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元気を出して信心せよ

 信者さんの孫が不登校になって、親である娘さんから「おばあちゃん、見といて」と頼まれました。何で不登校になったのか、たいした理由もあったわけではないらしい。信者さんが子を育てている時代だったら引きずってでも学校に行かすのに、と思い言うと「おばあちゃん、よけいなことは言わんといて」。いまは、不登校になっても無理やり学校に行かさないというのが親の立場のようです。しかし信者さんからいうと、いじめにあった訳でもないのになぜ学校にいかないのか納得できない。で、ついつい孫に対しても態度に出てしまう。「うっとうしいなあ」と孫に言われ悩んでお結界に来られました。
 私は「親がそう言ってるんやったら何も言わんで、とにかく孫に慕われるようなおばあちゃんになるように努めましょう」と申しました。
 以前となら不登校の問題もだいぶ変わってきているようです。通信制高校も拡充され、気に入ったフリースクールに通って大検資格を取って進学するひとも多い。なかには深刻化するケースもありますが「すこし遠回りしたかな」くらいに過ごしているひともたくさん見受けられます。
 学校へ行かないなんて人生どうなるの、という時代ではないようです。
 ただそんなことを説明しても分かってはもらえないでしょう。時代は変っていくようです。
 もう親という当事者ではないのですから一歩引いて娘親子の助かりを背後から祈っていくという姿勢に徹したらいかがですかという旨をお話ししました。

○神徳を積んで
 教典に「元気をだして信心せよ。年をとったのを苦に病む必要はない。年をとっても一人前にできるのは信心だけである。信心していると年を重ねるほど身に徳がついて神がかわいがってくださり若いものが大事にしてくれるようになる」とあります。
 仕事をやめ子育てから離れ、社会の第一線からはなれると世の中の情報が一気にはいってこなくなります。体力も落ちてくる。老化は厳しいものです。
 教祖さまは、年をとっても「信心はできるだろう」とおっしゃる。信心して徳を積むことに照準を合わせていけ、と示されます。
 一線を退いてさびしい。ですから年とったらまず「元気を出せ」とまず励まされるのです。
「若い者に大事にしてもらえるように」。神徳を積めばそうなります。
 ふとしたことで親の言葉が耳にはいるようになり、信心しはじめたということは珍しいことではありません。ただそうなるためには布石は打って置かなくてはなりません。若いものに媚(こ)びるのではありません。神徳を積むのです。どうしたら神徳を積めますか、それは「信話集」をひもといてください。教話を聞いてください。
 ことしは初代大先生八十年のお年柄、来年は玉水布教百二十年のお年柄、節年が続きます。
三代大先生は「節年はおかげいただくとき」と節年の信心をよくお話しくださっていました。
教祖さまのご理解に「節年を境に年まさり代まさりの繁盛のおかげをうけることができる」とあります。
 例年にも増して、元気な心で信心に励んで参りましょう。

(玉水教会 会誌 あゆみ 2024年9月号 に掲載)

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