境地に到達されたのは、師が入信してから十三年かかったと云われている処より推して三十四才、明治三十六・七年の頃と思われます。
使 途
師は商業経営の責任を神様という店主に返却せられてより、倍増して商売即ち奉公人の勤めに勉強せられました。しかし師が神様を店主と仰がれたというのは、神様の地位を一商店主に引下げたのではない、実際には師自身が天地の親神様の奉公人えと向上されたのであります。
毎日、行商の為に朝九時に弁当も持たず家を出かけ、帰宅せられるのが夜中の十二時。商売は神乍らに能率上がり手間は省け、その得意廻りと併行して、商売以上の熱心さで人に金光教の教えを伝えて行かれたのです。そして家業は早く後の者に代って貰い、自分は御教えを伝える為に日本全国をも行脚したいと、実に大望、大願をいただかれるようになりました。
その言行の非凡さにより「神様のような人だ」とうわさされ、師の使徒即ち神様のお手がわりとしての境涯はこの時に始まったのであります。当時道広教会に参拝して、そこの世話係という役柄に居られましたが、常に縁の下の舞式の奉仕を勤め、御祭の時には下足番の奉仕に当っておられました。師は其の後土佐堀に小さい乍ら一軒の家を借受け大広前としての設備をととのえて、そこへ道広教会で修行中であった並川某師を迎えられました。
お道に対する報恩、お道を広めたい熱意から出た事であります。ところが並川師は布教成績が何程もあがらぬ内に或る事情の為道広教会え復帰。しかもその後任者がないと思ったのは師一人で、衆望の帰一するところは師湯川安太郎氏其人であったのです。
明治三十八年一月、三十六才、三代金光様のお言葉であるからと道広教会長稲垣定七師から切に勧められても直ぐには承服致し兼ね、自分も本部広前え参拝して金光様に御伺いをされると、その御返事は矢張り同様でありました。
師には「百万円も儲けさして頂いてから。苦しんでいる人には差し当り金品を施しつつ足の及ぶ限りを大広前として広く世間に行脚なし、お道を伝えて行きたい」との大望があり。それにくらべて一教会にとじこもることは如何にも窮屈に思えました。そこで再三おことわりを試みられたものゝ色々と説得せられ、実際には既に神様のお手代りの境涯に入られている身を今更何と拒否する根本的な理由も見付からず、結局そうなることが神様の思召であったと悟り、有り難くお承けせられました。
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