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まことの信心 まことのおかげ


天地金乃神という神さまは、もし教祖さまがおられなかったなら、この世に現れることがなかったかもしれません。教祖さまは天地金乃神に出会われて、神さまがおっしゃることをずっと守っていかれました。まだよくわからないままに、神さまからいろんなお知らせをいただくのですが、それは、その通りにしていればおかげになるよといった単純な話ではありませんでした。

 例えば、麦を乾かさずに俵に詰めるとか、世間で否定されている非常識なことを、神さまは「せよ」とおっしゃる。ふつうなら、「そんなことしたらだめなのと違うか」と思うわけですが、教祖さまは素直に受けて行かれた。それが結果的にはおかげになっていくのですが…。

 つまり教祖さまは、お知らせをいただきつつ一つ一つ学んでいき、信心をわからされていったのです。そして最後に「この神さまは絶対であり、この神さまについていけば安心なのだ」という境地に教祖さまは至られた。要するに神さまからの信頼を得られたのです。

 もし教祖さまが、「こうせよ」というお知らせに対し、「そんなことはできない」と聞き受けなかったら、神さまからしたら失格なわけです。教祖さまは受け続けて、神さまからお墨付きをいただかれた、といっていい。

 ですから教祖さまがおられたから神さまはこの世に出ることができたわけで、神さまからすれば教祖は恩人なわけで、教祖さまからしても神さまは、ご恩のある恩人なのです。お互いがそういう思いにならせていただけるということが、神さまと一つになる、ということではないでしょうか。
 初代大先生も、生来の性分から神さまに不足や文句をならべたことも多々ありましたが、最後には「この神さまの懐へ飛び込んでいったらご信心を教えてもらうことができ、おかげになっていく」ということがわからせてもらえた。神さまの教え通りに信心を進めさせてもらっていると、やがて神さまから信頼を得ることができたのです。
 私たちはふらふらしているから、なかなか十分な信頼も得られないわけですが。初代大先生は最初こそふらふらがあったにしても、辛抱して辛抱して信心を続けて、十三年目におかげをいただけた。
 十三年間、神さまは初代大先生に一生懸命教えてくださったのです。「世の中お金だけやないよ」「自分の力で働いているようやけどそうやないよ」ということを神さまは教えてくださり、それを初代大先生は受けきっていかれたのです。

 皆さんが教会にお参りすると、神さまは「教会までよう足を運んだな。おかげをどんどん授けるからしっかり信心しなさいや」と、思っておられるはずなんです。ではお参りさえすれば神さまはおかげをボンボン授けるか、といえばそうはいきません――というのは、それでは信心にならないからです。「真(まこと)の信心」をさせてもらって「真のおかげ」をいただかなくてならん。ということがあるわけですから、神さまにお願いさせてもらったら神さまはその願いを受けて、そのままにおかげを授けるというよりも、我々が信心していけるよう、神さまはいろいろに道をつけてくださるのです。最初は信心一年生で、おかげは甘めにいただける。ではこの神さまを信心していこうかとなったそのあとは、神さまは信心を教えてくださる。真の信心をするように仕向けてくださるのです。それを私たちがしっかり受けきっていって、お礼とお詫びとお願いを積み重ねていくことが信心の道であると存じます。

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