現金光様をいただく
金光様がお結界でアカンベエをされたことがありました。明治二十七年正月のことです。前年暮れに二代金光様がおかくれになり、十三歳の三代金光様がお結界にお座りになっておられました。
九州布教の祖である、小倉教会・桂松平先生がお結界に進み、お取次を頂こうとしたとき三代金光様がアカンベエをされたのです。
びっくりして桂先生は宿にもどりました。桂先生は二代金光様を父のように慕ってお頼りしていたので、こんな少年にあとのご用が務まるだろうかとふと思ってしまったのです。その心を金光様が見透かされてああいう行動となったのだろうと反省し、自分のあとでお届けした弟子の先生たちに聞いても、「堂々としたお姿でありがたかった」と異口同音にいうので「これでお道が安泰じゃ」と喜ばれたという話が伝えられています。
このお話、実は私は桂先生のお気持ちが少しわかる気がします。
私は学院生のとき、四代金光様のお取次をいつも頂く中で、時にはやさしく導かれ、時には厳しく諭され、四代金光様の素晴らしい結界の姿にひきつけられていく感じになりました。その後も玉水の毎月のご本部参拝でも金光様を拝めることが楽しみというくらいでした。
四代金光様がおかくれになり、五代金光様平輝さまがお座りくださっても、なかなか四代金光様のときのような気持ちには、正直なれませんでした。
そんな私の頂き方が変わったのは父、三代大先生の金光様の頂き方に気づいてからです。父と平輝さまは学院同期でずっと親しくさせていただいておりました。それが平輝さまが金光様にお就きになると、一変しました。
それまでの親しい仲という関係ではなくお取次を受けてくださる信仰上の至高のかたという頂き方にすぐに切り替わっていきました。
三代大先生のその行き方を横でみて勉強して、金光様を頂くのにも信心の充実が必要であるとわかり、やっと私も五代金光様を四代金光様のように頂けることになりました。
○御用を重ねるなかで
三代大先生のあとを継いで教会長に就任すると、外の御用―教区やご本部の教務の御用、さらには学院講師などの御用が一挙に増えました。私みたいなものでも務まるのか、という御用もあります。
ある先生が任の重い職に指名され、とても自分に務まるとは思えない、どうすればよいか悩んで四代金光様にお取次を頂いたとき、「誰かがさせてもらわねばならんのじゃからなあ」と四代金光様がつぶやくようにおっしゃったそうです。ご自分へのお言葉のようでもあり、その先生は「お役に立てるようにお引きたてくださいますよう」と願いをかえてお届けなさったそうです。私も足らぬところをすこしでも足していただいてと努めている日々です
五代金光様から現教主様への代替わりをお迎えした際には、ありがたいことにすぐに「金光様」と拝めるようになりました。
浩道さまは一緒に同行するような仲でした。その先生が教主にお立ち下さり、毎朝四時前にお出ましくださりお結界奉仕ご祈念くださる。ほんとうにありがたい。尊い。このたびはすぐに心のそこから戴けました。金光様と心から戴けました。若いときには見えていなかったことが見えてきた、ということもあるかもしれません。歴代の脈々と通じているお姿をありがたく拝んでいます。
(玉水教会 会誌 あゆみ 2024年8月号 に掲載)