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神様は御主人 自分は奉公人

 二月一日、二日の「初代大先生・湯川美志道輝真柱大人八十年祭」はたくさんのご来賓にもお越しいただくなか、厳粛に執り行なわれました。ありがたいことでした。
 先日、他宗派のの教会長さんが挨拶にみえました。その宗派の教会長は、本部から任命されるようで、その方は熊本出身とおっしゃっていました。
 「アフターコロナに入り、信徒のお参りができるようになってもお参りの足が伸びません」と嘆いておられました。そこはコロナ禍の間、完全な閉門措置をとったので、なおさらなのかもしれません。私どもの方でも、コロナ禍の間に体を弱らせたお年寄りなども多く、その教会長さんの嘆きはよくわかります。ですから内心では、この度の八十年祭の参拝者についても覚悟していました。
 それがこの度のお祭りでは、私の想定を上回る参拝者があり、ほんとうにありがたく思わされました。

○「おじいさんのよう」
 このお祭りの偲(しの)び草として『神様は御主人 自分は奉公人』を刊行しました。特色として、時代背景をはっきりさせ、こんにち分かっている資料の知見も反映させ、きっちり書き込んでいます。
 一つ例を挙げましょう。
 初代大先生は、三代金光様のお言葉によって土佐堀裏町の布教所でお取次に従うことになりました。ところがそのとき、初代大先生は金光教教師の資格を持っていませんでした。ですから制度上玉水教会設立時の教会長は湯川安太郎ではなく、大阪教会の二代白神先生です。そのままでは色々問題があり、ご本部で講習を受け正式に金光教教師となってほしいと周囲からいわれます。しかし初代大先生としては、講習のために長期間教会を不在にすると、その間に参拝してくる信者が迷うことになるという心配があり、踏み切れませんでした。そして神さまから「(不在の間)代理聞き届けた」とのお言葉をいただき、ようやく本部に赴きます。布教所開設から三年目のことです。
 ところが初代大先生は半年間のはずの講習から、三カ月で帰ってきてしまいます。ここは本に記述はありませんが、当時何かトラブルがもちあがり、教務を仕切っていた佐藤範雄先生に依頼されてその問題をおさめたことで、特例を認めてほしいとして帰ってきたようです。当然、特例は認められないとする向きもあったようです。
 そのとき反対者をなだめるように三代金光様が「湯川さんはお祖父さんのようなひとですから」とおっしゃったという伝えがあります。これを「初代ことを教祖さまのように徳がある人物だとおっしゃった」と取るのは間違いだと思います。例えば三代金光様は教祖さま以来の神前奉仕を少年のころにお継ぎになった、まさに教祖さまそのままの光輝くようなかたです。一方初代大先生は、もともとが商売人でした。苦労して苦労して神さまにぶつかっていきながら、活路をひらいてついに神さまからの信頼を得ました。
 その点で、もともと農民で農作業という家業を通して神さまの信頼を得ていかれた教祖さまに通じるような道を歩んでいると、そのような意味のことを三代金光様は仰せになったのでは、と私は感じました。
 大部ではない本ですが、じっくりじっくり読んでいくと引きずりこまれて初代大先生に相まみえているような気がしてきます。どうぞ少しずつでもお読みいただきたい。お勧めいたします。

玉水教会冊子 あゆみ 2024年3月号掲載

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