お天気と信心
今年は大変暑い夏でした。それと豪雨もたびたびありました。ことに、八月末の台風十号は地震直後の能登半島に大きな被害をもたらし、またその迷走によってたくさんの方が影響を受けました。
私も八月の二十四日ころ天気予報を見てましたら、台風十号が二十八日に大阪を直撃するという予想が出ていました。「二十八日は墓前祭、皆さんお参りに来れない、本当は変えるべきではないが…」と考えてますと翌日も予想コースは同じなので、翌二十九日は前教主金光平輝樣教葬の日ということで墓前祭は三十日に延期しようとお結界で決断しました。
ところが、台風十号は迷走し出します。九州の方へ向かいだし、反転して三十日ころ大阪へというコースだと予想が立てられました。私はショックを受けましたものの三十日と決めた以上、これでおかげ頂こうと腹を決めました。
皮肉なことに二十八日の大阪は快晴でした。二十九日のご本部祭場での教葬では、私も代表玉串を捧げさせていただき、猛暑八月の儀式ということで暑さが心配された割には涼しく、雨もたいしたこともなく、おかげ蒙りました。但し、遠方の先生方は大変だったようで東海道新幹線が三日も止まってしまい、銀座の先生は北陸新幹線で東京に戻ったと聞きました。三十日はよいお天気のもと墓前祭をお仕えしました。台風は紀伊半島の南で迷走していましたけれども、九月一日のお祭りも無事奉行できました。
能登半島の被害は甚大で当教会のゼロカンパニーも大地震直後に続いて駆けつけました。報告を聞いていても心が痛むことでした。
初代大先生の祈り
台風によって翻(ほん)弄(ろう)されたような日々でありました。信心する者は、こうした天気のことをどう考えていけばいいのかと考えますと、一つのエピソードを思い出しました。
広小路教会初代の先生が伝えてくださっている話があります。
ご本部の大祭で、未明から大雨が降り出し朝になってもやまない。広小路の先生が初代大先生に「あちこちから信者さんが集まって困りますな」と申すと、初代大先生は「そうやな」と言われて、庭の方へ傘もささずに歩いて行かれ、両手を天に向けて雨を受けるようにして、しばらくご祈念なさっていた。すると、雨がだんだん小雨になってきた。やがて、祭典が始まるころには雨はやんで晴天になった――こういう話です。
すごい神徳やなと思うかもしれない。しかし、このお話の大事なところはこの後です。初代大先生は、その晩ひと晩ずっと神さまに一心に祈った。天気にしていただいたお礼のご祈念? いやそうではありません。大祭とはいえ、こちらの都合で天気を変えていただいたことのお詫びのご祈念でした。相済まんという思いで、一晩一心にお詫びされたのでした。
私たちならば、お天気にしていただいた。ありがたいことだ、と喜んでそしてすぐに忘れてしまうことでしょう。初代大先生はそうではない。
天地のお働きということへの思いが違うのです。天地のお働きを畏れ多く頂いて、ひれ伏しておられるから祈念も違ってくるのです。
「暑いな」「寒いな」「雨が降りよって」と言う前に慎んでいく。更に能登半島の復興のことも日々のお天気の祈りの一環でしょう。お天気からも信心を学ぶことはたくさんあります。
(玉水教会 会誌 あゆみ 2024年11月号 に掲載)