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はじまり

1873年、天地書附が定まる
(金光教本部教庁提供)

いのちがあるものは、すべて天と地の恵みを得て生きています。この天と地の恵みをはじめとして、私たちのいのちを生かし育むすべてのはたらきを、金光教では「天地金乃神」と称え仰いでいます。江戸時代の末期、農業を営んでいた金光教の教祖は、家族の死や相次ぐ苦難の中で天地金乃神と出会い、「人を救い助けたい」という神様の思いを知ることで信仰を深めていきました。のちに神様から「農業をやめて、難儀な人を助けてやってくれ」と告げられ、家業をやめて「取次」(とりつぎ)に専念。「生神金光大神」という神号を授かりました。


湯川安太郎

祭服姿の初代、1905年頃

金光教玉水教会の初代教会長・湯川安太郎は幼少期に親類の魚問屋に預けられ、若い頃から商売について学びました。成人後、養家のため大阪の干物問屋へ奉公に出ますが、まもなく病を患います。病苦に耐える中で以前に街角で見かけた「天地金乃神」と書かれた提灯を思い出し、天地の神に救いを求めて病を克服。のちに金光教と出会い、信仰を進めるうちに商売も軌道に乗り始めました。しかし売掛金の回収ができず、借金を抱えるなど金融の面で行き詰ることが多くなりました。


神様がご主人、自分は奉公人

現会堂での祭典の様子 1935年頃
現会堂での祭典の様子 1935年頃

商売をする上で「神様ではなく自分の腕を拝んでいた」と自らの思い違いに気付いた初代は、「神様がご主人、自分は奉公人」という生き方を悟ります。それ以降、あらゆる不安や心配を神様にゆだね、ひたすら神様の思いに沿った生活を追求しました。そしてさまざまなご縁を経て、1905年(明治38年)に大阪・土佐堀の地で布教。金光教の教えを商都大阪の土地柄や人柄にあわせてわかりやすく説き、参拝者は日を追うごとに増えていきました。それから長い時を経て、初代の思いと祈りは代を重ねて脈々と受け継がれています。


神様とともに

現在の祭典の様子 2023年

金光教では立教以来、参拝者の願いを神様に届けるとともに、神様の思いを参拝者に伝える「取次」が信仰活動の中心となっています。私たちは日々生活する上でさまざまな問題や悩み事に遭遇します。そのような時は神様に願い、そして神様の思いを知ることで解決の糸口が見えてくるはずです。取次は玉水教会を含む本教の教会にある「結界」(けっかい)で、いつでもどなたでも受けることができます。取次に携わる者には守秘義務があり、秘密が漏れることはありませんのでご安心ください。


開かれた教会へ

会堂外観 国の登録有形文化財に指定

玉水教会では朝5時から夜22時まで門が開かれており、はじめて参拝される方も気軽にお入り頂けます。朝・昼・夜のご祈念と教話が毎日行われ、定期的に仕えられる祭典のほか、希望により結婚式や葬儀、地鎮祭などの祭事も執り行っています。また、青少年の育成や社会貢献事業にも積極的に取り組んでおり、特に教会に属するボーイスカウト大阪第2団・ガールスカウト大阪第3団は大阪でも歴史ある団のひとつで、キャンプやスキー合宿など年間を通してさまざまな活動を行っています。

教風 教会長先生のおはなし

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